介護の技術・知識のまとめ

研修で学んだこと、職場で経験したことなどをまとめた場所です

退職の経緯と理由、そしてその後に向けて

2022-07-26 15:39:11 | 日記

退職に至る経緯

 

  1. 仕事について上司に相談
    仕事がきついと感じるようになったこと、自分の技量不足で周囲に迷惑をかけているのではないかと不安があることを相談。合わせて、夜勤での不安が大きく、ギリギリの状態で夜勤帯の業務をしていて事故発生の危険を感じることを相談する。
    それに対して、二言目ぐらいに「辞めたいのか?」と問われてしまう。
    辞めたければ最初から「辞めたい」とハッキリ相談するし、どうしてそういうことを言われるのか、不審に思う。

  2. 上司に加え、施設長をはじめとする経営幹部とも面談する
    後に副施設長になる人からも、始めの段階で「辞めたいのか?」と問われてしまう。辞めて欲しいのか?と訝しい気持ちになる。
    そして、自分の仕事に不安があるなら、周囲に助けてもらえばいい、と言われるも、「ここの仕事は利用者を支援することが最優先」とも言われる。先輩職員たちが未熟な職員の指導をすることも失敗をフォローすることも業務外でやることなんだから、ということをにおわされる。協力して仕事をするものだ、と言いつつも、こんなことを言われては、周囲にヘルプを頼むことはできない。

  3. 夜勤ができないことを口実に正職員から非正規職員へ「降格」される
    夜勤に対する不安を相談したものの、何らかの支援を受けることはなかった。利用者支援が最優先であり、未熟な職員の指導は迷惑なことだとほのめかされているわけだから、当然、追加の研修などを期待することはできない。
    結局、夜勤をやらないなら正職員では雇用できない、ということで、非正規職員への「転換」をほのめかされる。再び夜勤ができるようになれば正職員にすぐに戻れる、とは言われるも、夜勤ができるようになるための研修やトレーニングが提供されない以上、夜勤ができるようになるわけがない。必死に頑張っても不安を拭えず、夜勤帯の業務が綱渡りになってしまったのだから、もはや自分一人の努力でなんとかなる段階ではない。
    実際に非正規職員への「転換」を受け入れざるを得なくなった時、「降格希望」という書類の提出を求められる。ここで初めて、「転換」ではなく「降格」であることを知る。

  4. 業務負担軽減という名の制裁
    日勤帯でも仕事の負担が大きいならば、と「業務負担軽減」という名の下に、ユニット内で担当すべき利用者や業務内容が限定されるようになる。ここに至り、はっきりと私の技量の未熟さが「見える化」されてしまう。薄々私の仕事に不満を抱いていた程度だった先輩たちにとっても、リーダーやその上のお墨付きで負担軽減措置となったことで、その不満が個人的な思いではなく公的に認められる当然の懸念だったことが明確になった。結果として、私は現場での居場所を徐々に失っていく。

  5. 今後の成長が期待できないことも「見える化」される
    仕事を覚えて技術を磨くには、とにかく実際にやってみないとダメ、という方針の下、新任の時から過大とも思える負担に耐え忍んできた。しかし、徐々に精神的に辛さを感じるようになると、負担を感じながらも業務をすることで技術を磨く、ということができなくなった。すでに通常業務でも負担を大きく感じてギリギリの状態なのだから、それ以上の負担に耐えられるわけがない。
    さらに「業務負担軽減」という名の下に、私に対する業務負担を減らすようにとの指示が流れたことで、先輩たちにとっては私の成長を促すことが事実上不可能となった。負荷をかけられない以上、「実際にやらないとダメ」という状況では成長は見込めない。
    すでに現場では私に対して物足りなさを感じているところ、この先の成長も見込めないということで、さらに居場所を失っていく。

  6. 心身が限界を迎える
    居場所がなくなりながらも、なんとか取り戻すべく必死に働いたが、限界は想像以上に早くやって来た。最初に相談してから2か月半ほどで、退職した。これ以上無理して続けても、自ら命を絶つまで追い込まれた可能性があったろう。

「半年あれば一通りの仕事が出来るようになる」と言われていたが、私には無理な注文だった。綱渡り状態で必死に食らいつき、それなりに現場で役に立つことはあったろう、とは思いつつも、それが不十分であることも理解していたし、特に仕事の遅さについて先輩たちが不満に思っているだろうことは常に感じてきた。

仕事の速さと丁寧さの両立は常に問題意識を持って取り組んでいたし、丁寧さを求めることは間違ってない、と言われたこともあった。でも、現場の状況はそれを許さなかった。特に日勤帯の仕事を締める段階では、仕事の遅れは他の日勤者の終業時間をも遅らせる要因になってしまう。実際に、定時で全ての仕事が終わった経験は数えるほどしかない。特に仕組みの問題として何かが変わっていったこともないので、他の人が日勤の時には遅れることはほぼなかったのだろう。結果、勤務表で私と同じ日勤シフトに入ってしまった人は、ハズレくじを引いたことになってしまう。

いわゆるOJTでの研修だったが、「放置」と変わらないじゃないか、と思える時もよくあった。「やらないとできるようにならない」が「やってればできるようになる」と同義になっていたようにも思える。個人の努力で工夫することや学ぶことがあるのは当然だが、放置されて一人でやってればできるようになる、という簡単な世界ではないと思う。実際に、できないことへの不安を相談しても、教えてもらうことは期待できなかった。チームで協力して仕事をする、と言われながらも、技術の取得は個人プレーなのか、と絶望的な気持ちになったこともある。

当然、この職場できちんと仕事をして、不安やストレスを抱えることなく心身が充実して仕事をしている人ばかり。この環境で上手くいかなかった私が特殊事例なのも理解している。でも、現実に上手くいかなかったのだから、退職は当然の流れだし、現場の上司や経営幹部にしても、上手くいかないだろうことを理解して、早い段階での「辞めたいのか?」という言葉でその流れを作ろうとしていたのかもしれない。

 

今後は、環境を変え、また介護関係の職に就くべく就活中である。地理的にも離れた知っている人のいない場所で、出直す。この過程から学ぶべき教訓もあるし、ゼロからまた取り組む覚悟である。



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