3月上旬、尾道にて実物大「大和」のセット見学に出かけられていた、
kannaさんが帰路の途上わざわざ地元の近くを寄って頂いたので、
昼食をご一緒したり「空印寺」をご案内したりしたのですが、
お話を伺っているうちに触発されて、
1月に通行止めで尋ねられなかった「分校舎」を含めた、
雛見沢巡礼にその翌週行くことにしました。
折りしも偶然Web検索で、校舎の屋根の一部が
破損していることを知り(情報を提供していただいたそのHP
を失念してしまいました 確か『三四の日』に訪れた方だと
記憶しているのですが)、後追いですが確認せねばと
早春の雪解けの気候を狙って、いざ向かいました。
ですが直前の道路情報で地元から岐阜県境の状況が
芳しくないのと、想定外の山間部での寒の残りを一応念頭において、
往復とも金沢経由の道をとりました。
そうして朝到着した「分校舎」の姿は、Kとレナとの決闘の後にも
壊れなかった(笑)玄関前の屋根が、積雪で
根元から折れているという深刻なものでした。
「梨花ちゃんの小屋」といい人気のない建物は、やはり
傷むのが早いということなのでしょう。
まだ残雪も1m近くあり雪の加重の大きさを想像させます。
(いくつかの写真の目線が高いことでお分かり頂けると思います。)
融雪が作る水溜りが氷を張る中、久しぶりに一回りして
多めの枚数の写真に収めてきました。
途中白川村側から車が1台横付けし、一組のご夫婦が私の方を
訝しげに一瞥しながら降り吊り橋を渡って行かれましたが、
季節を問わず山へ渡る皆さんは、一体どちらへいかれるのでしょうか?
拙文よりもとにかくいかに写真を掲載していきますので、
その「惨状」をご覧下さいませ。




















・・・回線の細い方や画面の解像度の低い方、重くてごめんなさい。
このあと「雛見沢村」市街地にももちろんいったわけですが
真新しい発見はなく、「皆殺し編」初出の新背景元がある
「合掌造り民家園」内も最小限の施設間の道筋しか除雪しておらず、
アプローチが全く不可能でした。
そういう訳で4月の再訪問に期待しつつ家路に着いたのでした。
kannaさんが帰路の途上わざわざ地元の近くを寄って頂いたので、
昼食をご一緒したり「空印寺」をご案内したりしたのですが、
お話を伺っているうちに触発されて、
1月に通行止めで尋ねられなかった「分校舎」を含めた、
雛見沢巡礼にその翌週行くことにしました。
折りしも偶然Web検索で、校舎の屋根の一部が
破損していることを知り(情報を提供していただいたそのHP
を失念してしまいました 確か『三四の日』に訪れた方だと
記憶しているのですが)、後追いですが確認せねばと
早春の雪解けの気候を狙って、いざ向かいました。
ですが直前の道路情報で地元から岐阜県境の状況が
芳しくないのと、想定外の山間部での寒の残りを一応念頭において、
往復とも金沢経由の道をとりました。
そうして朝到着した「分校舎」の姿は、Kとレナとの決闘の後にも
壊れなかった(笑)玄関前の屋根が、積雪で
根元から折れているという深刻なものでした。
「梨花ちゃんの小屋」といい人気のない建物は、やはり
傷むのが早いということなのでしょう。
まだ残雪も1m近くあり雪の加重の大きさを想像させます。
(いくつかの写真の目線が高いことでお分かり頂けると思います。)
融雪が作る水溜りが氷を張る中、久しぶりに一回りして
多めの枚数の写真に収めてきました。
途中白川村側から車が1台横付けし、一組のご夫婦が私の方を
訝しげに一瞥しながら降り吊り橋を渡って行かれましたが、
季節を問わず山へ渡る皆さんは、一体どちらへいかれるのでしょうか?
拙文よりもとにかくいかに写真を掲載していきますので、
その「惨状」をご覧下さいませ。




















・・・回線の細い方や画面の解像度の低い方、重くてごめんなさい。
このあと「雛見沢村」市街地にももちろんいったわけですが
真新しい発見はなく、「皆殺し編」初出の新背景元がある
「合掌造り民家園」内も最小限の施設間の道筋しか除雪しておらず、
アプローチが全く不可能でした。
そういう訳で4月の再訪問に期待しつつ家路に着いたのでした。