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人の旅を笑うな ~ベトナムの水辺の村へ~

ちょっとだけ垣間見た川と湖のほとりの暮らし

48 眠れない、ブオンメトーへの道

2017-03-22 07:10:00 | フォンディエンの町と村 お話
ベトナム南部、ホーチミン。旅6日目の夜。

寝台バスに乗り込む。今度は1階席で真ん中の列。どうせ夜だから窓際じゃなくていい。1階は断然安定感がある。

バスの車掌にラック湖のプオンジュンに行くと告げる。
バスはすぐに出発した。5分もしないうちに車掌が携帯電話を私のところに持ってきて、私に電話だと言う。誰かから私に電話があるわけがない。が、バス会社の彼からだと気付く。バスの運転手が彼の友だちなので、ブオンメトーに着いたら運転手が私をラック湖に連れて行くという。だから安心しろという話だった。

あら、そうなの? うーん。どうなるか分からないけれど、とりあえず、ありがと。
ベトナムでは話し相手がいない。インドネシアと違い、誰も話しかけてこない。唯一話したのはカイランで会ったサラだけだ。私は一緒に時を過ごせる相手に飢えているのかもしれない。なんだか寂しいのかもしれない。いや、かも、じゃないだろう。


残念ながら、ホーチミンからブオンメトーへの行程の景色は見ることができなかった。見られたらきっととてもよかっただろう。意外に低地の、人気(ひとけ)のある国道沿いを走っているような気がした。とにかく脚がだるくてつらかった。

あまり眠れなかった。薬を飲みたかった。けれど薬はトランクにあり、トランクはバスの下の荷物入れにあった。途中休憩でトランクを出してくれと言っても、通じないのか無視されたのか、すげなく断られた。その車掌は電話を持ってきた人と違う若い人であまり優しくなく、休憩のときに私がちょっとバスを降りようとするとすぐに、ここじゃないここじゃないと、降りるのを制するのだった。どうやら私をバスの中に縛り付けておきたいらしかった。

バスが走り出して最初の休憩は中華系の店で、おびただしい数の月餅が鮮やかなパッケージに入って並んでいた。ベトナムでも中国商人は幅を利かせているみたいだ。1袋買う。袋はかなりほこりをかぶっている。きっと古いわけではなくて、ほこりがすごいからだろう。袋はかなり大きいのに、中には小さな月餅が4つ入っているだけだった。そのうちの3つを一度に食べてしまった。



47 暴走バイクと、バスターミナルの不思議な若者 

2017-03-21 07:10:00 | フォンディエンの町と村 お話
ベトナム南部、ホーチミン。旅6日目の午後。

ホーチミンへ行く寝台バスの中。突然起こされ、降りろ、と言われる(多分)。そこは大きな道路の道端だったのだけど、私が乗り換えるべきミニバスがすでにそこに来ていた。すごいタイミング。どうしてそんな連携ができているんだろう。とにかく、ホーチミンの西バスターミナルでも近郊バスターミナルでも東バスターミナルでもないその道端で、私はシルバーのミニバスに乗せてもらった。すばらしい。インドネシアの無法状態の、客の都合を考えないバス体系とは全く違う。

シルバーのミニバスが着いたのは、西バスターミナルだった。そこから東バスターミナルに行く必要がある。すでに18時で近郊バスはないのでバイクタクシーに乗る。ところが。

このホーチミンで私の命は終わるかもしれない。そうであっても不思議ではない。本当にそう思った。とんでもない無謀、暴走運転。歩道は走る、通行禁止の場所を突っ切る、最後には反対車線を走る。猛スピードで。目的地に着いてバイクの運ちゃんは私を降ろし、にっこり笑った。「どうだ!」と。なんなのあんた。


とにかく、よかった。死なずに済んだ。ブオンメトー行きのバスは19時30分発だった。朝4時に着く予定。そんなに早く着いても真っ暗だけど大丈夫だろうか。その次のバスは21時発だから5時半に着くはず。けれどホーチミンのこのバスターミナルでぶらぶらしていてもしょうがない。すぐに乗ろう。

バス会社の若い青年が私に応対した。いやにフレンドリーだが怪しくはない。自分に息子がいたら彼ぐらいだろう。バスへ向かうとき、彼はなぜか「お手をどうぞ」と左手を差し出した。ホストか? いや、そんなイケメンでチャラくはない。何だかよく分からないけれど、素直にサービスを受ける。手をつないでバスターミナルを歩く。わずか20mぐらいのこと。けれどもなんだかとても、ほっこりする。
バスに乗るとき、彼は私の手をとってまるで大切な人にするみたいに別れのあいさつをした。






46 薄暗い市場を見てから 寝台バスでホーチミンへ

2017-03-20 07:10:00 | フォンディエンの町と村 お話
切符売り場に戻ると、美人切符売りが、そこに座ってろと椅子を指差した。日本の船乗り場みたいな、一人ずつ座るプラスティックの椅子が並ぶ待合所。

ニャトラン行きに乗った方がいいのではないかと何度も考えた。それはたくさん出ていて、ホーチミンで乗り換えなくて済むし、ニャトランからブオンメトー行きがたくさんあるだろう。遠回りではある。けれど便利そうだ。
でもやっぱり初心を貫いて、そんな遠回りしないで、ちゃんとホーチミンからまっすぐブオンメトーに行こうと思う。

考えながら座っていた。おとなしく。大分時間が経ったけれど、私が乗るべきシルバーのミニバスはなかなか発車しなかった。ずっとずっと待った。1時間以上経ったと思う。まだ発車する様子はなかった。客が全然集まっていなかった。

しびれを切らし、「ほかのバスはないの?」と聞くと、美人切符売りも気の毒に思ったらしく、急きょ違うバスに頼んでねじ込んでくれた。なんて融通の利くいい人だろう。ほんと、重ねて言うけど、ベトナムのバスはインドネシアと全然違う。
ねじ込まれたバスは寝台バスだった。2段ベッドが並んでいる。そういうバスがあることはガイドブックで見て知っていた。寝台バスは高いのだ。でも、買った切符で乗れるようにしてくれた。うんと北の方のダナン行きかなんかだ。たまたまホーチミンまで空いていたんだろう。

寝台バスは面白いことに靴を脱いで上がるようになっていた。入口でビニール袋をくれるのでそれに靴を入れて自分の席に行く。座席指定なので勝手な席に座ることはできない。

シートは狭かった。私は上の段で、右の窓側、真ん中、左の窓側と3列あるうちの真ん中だ。とても不安定な感じがする。事故でも起こってバスが傾いたらすぐに下に落ちてしまうと思う。ひじかけを立てられるのが分かって立てたら落ちそうな気分が少し直った。脚は伸ばすことができず中途半端に曲げていなければならない。これで長時間乗るのは苦痛だろう。2、3時間でよかった。こういう体勢だったら椅子の方がましかも。荷物を置くところもない。寝台バスには今後乗りたくない。冷房が少し寒いので備え付けの毛布を使う。

バスの中では演歌のビデオがかかっていた。ベトナムのポピュラーミュージックは日本の演歌そっくりだ。歌手が歌っている時の身振りも日本の演歌歌手そっくりだ。新沼健治風のお兄さんが歌っている。もっとも今の新沼健治はもっと老けているだろう。

歌番組が終わると、今度はバスのCMになった。そのバス会社がいかに便利でいいかと言っているのがよく分かるCMだった。言葉が分からなくてもそれだけ分かるんだからよくできたCMだ。というか、ありがちなCMだ。







45 カントー西バスターミナルの美人切符売り

2017-03-19 07:10:00 | フォンディエンの町と村 お話
ホテルで手配してくれたバイクタクシーでカントーのミエンタイ(西)バスターミナルに着くと、すぐに男の係員が近付いてきた。ブオンメトー(バンメトート)行きはなく、ホーチミン行きの窓口に連れていかれる。ブオンメトーはラック湖に近い町だ。そこへの直行便がないことは予想していた。

バスターミナルについてはもう大体のシステムは分かった。同じ路線を走るバス会社はいくつかあるが、バスターミナルの係員が一番早く来るバスの会社の窓口に連れていくのだ。客の奪い合いのために適当な嘘をついて自分の会社のバスに乗せ、客を不幸な目に遭わせるインドネシアとはえらい違いだ。ベトナムではあくまでも客の便宜を図ってくれる。だからバスターミナルで変にエネルギーを奪われたりしないで済む。

ここ数年、海外といえばもっぱらいインドネシアに行っていた。ベトナムとインドネシアの国民性では、ベトナムの方がずっと日本に近い感じがする。インドネシアと日本を両端とすると、ベトナムはその中間地点よりも日本寄りにある。人との距離感、はにかみ方、遠慮の仕方が、ベトナムと日本は近いように思う。インドネシア人はもっとずかずか人の中に入ってくるし、嘘を嘘とも思っていないし、開放的で表現が大きい。もっともインドネシア人といってもいろいろだし、ベトナム人も同様だ。

さて、窓口でチケットを買ってバスの時間を聞くと、今すぐだという。けれど、バスターミナルの入り口にある市場を見に行きたかったので、そのバスには乗らないことにする。

切符売り場にトランクを預ける。切符を売っているのはきれいな中年の女の人だ。ベトナムでは女性がバスの切符売りとして活躍していて、どの人も美人だ。美人でないと入社試験に合格しないのではないかと思う。目の周りをばっちり化粧していて妖しいぐらいで、とてもバスの係員とは思えない。

トランクを預けてから、まずバスターミナルの視察をする。知らない地名が行先のバスがあると、地図で確かめる。ニャトランに行くバスがとてもたくさんある。ハノイに行くバスもある。

バスターミナルの一角にある市場はとても暗かった。普通に果物など売っている。ひっくり返ったカエルを2匹で1組に縛っている。まるまる太って大きい。貝がいろいろある。そしてこのバスターミナルにはフランスパン売りが少ない。




とにかく暗い



寝てるし


44 水辺の村とガチョウと床屋 それにサラの旅の話をカフェで

2017-03-18 07:10:00 | フォンディエンの町と村 お話
ベトナム南部、フォンディエン。旅6日目の午前。

水上市場をしばらく見学して、舟は一旦川を少し戻ってから今度は別の支流に入っていった。私が昨日歩いた村の方には行かなかった。そんな別の支流があったとは気づかなかった。縦横無尽に支流があるのだ。

いく艘かのローカルの舟が行き交う。私たちと同じように観光客を乗せた舟もあったが不思議と日本人には会わない。すべて白人か、わずかに中国人がいたのかもしれない。

どんどん遡り、舟はまた岸に着いた。今度は岸沿いに歩いて村を見ろということだった。「バナナがあるから」と。バナナなんて珍しくはないけど、私たちは、バナナやパパイヤの木を眺めながら歩いた。素朴な椰子の葉の屋根と壁の家、遊んでいるニワトリ。サラは鳥が好きらしく、ニワトリやガチョウを見つけるとしゃがみこんでは一生懸命カメラを向けた。

それから日本の山村の小さな祠のような、竹でできたすきまだらけの小屋をのぞくと、なんと床屋さんなのだった。鏡と椅子があり、椅子の下に髪の毛が落ちている。私たちは大喜びして格子のすきまからその床屋さんの内部を激写した。



それから、川の横にカフェがあって、そこでお茶を飲まなくてはならなかった。そういうストーリーになっているのだった。サラはオレンジジュースを頼んだ。私はホットティーを頼んだのに氷入りの冷たいのが来たのを見て、サラは店員さんに「この氷大丈夫か」と聞いてくれる。優しすぎる……。

一人でなくてよかった。そして相手がサラでよかった。
私たちはいろいろな話をした。サラは世界中旅しているのだった。今回はだいぶん前から家を出ていて、エアアジアでバンコクからベトナムに入り、ベトナムにはもう1カ月。これが終わったらタイに移動するという。サラ自身は人の暮らしを取材するのが好きなのだが、そういう仕事は全然お金にならない、そういう写真を見たがる人がいないと言った。私は同意した。

ベトナムのバナナが好きで、祖父母はカリフォルニアでブドウ畑を持っていることも分かった。
「日本は魚がおいしいんでしょう? 日本の魚は世界で一番おいしいって友達が言ってた」と言う。そんな話は初めて聞いた。それから築地の魚市場の初競りの数百万円のマグロのことと、猿が入っている長野の山奥の温泉について、サラが私に話してくれた。日本にも行きたいのだそうだ。

サラはベトナムでは、ハノイから入りラック湖に行ったという。ラック湖はベトナムの下の端から4分の1ぐらいのところの内陸部にある。今いるカントーからは北上することになる。東の方の高原の町ダラットからバイクをチャーターし途中2泊。沿線にはかわいらしい村が続いていたと。それすごく見たい……。
そしてロングハウスに泊まったなんて言う。ベトナムのローカルの人が住んでいる伝統建築の民家に泊めてもらって一緒にゴハンを食べたりすることを想像した。いいな。
バイクの人はガイドも兼ねていて英語もうまく、宿泊も手配してくれたそうだ。ラック湖にはホテルとゲストハウスもあるらしい。

ラック湖は私が次の目的地として最有力として検討していたところだ。私はすぐにそこに行くことに決めた。
私が、北部の山岳地帯に行きたかったけど寒いらしいからやめたと言うと、サラも同じだが、今は霧で写真は撮れないと友だちが言っているのでやめたそうだ。

宿に戻ると11時だった。部屋に行き、急いでシャワーを浴び、荷造りをした。水上マーケットを見られたから、もうこれで心おきなくカイランを去ることができる。サラは宿の女の子に切符を手配してもらって、明日発つと言っていた。