(引用文) 夜ふけの汽車で、一人の紳士が夕刊を見ていた。 その夕刊の紙面に、犬のあくびをしている写真が、懸賞写真の第一等として掲げてあった。 その紳士は微笑しながらその写真をながめていたが、やがて、一つ大きなあくびをした。 ちょうど向かい合わせに乗っていた男もやはり同じ新聞を見ていたが、犬の写真のある ページへ来ると、口のまわりに微笑が浮かんで、そうして、……一つ大きなあくびをした。 やがて、二人は顔を見合わせて、互いに思わぬ微笑を交換した。 そうして、ほとんど同時に二人が大きく長くのびやかなあくびをした。 あらゆる「同情」の中の至純なものである。 (大正九年十一月、渋柿)
(大正九年十一月号掲載文を読んで)
自然と「共感」する時空で、私の俳句は生まれることが多いけれど、
寺田寅彦の場合も矢張り、そういうことを感じていたのでしょうか。
誰にも遠慮したり緊張することのない時間帯、場所、状況にあって、
つまり、リラックスしている人はどんなジェントルマンであっても、
当人は無意識のうちに持って生れた本能のままに振舞うと思われる。
犬のアクビを微笑ましく思い撮影し投稿する人は確かにいるようだ。
それが共感を生み、審査員の琴線に響くとき、入賞するのでしょう。
その写真を見た多くの人たちも撮影者と同じ余韻に浸るに違いない。
そんな人同士は自然のうちに親しみを覚えて互いに心を開くのです。
寅彦一人、何一つ技巧を凝らさない共感の姿を近くで観察していた。
さて、彼らは寅彦の存在など少しも気に留めなかったのでしょうか。
それで、寅彦は「至純の同情」を皆とともに出来たのか?
つまり、寅彦は夜ふけの汽車で欠伸したのか、欠伸しなかったのか?
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(大正九年十一月号掲載文を読んで)
自然と「共感」する時空で、私の俳句は生まれることが多いけれど、
寺田寅彦の場合も矢張り、そういうことを感じていたのでしょうか。
誰にも遠慮したり緊張することのない時間帯、場所、状況にあって、
つまり、リラックスしている人はどんなジェントルマンであっても、
当人は無意識のうちに持って生れた本能のままに振舞うと思われる。
犬のアクビを微笑ましく思い撮影し投稿する人は確かにいるようだ。
それが共感を生み、審査員の琴線に響くとき、入賞するのでしょう。
その写真を見た多くの人たちも撮影者と同じ余韻に浸るに違いない。
そんな人同士は自然のうちに親しみを覚えて互いに心を開くのです。
寅彦一人、何一つ技巧を凝らさない共感の姿を近くで観察していた。
さて、彼らは寅彦の存在など少しも気に留めなかったのでしょうか。
それで、寅彦は「至純の同情」を皆とともに出来たのか?
つまり、寅彦は夜ふけの汽車で欠伸したのか、欠伸しなかったのか?
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