伊藤浩之の春夏秋冬

いわき市遠野町に住む元市議会議員。1960年生まれ。最近は遠野和紙に関わる話題が多し。気ままに更新中。

見ようとしなければ・・

2021年05月29日 | 
 春の訪れとともに、花を咲かしたヤマザクラの木も、いまや葉桜。ところどころ、虫食いの葉っぱがあるなど、春から夏の豊かさを土台で支えているようだ。

 ある時、葉っぱの中に赤いサクランボが実っていることに気がついた。





 ああ、こんな木でも、果実を実らせるんだ。妙に感動したことを覚えている。ただ、味は保障の限りではない。

 自宅のサクラは、たぶんヤマザクラと何かの雑種。3m程よりは大きくならない品種のようだ。この木にもサクランボがなった。赤から赤黒く変わった果実を撮ってかじってみた。

 渋っ

 たぶん、お勧めできない味だと思う。

 ヤマザクラの木のサクランボは認識していた。しかし、茂った葉っぱに見える赤い粒々は何だろう。疑問に思ってズームして撮ってみて、この粒々が全てサクランボだと知って驚いた。



 サクラの花は毎年、たくさん咲く。そして毎年、このようにたくさんのサクランボを実らせていたのだろう。こんな後景には全く気づいていなかった。

 気づいた時に浮かんだのが、「見ようとしなければ 何も見えはしないのです」のフレーズだった。

 このフレーズは、シンガーソングライターのイルカさんの歌「風にのせて・・」の一説だ。

 イルカさんの歌は昔良く聞いた。中学3年生の頃には、たまにラジオを聞くようになっていた。土曜日、午前の授業を終えて、時としてクラブ活動などして自宅に帰る。午後3時からNHK・FMで三宅アナがジョッキーを務めるリクエスト・アワーを聞くのが日課になっていた。この頃、ヒッとしていたイルカさんの「なごり雪」を聞いた。いいなー。そう思い、シングルレコードを買い求め、何度も何度も聞いていたことを思い出す。

 伊勢正三さんの提供した楽曲であることには、数年後に気がつくわけだが、この曲でイルカさんに興味が湧き、高校生になってからだったと思うが、イルカさんのLPレコードを聴くようになった。そのうちの一つ「イルカの世界」に収録されていたのが、「風にのせて・・」だ。



♪・・
風にゆれる花を
「きれいね」とあの人はいった。
ぼくは、今まで何も気づかなかった。

風にゆれてる花が
君には、見えますか?
見ようとしなければ、何も見えはしないのです。

急ぎ足で通り過ぎて
行くなんて、
木にも知って欲しいな、
心のとびらをあけて。
・・♪




 主人公は「ぼく」。ぼくは「あの人」・・女性なのだろうか、男性なのだろうか・・花がきれいといっているのは、女性に違いないと思っていたが、今、考えれば男性でもぜんぜん構わないけれど・・ともかく「あの人」が花がきれいと言ったことを聞いて、初めてその花の存在に気がついた。普段から目に入っていたはずなのに。そして、「ぼく」は、その花の美しさに心を打たれ、安らぎ得たたようだ。

 「君」は、悲しみにうちひしがれていたり、つらい気持ちを抱え、うつむいている「見知らぬ街」の「少年」。君の思いとは関係なく、花が咲き、虫が飛び、鳥が歌い、四季が移ろっていく。その自然の営みに気づき安らぎを得た僕のように、見知らぬ少年にも安らぎを得て欲しい。そんな思いが込められていると思う。

 きっかけは、あの人の「きれいね」という言葉だった。

 私の場合、散歩をしながら「きれいね」と声をかけてくれる「あの人」はいない。しかし、ふとした瞬間の気付きの積み重ねが、往復3km程のわずかな散歩の道程を豊かなものとしてきた。

 ふとした気付き。この気付きの前には全く見えなかったものが、いつでも見えてくるようになる。そして、3kmの道は、一本の線から、複雑に折り重なり広がった道に変化を遂げてきた。その現実が、「見ようとしなければ 何も見えはしないのです」という言葉とメロディーとして意識に浮かび上がってきたのだ。

 ふとした気付きで発見したのが、最初の写真のサイハイランだ。



 散歩は愛犬・ノアを飼い始めてから始めた。3ヶ月程の黒ラブと何かのミックスを引き取り、その後、歩き始めている。2010年2月頃のことだ。翌11年3月11日に東日本大震災が発災、原発が水素爆発事故を起こした。この時はさすがに、1週間程度散歩を中断した。放射性物質の拡散という状況の下、さすがに散歩はためらわれたのだ。

 1週間程で再開。事故原発から放出されたヨウ素131の半減期はだいたい8日間なのだが、別に、これを意識した分けではなかった。さすがに愛犬も、ストレスを極度化しているだろうと思ったのだ。この時には、10年12月に、散歩の途上で出会ってしまった野良子犬・マメ太もいた。

 それはともかく、10年から散歩を始めて、すぐ道端に咲いているサイハイランに気がついたのは、5年後の15年のことだった。気がついた日の前日だったと思う。滝富士登山に参加し、サイハイランを初めて見た。ネットで他の花の名を調べる時に、この花の写真を見てはいるのだが、実物を見たのは、この時が初めてだった。

 翌日、散歩をしていた時、道端の草むらの中に、昨日見たサイハイランと似たような植物を見つけた。これが、散歩での初めての出会いとなった。

 現物を見て花の雰囲気を知り、見つけやすかったということはあるだろうが、実に5年間、ほぼ毎日歩いていながら、花の存在にみじんも気がつかないでいたのだ。

 こういう花は結構ある。ハコネウツギは、視線により少し高いところに咲いており、見上げないと見つけることができない。ある時、落ちた花を見つけ、見上げて始めて見つけたし、少し離れているが、ホオノキの花も気がつくまでに数年を要しただろう。

 道の途中の草むらが、シーズンになると一面、オドリコソウに覆われていることに気がついたのは昨年のことだった。伸びたスギナに隠され、見えにくかったとは言え、気がつけばたくさんの花があるというのは驚き。たぶん散歩を始めた頃にはすでに花畑になっていたのではないだろうか。写真は今年咲いたオドリコソウだ。



 その中で、散歩当初から気がついていたのがコアジサイだ。



 日蔭に咲く、透明感をまとった淡い青色の花。ひっそりと、しとやかに咲くこのアジサイは大好き。

 この花はそろそろ花期を終えようとしている。

 道端には、モミジイチゴ、ニガイチゴ、クサイチゴ、クマイチゴ、ナワシロイチゴと順繰りに花を付けていく。
 今は、ナワシロイチゴがアポロチョコのような形の花を次々と咲かせている。



 最も早くに咲いたモミジイチゴは、つやつやの実を実らせている。



 こちらは、ヤマザクラのサクランボと違って、甘酸っぱく、美味しく食べることができるだろう。けれど、小鳥の貴重な食べ物。採取せずに実らせたままにしておこう。


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