伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む市議会議員。市政や市議会、日常の活動などを紹介していきます。

世界から核兵器をなくそう・署名呼びかけ

2015年08月06日 | 日本共産党
 8月6日。朝8時15分。広島市の上空で炸裂した一発の原子爆弾で、その年の年末までに14万人の方が命を落としました。それから70年、世界に1万5000発以上ある核兵器の廃絶を求める運動が脈々と受け継がれています。

 この日は、平の七夕まつりの初日とも重なり、町には若い人たちがあふれていました。その中、イトーヨーカ堂前で、核兵器の廃絶を求める署名行動が取り組まれ、参加しました。

 子どもたちも大人も署名に賛同してくださり、1時間程の間に200人を超える方から署名をいただきました。

 この日の朝、広島では市主催の平和記念式典が開かれました。

 松井市長は平和宣言で、核兵器の廃絶に世界そしてこの日本が取り組むことを呼びかけながら、「信頼を基礎にした、武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出していかなければなりません。その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、日本国憲法の平和主義が示す真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます」と述べ、また、「世界の人々に対し、決意を新たに、共に核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすよう訴えます」と訴えました。

 昨年は、式典に先立つ7月1日に、集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更の閣議決定をしたことを受け、これを批判する文言を盛り込んでいました。今年は、安保(戦争)法案の衆院強行採決と参議院での審議が進む中で、日本国憲法の精神に立って、日本が世界の平和に貢献することを呼びかけ、暗に法案への痛烈な批判を、宣言に盛り込んだのでしょう。

 これに対し安部首相は、昨年も、また今年のあいさつでも、核兵器廃絶と恒久平和の願いを国民が大きく発信している時に、集団的自衛権行使容認にも、安保法案にもまったくふれずに、あいさつを閉じました。そこには、被爆者、国民と、政権がすすめる戦争に参加する国づくりの間に大きな乖離があることを自覚していることがあらわれているように思います。国民に、被爆者に、まともに説明ができないからなのでしょう。

 街頭署名に協力してくれた方々も、すぐにペンを取り署名される方、通り過ぎながら呼びかけに共感し戻ってきて署名をしてくださる方、様々な形で核廃絶の願いを寄せてくださいました。

 思えば、政治的な問題に意識を持ち始めたのは、自衛隊がハワイ付近で米海軍とともに共同軍事訓練を始めた、確かリムパックという作戦名でしたが、その記事を読んだ時だったと思います。労組が購読していた「学習の友」に掲載されたもので、ある意味この雑誌がその後の人生ですすむべきラインをひいたと言えるかもしれません。

 その後、横浜市にいた時には、平和行進や原水爆禁止世界大会長崎大会に参加し、原子力空母が横須賀配備された時には、それに反対し署名行動にも参加しました。ある外国人の青年が署名し、住所欄に確か「Midway」と記したことに、驚いたというか「いいのかなぁー」なんて思ったことも思い出します。青年は空母「ミッドウェイ」の乗組員だったんですね。

 それからずっと平和を考えることには、何らかの形で参加してきました。こうした運動に多くの方が応えてくださることに喜びも感じます。この日の署名もご協力ありがとうございました。


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