Hironobu824~『夢の旅人』

日常の様々な出会いや出来事を折々の写真や動画ムービーとともに・・徒然なるままに・・・
それぞれの道を『夢の旅人』

【パワー・オブ・メッセージ】⑤

2010年10月31日 09時28分59秒 | 日記
 
 【自動車王フォードに学ぶリーダー哲学】

 『ヘンリー・フォードは、自動車の製造過程で、ナット1本、ボルト1本でも節約することができた人には、2万5千ドルの報酬を与えたと言われています。』 ヘンリー・フォード[訳注]がいなかったら、アメリカは、今のアメリカのようにはならなかったでしょう。 執拗なまでにコストの削減と生産性の向上を目指した結果、一般の人でも買えるような自動車を作り出し、それが道路や高速の広大なネットワークの建設にもつながって、今日の車社会を生み出したのです。 また今日の自動車業界で当たり前になっている、総合的品質管理や連続的改善プログラムも生み出しました。 自動車業界が学んだ教訓の1ページには、すべての人間に当てはまるアドバイスが書かれています。顧客のニーズや要望に徹底的に耳を傾ければ、顧客の生活に欠かすことのできない存在になることができますが、しかし永続的なものは何一つないのです。 どの産業においても、連続的品質改善が要求されています。今日のグローバル経済において、品質は最低の必要条件でしかありません。 リーダーとはビジネスのどの局面においても、競争相手よりも著しく優れている人をいうのだと思います。

 [訳注]ヘンリー・フォード(1863~1947) ミシガン州生まれ。機械工場の徒弟、機械工、その後デトロイト・エディソン社の主任技師となった。1903年、1週間に2万台の製造能力を有するフォード自動車会社を組織し、社長に就任した。部品の標準化、流れ作業、8時間労働制、病院の完備など進んだ経営哲学を主張した。自動車王。




『昭和TV』

2010年10月29日 17時47分31秒 | 日記
昨年 マイクロソフトの資格取得も兼ねてパソコン教室に通いましたが・・・

勉強の合間の息抜きに・・・パソコンゲームの定番、将棋や碁を楽しむ年配の方・・・
簡単なトランプゲームのソリティア、スパイダーソリティアとかを楽しむ方・・・
ナンプレや常識クイズみたいなのに嵌まる方・・・
休憩時間の過ごし方はマチマチでした。

若いメンバーはやはり、Youtubeやニコニコ動画をはじめとした動画サイトを楽しんでました。
僕自身は温故知新的にYahoo!のサービスの一つGayo!でSUNTORY提供の『昭和TV』
を楽しんでました。無料サイトにしては中々のラインナップです。
ご存知の方も多いでしょうが、まだの方はお薦めです!!

映像トピックス
GyaO!ストア
映像ニュース
テレビ番組表
ヘルプ

あと、以下に動画関連のサイトを載せておきます。
※変更・廃止の際はすみません。
あと、各人の責任の上でお楽しみ下さいね。
視聴に関する質問や苦情は当方では受付られませんので・・・宜しく!

日本語サイト

YouTube
Veoh
Dailymotion
ニコニコ動画
mixi動画
AmebaVision
MySpaceTV
FlipClip
nifty動画
fc2動画
フォト蔵-動画
WatchMe!TV
eyeVio
mooom.jp
PeeVee.TV
みなくるビデオ
ClipCast
mofla.tv
RAYRACTV
SayMove!
sevenload
GoogleVideo

【パワー・オブ・メッセージ】④

2010年10月29日 15時36分36秒 | 日記
                                        
『失敗と成功』

          
 『自然は、それを発見しようと決意している人にだけに
その深遠な秘密を明かします。』 
成功は、常に的確な思考のノウハウを応用し粘り強く断固と
した努力を続けている人々によってもたらされる
―― おそらくその最も良い実例となるのが科学の分野です。
 アメリカの誇る偉大な発明家トーマス・エジソン[訳注]
は、実用可能な電球を完成するまでに、一万回も失敗を繰り返した
と言われています。でも彼は、一つひとつの失敗から学び、
成功するまで決して諦めませんでした。
 科学は、日々めざましい進歩をとげています。
なぜなら、他の人が全員諦めて家に帰ってしまった後もずっと、
エジソンのような断固とした決意のある人が、
問題を究明し続けているからです。
電球や次世代スーパーコンピュータの発明は無理だとしても、
成功のノウハウを一貫して根気強く実践すれば、
今後あなただって、古くからある問題に対して、
誰も思いつかなかったような解決策を、
見い出すことができるでしょう。

‥…━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…
 [訳注]トーマス・エジソン(1847~1931)
 米国オハイオ州ミランの生まれ。学校にはほとんど行かず、
鉄道の新聞売り子となり、駅で電信技術を習った。
印刷電信機、蓄音機、白熱 電灯などを発明する。
活動写真を蓄音機と結びつけて『キネトフォン』とした。
それがトーキー(発声映画)の先駆となった。


*‥…━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━…
  私も、昨夜、大きな失敗をして、大切な大切な
”心の友を”失った・・・かけがえの無い人の繋がりという宝。
今朝一番に綴ったことです。二人のケース
最初の年上の方は転職と新しい人生の生き方、伴侶を追って
去られた。もう一人の年下の子は私の不用意な言動から傷つけて
しまい、去って行った。最初の方はある種不可抗力な別れ。
でも、もう一人は、少なからず、僕の思慮深さの欠如から
引き起こしたともいえる、責任の所在が私にもある別れ。

正直、二人が去った今、この舞台から私も去ろうかと考えた・・・
でも、少なくとも二人が偶然・必然関わらずに導いてくれた場所。
与えてくれたアイテム。私は、此処に居座り、言葉を紡ぐ機械を
駆使して頑張って行く決意をした。
心の中は言い知れぬ寂寥感で一杯だけど・・・・
【春夏秋冬~季節の中で】 【パワー・オブ・メッセージ】を発信して
行きます。叱咤激励を宜しくお願いします。

【パワー・オブ・メッセージ】③

2010年10月27日 11時48分02秒 | 日記


 『戦い続ける人には、常に勝利の可能性があります。』


 長い間イギリスの征服を狙っていたジュリアス・シーザー[訳注]は、
 ブリテン島まで航海し、軍隊と補給品を陸に揚げた後で、船をすべて
 燃やすよう命令しました。それから全員を集め、「さぁ、勝つか死ぬ
 かだ。我々に選択肢はない」
と言いました。この采配で、シーザーは、
 作戦の成功を確実にしたのです。

 勝つこと以外に選択肢がなければ ―― あるいはそれ以外の選択肢を
 受け入れようとしなければ ―― 必然的に戦いに勝てることを、シー
 ザーは知っていたのです。

 勝利が不可能に思える状況に陥った時は、別のコースをとって行動す
 ることが、目標達成に有利に作用することもあります。もしあなたの
 目標が真正面から攻撃しても動かないようであれば、別な角度からア
 プローチしてみましょう。

 解決不可能な問題など、人生にそうめったにはないのです。また、変
 動する状況に対応できる柔軟な計画を持った、決意の固いやる気のあ
 る人に対しては、最後まで立ちはだかる障害もありません。



 [訳注]ジュリアス・シーザー(BC102-44)
 古代ローマの政治家。クラッスス、ポンペイウスと結んで第一次三頭
 政治を行い、9年間にわたるガリア遠征の中で、巧みな戦術で諸種族
 を撃破、100万人の住民を奴隷にする。この結果、莫大な借財を返
 済して、ローマ最大の富豪となり、見世物、パンを提供して貧民の人
 気を得る。クラッススの死後、ポンペイウス軍や元老院派をエジプト、
 北アフリカなどの各地で破り、終身の独裁者となる。この間貧民、兵
 士への土地分配、太陽暦の採用などを行う。しかし共和制の形骸化と
 彼の王への野望を恐れたブルータスなどに暗殺された。

肌寒い朝です

2010年10月27日 09時26分29秒 | 日記


 九州も肌寒い朝です。

北海道では例年より早く雪の便り。。。

狭い島国とはいえ、日本列島はやっぱ北から南広いんですね。

奄美地方の大雨被害を心配してる間に・・・

北海道では、もう雪ですかぁ~

kur*mi1*521*0*さんの朝一番の冬景色
http://blogs.yahoo.co.jp/kurumi19521103/239556.html

拝見して感動暫し・・・・



長いようで、アッという間の一年。

ちと・・気が早いですが・・

ハロウィン終わって、

寒いからそろそろ鍋だね、おでんも食べたいね、

とか言ってる間に

クリスマスイルミが街に輝き出し、

クリスマスの賑わい終わったら、今年もカウントダウン。。。。。。


さぁ~!3コーナー回って、4コーナー・・・最後の直線へ・・・・・

2010年ラストスパートです。

パワー・オブ・メッセージ②

2010年10月26日 12時09分47秒 | 日記

『友情が人生を美しく飾る』
 (『赤毛のアン』より・・・)

 今日は青春真っ只中・・・いや、生涯青春の皆さんに・・・
カナダの美しい自然を舞台にした『赤毛のアン』の物語に
出てくる言葉を紹介したいと思います。

 あまりにも有名な物語だから、皆さんも読まれたことがあるでしょう。
まだの方は一読お薦めします。

 
 主人公のアンはおしゃべりで、想像力旺盛で、失敗ばかり重ねます。
しかし、決して落ち込んだりしません。
 大学入学を前に、アンを育ててくれた養父が急死してしまい、
アンは大学進学を断念せざるを得なくなります。
しかし、悲しみの中にあって、アンはむしろ養母を励ますように、
こう語りかけます。

 『自分の未来は真っ直ぐに伸びた道のように思えたのよ。
いつまも先まで、ずっと見通せる気がしたの。
ところが、今曲がり角に来たのよ。
曲がり角を曲がった先に何が有るのかは分からないの。
でも、きっと一番良いものに違いないと思うの。』

 これが、この物語全般を貫く、主人公アンの考え方であり、
人生観です。
アンはどんなに不幸な運命に出会おうと、決して嘆かない、
悲しまない、負けはしませんでした。
 『曲がり角を曲がれば、
 きっと素晴らしい景色がまた広がっているに違いない!』
と考え、明るく、伸び伸びと生きて行きます。
 
 また、アンは
 『友情が人生を美しくする』
と、いつも友人を大切にしました。

人生で一番美しく薫って、人生を一番美しく飾っていくものこそ
真の友情だと思います。

 こうした人間として平凡だけど、正しい考え方生き方で
アンは教師となり、妻となり、母となって幸福な生活を送りました。

 数年前のテレビのドキュメンタリーで私の好きなアーティストで、
還暦を越えても、美しい歌声を聴かせてくれてる小田和正が語ってました。

 『これからは、若い頃の思い出と生涯の友情が財産です。
 ファンもだけど、同級生たちを応援するような歌を歌っていきたい・・・(趣旨)』

 地位や名誉やお金に代えがたい人生の宝は、生涯の友人だと
実感する今日この頃です。

 私は、この『赤毛のアン』の物語を通して、
こうした考え方・生き方が出来ること自体が人間として幸福であると思います。
人間、強いようで、弱いもので、いざ苦難に直面すると、
すぐ嘆き、悲しみ、自分独りが不幸な境遇だと、小さな殻に閉じ篭もり、
落ち込んでしまい、夢を諦めてしまいがちです。

 今、希望に燃えた青春の春の真っ只中にいる皆さんも・・・
やがて、額に汗する暑い夏を経験し、心に穴のあいたような人恋しい秋風に吹かれ、
いつまで続くのか!?と感じる厳しい冬の寒さを味わう時が有るでしょう。
 例えば、勉強が思うように進まない、試験で悪い点数を取ってしまった、
果ては落第しただの、停学だの、退学だの・・・
受験に失敗し、希望のコースに進めなかったり・・・
就職に失敗して、希望の職に就けないとか・・・
失恋したり、離婚したり、仕事で失敗したり、リストラに遭ったり・・・
病気をしたり怪我をしたり・・・
悪い事例ばかり列挙したみたいですが、世知辛い今の世の中、
他人事、対岸の火事じゅあ~無いと思います。
私も少なからず、この中の幾つかは経験しました。
仕事柄出会う人生の大先輩の方々が異口同音に語られます。
【人生は紆余曲折の繰り返し、山あり谷あり!!】と・・・・・

 そんな時こそ、この物語の主人公アンのように・・・
前向きで明るい”楽観主義”で乗り越えて行きたいと思います。

 そして、独りで負けそうな時、心が折れそうな時こそ、
 『まさかの時の友は真の友』で友情パワーが凄い力を発揮すると実感します。
色々な優れた先人の知恵の言葉に
 『冬は必ず春となる』
 『朝の来ない夜は無い』
 『After rain comes the sun』(雨の後には太陽が輝く)【アメリカの諺】
とあるように、負けない、前向きな楽観主義で進めば、道は必ず開けるものと
信じて一日一日を心新たに生きて行きましょう!!


なん~か人生達観したような偉そうな内容になり、すみません。
想いのまま・・・徒然なるままに・・・なのでお許しを。。。。。












春夏秋冬・・・季節の中で  四季のある日本って素敵ですね。

2010年10月26日 10時09分00秒 | 日記
ここ数日来・・・
色々、ネットサーフィンならぬ
”ブログサーフィン”しながら、色々なブログを拝見してました。
世の中素晴らしい感性を持った方がたくさんいらっしゃることに改めて感動してます。
ブログ全くの初心者ですが・・・始めて良かったと思ってます。
今までは新聞や雑誌やラジオ・テレビ媒体の投稿、モニター中心でしたが・・・
新たな発見、感動が日々あります。
花や風景の愛し方が深く大きい方のブログにも、ただただ圧倒されました。
素敵な出会いもありました。
青春の淡い恋や、切ない甘酸っぱい感情、トキメキなんかを思い出させてもらってます。感謝。














心に『夢の王国』を・・・

2010年10月25日 18時32分30秒 | 日記
     心に 『夢の王国』 を拡げよう



百年に一度の”世界的大不況”~”世界的経済危機”と叫ばれる昨今。

そんな不況だ、不景気だの暗い世の中で、かなりの入園増加を続け、

多くのテーマパークが伸び悩む中で

”独り勝ち”なのが、多くの人が愛する 『夢の王国~ディズニーランド』。

1983年に浦安にオープンして以来、後続の『ディズニーシー』とも合わせ、

数多くのリピーターを生んでます。

私も東京の大学生~社会人時代以来、十数回も訪れている大好きなテーマパークです。

九州 福岡のキャナルシティ隣接にディズニー初の屋内型テーマパークの話が持ち上

がっていたのが頓挫し、

つい先日は、そこに『第二キャナル』が出来るとの新聞報道に正直残念に思ってます。


 今日はこの、世界中に多くのファンを持ディズニーの世界の創作者であるウォルト=

ディズニーの逸話を紹介します。



 ディズニーは、皆さんもよくご存知の ミッキーマウスや、ドナルドダックをはじ

め、世界的な人気キャラクターを生み出した立派な芸術家です。

映画の世界でも、多くの賞に輝いています。

 彼は子供の頃から、人を喜ばせるのが大好きでした。

どうせ、人生 生きるなら、皆が楽しく、愉快に暮らせるようにしてあげたい

と思っていたようです。
 
 彼は絵が得意でした。絵を描いて、皆が喜んでくれるのを見ることが、

何より嬉しかったのです。

しかし、彼の家は決して お金持ちではありませんでした。

小さい頃からアルバイトをしていました。

その上、八歳の時には、お父さんが病気になってしまい、家はますます貧しくなっていきました。

でも、ディズニー少年は、へこたれませんでした。

お父さんを助けて新聞配達をしながら、学校に通いました。

ディズニーは、どんな大変な時にも、大好きな絵だけは忘れませんでした。

真剣に勉強し、絵を描き続けました。

そして、いつしか 『自分は絵で人々に勇気を与えて行こう。愛と喜びを与えて行こう。それを一生の使命にしたい!!』

と願うようになりました。

 その願い通り、やがて、ディズニーの作品は、世界の人々の心を温かい光で包み、

希望と優しさを送り続けるようになりました。

 
 私は、その力の源泉は、彼の少年時代の苦労の中にあったと思います。

世に偉人と呼ばれる人々や成功者は皆、苦労しています。

様々な苦しい事を経験してこそ、自分自身も鍛えられ、人の心も分かるようになり、

ひいては、立派な仕事も出来るようになるのだと思います。


 ディズニーは、まず、小さな広告会社で働き始めました。宣伝の絵を描く仕事です。

大きな夢に向かって、現実の一歩を踏み出しました。

やがて、映画作りも始め、次第に名前も知られるようになりました。

 しかし、そんな夢に近づく最中に、ディズニーは、信用していた人間に騙され、裏切られてしまいます。

夜もろくろく寝ないで作った大事な映画の権利を奪われてしまったのです。

その上、多くの社員たちも去って行きました。

ディズニーは、悲しみのどん底に突き落とされてしまいます。

お金も無い、仕事も無い、頼れる味方も無い・・・・何もかも無くして

 『もう駄目だ!』 と思いかけました。

しかし、ディズニーには、あの少年時代からの『夢』がありました。

絶対に挫けるわけにはいきません。

 『何とかしなければ・・・・』

その苦渋の最中、孤独な彼の心に浮かんだのは、ある ”友達” の事でした。

”友達”とは・・・以前、ディズニーが独りぼっちで絵を描いていた時、部屋に現れた ネズミ の事です。

心優しいディズニーは、たった一人の友達に、自分のわずかな食事である パン を分け与えたのです。

 『そうだ!!彼がいる!!』

ディズニーは、その”小さな心の友”を新しい主人公に決めました。

これが、今や世界中で愛される大人気キャラクター 『ミッキーマウス』 の劇的な誕生の瞬間だったのです。

『ミッキーマウス』は、たちまちアメリカ中の人気者になりました。

陽気で、元気いっぱいに走り回るミッキーに、大人も子供も、そしてどこの国でも、

人々は惹きつけられました。


 あの、ほがらかな人気者”ミッキ^-マウス”が、実は、このような、ディズニー苦しい涙の中から誕生した事を知り、

深い感銘を受けました。

 『ピンチの後にはチャンスあり!』

一番つらい時、悲しみの涙に沈む時、その時こそ、一番大切な時なんだと、あらためて痛感します。

苦衷の真っ只中こそ、新しい道が開ける一番のチャンスの時なんですね。

そして、ディズニーのように、努力する限り、負けない限り、心の中の”夢の木”は伸び続けることが出来る。

自分に負けない努力こそ、夢を育てる栄養分なんですね。


 続けて、ディズニーは『ドナルド・ダック』や『ダンボ』 『バンビ』など、楽しい仲間を世界に送り出していきます。

そして次々と新しい仕事に挑戦し、映画の世界に夢を大きく拡げていきました。

 そして彼の夢は、どんどん大きくなり、世界中の何処にも無い 『夢の王国』 を作りたいと思うようになりました。

『たくさんの人々を喜ばせてあげたい・・・・・!!』

その尊い気持ちから、あの『ディズニーランド』が生まれたのです。


 『夢』というものは、人間だけしか持てない特権だと思います。

夢の無い人は寂しい。夢も無く、いつも現実に追われているだけの人は、いつしか苦労や悲しみに負けてしまいます。

夢のある人には希望があります。心が強くなる。そして、苦しみを楽しみへと変えて行く事が出来ます。



 私達もディズニー程にはいかないまでも、

心に 『夢の王国』 を築けるように、日々明るく前向きに生きて行きたいと思います。



パワー・オブ・メッセージ①

2010年10月25日 12時13分16秒 | 日記

     
心に 『夢の王国』 を拡げよう


百年に一度の”世界的大不況”~”世界的経済危機”と叫ばれる昨今。

そんな不況だ、不景気だの暗い世の中で、かなりの入園増加を続け、多くのテーマパークが伸び悩む中で

”独り勝ち”なのが、多くの人が愛する 『夢の王国~ディズニーランド』。

1983年に浦安にオープンして以来、後続の『ディズニーシー』とも合わせ、数多くのリピーターを生んでます。

私も東京の大学生~社会人時代以来、十数回も訪れている大好きなテーマパークです。

九州 福岡のキャナルシティ隣接にディズニー初の屋内型テーマパークの話が持ち上がっていたのが頓挫し、

つい先日は、そこに『第二キャナル』が出来るとの新聞報道に・・・正直残念に思ってます。


 今日はこの、世界中に多くのファンを持ディズニーの世界の創作者であるウォルト=ディズニーの逸話を紹介します。



 ディズニーは、皆さんもよくご存知の ミッキーマウスや、ドナルドダックをはじめ、世界的な人気キャラクターを生み出した

立派な芸術家です。映画の世界でも、多くの賞に輝いています。

 彼は子供の頃から、人を喜ばせるのが大好きでした。

どうせ、人生 生きるなら、皆が楽しく、愉快に暮らせるようにしてあげたいと思っていたようです。
 
 彼は絵が得意でした。絵を描いて、皆が喜んでくれるのを見ることが、何より嬉しかったのです。

しかし、彼の家は決して お金持ちではありませんでした。小さい頃からアルバイトをしていました。

その上、八歳の時には、お父さんが病気になってしまい、家はますます貧しくなっていきました。

でも、ディズニー少年は、へこたれませんでした。

お父さんを助けて新聞配達をしながら、学校に通いました。

ディズニーは、どんな大変な時にも、大好きな絵だけは忘れませんでした。

真剣に勉強し、絵を描き続けました。

そして、いつしか 『自分は絵で人々に勇気を与えて行こう。愛と喜びを与えて行こう。それを一生の使命にしたい!!』

と願うようになりました。

 その願い通り、やがて、ディズニーの作品は、世界の人々の心を温かい光で包み、

希望と優しさを送り続けるようになりました。

 
 私は、その力の源泉は、彼の少年時代の苦労の中にあったと思います。

世に偉人と呼ばれる人々や成功者は皆、苦労しています。

様々な苦しい事を経験してこそ、自分自身も鍛えられ、人の心も分かるようになり、

ひいては、立派な仕事も出来るようになるのだと思います。


 ディズニーは、まず、小さな広告会社で働き始めました。宣伝の絵を描く仕事です。

大きな夢に向かって、現実の一歩を踏み出しました。

やがて、映画作りも始め、次第に名前も知られるようになりました。

 しかし、そんな夢に近づく最中に、ディズニーは、信用していた人間に騙され、裏切られてしまいます。

夜もろくろく寝ないで作った大事な映画の権利を奪われてしまったのです。

その上、多くの社員たちも去って行きました。

ディズニーは、悲しみのどん底に突き落とされてしまいます。

お金も無い、仕事も無い、頼れる味方も無い・・・・何もかも無くして

 『もう駄目だ!』 と思いかけました。

しかし、ディズニーには、あの少年時代からの『夢』がありました。

絶対に挫けるわけにはいきません。

 『何とかしなければ・・・・』

その苦渋の最中、孤独な彼の心に浮かんだのは、ある ”友達” の事でした。

”友達”とは・・・以前、ディズニーが独りぼっちで絵を描いていた時、部屋に現れた ネズミ の事です。

心優しいディズニーは、たった一人の友達に、自分のわずかな食事である パン を分け与えたのです。

 『そうだ!!彼がいる!!』

ディズニーは、その”小さな心の友”を新しい主人公に決めました。

これが、今や世界中で愛される大人気キャラクター 『ミッキーマウス』 の劇的な誕生の瞬間だったのです。

『ミッキーマウス』は、たちまちアメリカ中の人気者になりました。

陽気で、元気いっぱいに走り回るミッキーに、大人も子供も、そしてどこの国でも、

人々は惹きつけられました。


 あの、ほがらかな人気者”ミッキ^-マウス”が、実は、このような、ディズニー苦しい涙の中から誕生した事を知り、

深い感銘を受けました。

 『ピンチの後にはチャンスあり!』

一番つらい時、悲しみの涙に沈む時、その時こそ、一番大切な時なんだと、あらためて痛感します。

苦衷の真っ只中こそ、新しい道が開ける一番のチャンスの時なんですね。

そして、ディズニーのように、努力する限り、負けない限り、心の中の”夢の木”は伸び続けることが出来る。

自分に負けない努力こそ、夢を育てる栄養分なんですね。


 続けて、ディズニーは『ドナルド・ダック』や『ダンボ』 『バンビ』など、楽しい仲間を世界に送り出していきます。

そして次々と新しい仕事に挑戦し、映画の世界に夢を大きく拡げていきました。

 そして彼の夢は、どんどん大きくなり、世界中の何処にも無い 『夢の王国』 を作りたいと思うようになりました。

『たくさんの人々を喜ばせてあげたい・・・・・!!』

その尊い気持ちから、あの『ディズニーランド』が生まれたのです。


 『夢』というものは、人間だけしか持てない特権だと思います。

夢の無い人は寂しい。夢も無く、いつも現実に追われているだけの人は、いつしか苦労や悲しみに負けてしまいます。

夢のある人には希望があります。心が強くなる。そして、苦しみを楽しみへと変えて行く事が出来ます。



 私達もディズニー程にはいかないまでも、

心に 『夢の王国』 を築けるように、日々明るく前向きに生きて行きたいと思います。



















教育の荒廃

2010年10月24日 14時09分53秒 | 日記

今朝、世も末なニュースを見つけました。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 
 東京都杉並区教委は23日、区立浜田山小学校で3年生の担任の女性教諭(23)が、正解は「妹を殺すこと」というクイズを出す不適切な授業を行ったと発表した。同小は同日、保護者会を開き謝罪した。
 杉並区教委は「非常に不適切な行為。今後繰り返さないよう指導に努める」とコメント。教諭や校長に厳重注意するとしている。
 区教委によると、教諭は19日、算数の授業で時間が余ったため、「3姉妹の長女が自殺し、次女はその葬儀に来た格好いい男性が好きになった。葬儀後もう一度出会うためにはどうすればいいか」というクイズを出題した。
 生徒は「電話をかける」などと回答したところ、教諭はヒントを出し、「正解」としていた「妹を殺し、葬式をやればまた会える」という答えに導いていたという。


僕も教職免許持ってるし、教育実習も経験したけど・・・
結局、教職の道は選択しなかったけど・・・
こんな 人間性、常識に???な、
お馬鹿な お粗末な 『先生』 なら・・・
まだしも、俺が『先生』したほうがマシとか真面目に思った朝でした。