頑張れ、下請け技術士

ごく普通のサラリーマン(建設コンサルタント業)の日記です。写真は、私が5年ほど手がけました宮城県にある富谷JCTです。

道路土工指針-耐震設計

2011年04月19日 | Weblog
最近何かと話題の耐震設計。原発問題で大きく報道されているが、原発の耐震設計が震度5とか震度6とか言われてます。個人的には、ホントかいなと「目からうろこ」でした。さて、道路土木屋さんがいつも耐震設計と言っているものについて、私が簡単ではありますが、まとめてみました。こちらも「目からうろこ」です。

1. 設計水平震度と最大加速度(gal)の関係
地震の大きさを示す値として一般的には震度階(俗にいう震度○と言われるもの)と加速度(東北地方太平洋沖地震は2933gal(三成分合成値 x.y.zのようなもの?))が公表されます。ただし、私たちが設計で用いている計算手法は静的震度法であるため「設計水平震度(kh=○)」で計算します。
設計水平震度は、以下のように決まってます。

       表-設計水平震度
地盤種別   Ⅰ種 Ⅱ種 Ⅲ種
レベル1地震動 0.08 0.10 0.12
レベル2地震動 0.16 0.20 0.24
出典:道路土工-盛土工指針P.125
設計水平震度は、以下の式でgalに変換できます。ただし、横方向のみです。三成分合成値とは違います。
⇒ 設計水平震度kh=αh/g (ただし、αh:地震の加速度、g:重力の加速度(=980gal)
したがって、設計水平震度kh=0.16となると、αh=980(gal)×0.16=156.8galとなる。
(・・・ということは土工指針は震度5強まで対応・・・)
*いま噂の原子力発電所は設計水平震度kh=0.3のようです。したがって、αh=980(gal)×0.3=294(gal)となり、震度6弱を想定しているようです。(ほんとかなぁ・・・ネットで調べると450galをそうていとかありましたので、やっぱり震度6弱程度のようです。)
表-震度階と加速度の関係(およその目安)
震度階 加速度(gal)(周期1秒の場合) *旧指針(1978年) 横方向のみ
0 0.8≧
1 0.8~2.5
2 2.5~8.0
3 8.0~25
4 25~80
5弱 80~142
5強 142~253
6弱 253~450
6強 450~800
7 >800

2. 感想
大規模地震動とは、震度震度5強を想定しているようであります。私は、てっきり震度7位(阪神淡路大震災位?)を想定しているものかと思ってました・・・
下に、2000年以降の土工指針で「想定外」となった地震を示します。(これだけあると、想定外と言えない?)
ちなみに、大規模地震動と中規模地震動の定義は以下の通りです。
【大規模地震動】
供用期間中に発生する確率は低いが大きな強度をもつ激しい地震動を意味する。
【中規模地震動】
供用期間中に発生する確率は確率が高い地震動を意味する。

表-最大震度6弱以上の地震
地震名 最大震度 発生日
新島・神津島・三宅島近海 6弱 2000年7月1日~8月18日
鳥取県西部地震 7 2000年10月6日
芸予地震 6弱 2001年3月24日
三陸南地震 6弱 2003年5月26日
宮城県北部地震 6強 2003年7月26日
十勝沖地震 6弱 2003年9月26日
新潟県中越地震 7 2004年10月23日
福岡県西方沖地震 6弱 2005年3月20日
宮城県南部地震 6弱 2005年8月16日
伊豆半島東方沖地震 6弱 2006年4月21日
能登半島地震 6強 2007年3月25日
新潟県中越沖地震 6強 2007年7月16日
岩手・宮城内陸地震 6強 2008年6月14日
4,022ガル(ギネス記録)
駿河湾地震 6弱 2009年8月11日
東北地方太平洋沖地震 7 2011年3月11日

*耐震設計、もう少し厳しくしたほうがいいんじゃないのかな?と思いました。
 あくまでも、個人的に、中規模地震動は震度6弱以下、大規模地震動は震度6強以上が妥当なような気が。。。。
*地震で被災地まで行くのに、道路がなくなっちゃったらいけなくなるでしょ・・・


技術士二次試験(土質及び基礎)

2011年04月14日 | 技術士

今年は・・・技術士二次試験を受験する予定です。・・・・

科目は土質及び基礎。道路は昔合格したのだが、今年はチャレンジの年!と勝手に思いました。

でどんな勉強すればいいのかと思いましたが、とりあえず過去問4年分。これからやろうと思います。

建設一般は、一応大丈夫。(なはず)なので、問題は専門科目なのですが、、これが難しい。知識の無さが手に取るように分かります。

とりあえず、去年の問題を解きました。1時間くらいで書いたので、まだ推敲はしてません。こんなかんじなのかぁ~?会社のなかで土質及び基礎を持っている方がいないので、誰に聞いていいかも分からず・・・です。

定期的に、アップしていきます。どなたでもいいので、コメント入れてもらえると頑張れるかも・・・・

1.低盛土において発生しやすい被害とその発生要因

軟弱地盤上の低盛土は、高盛土の場合のように盛り土の安定や側方流動、施工中の大きい沈下といった問題は少ない。しかし、供用後に路面に不陸が発生し、舗装も破壊するという現象を示すことが多い。その発生要因としては以下のようなことが考えられる。

①軟弱層に接する盛土が低いので、路床部が十分転圧できず、路床の支持力が得られにくい。②地下水位が相対的に高く、路床付近まで上昇するため、路床の支持力が低下しやすい。③交通荷重が盛土内で十分分散せず軟弱地盤に到達し、地盤の沈下変形を促進する。④交通荷重による振動が、そのまま軟弱地盤に伝達しやすい。⑤地盤上層部分の不均一性が、盛土に影響を及ぼす。

2.低盛土において発生しやすい被害に対する対策と選定理由について

対策1:良質な盛土材の選定。

選定理由:良質な盛り土材の選定をすることにより高い剛性の盛土を構築し、かつ盛土内の排水も滞水しない構造となり、盛土自体の安定が図られる。

対策2:サンドマット工法、敷設材工法、表層混合処理工法、載荷重工法、置換工法など

選定理由:基礎地盤の表層に近い部分の沈下を減少させる工法、かつ強度を均一化し高める工法を採用し、沈下を最小限にとどめるものとする。

 

工期に余裕のない条件においての軟弱地盤対策工

工期に余裕のない条件においての軟弱地盤対策工の工法の概要・特徴及び適用条件について、以下の3工法を挙げる。

①サンドコンパクションパイル工法

工法の概要・特徴:地盤に締め固めた砂杭を造り、軟弱層を締め固めるとともに砂杭の支持力によって安定を増し、沈下量を減ずる。

適用条件:沈下対策及び安定対策として有利。軟弱層が厚い場合に有利となることが多い。

②表層処理工法

工法の概要:基礎地盤の表面にジオテキスタイル(化学製品の布や網)などを敷き広げたり、基礎地盤の表面を石灰やセメントで処理したりする工法。

適用条件:安定対策として有利。軟弱層が薄い場合や基礎地盤が極端に悪くない場合に有利となることが多い。

③荷重軽減工法

盛土本体の重量を軽減し、現地盤へ与える盛土の影響を少なくする工法で、盛土材として発泡剤、軽石、スラグなどが使用される。

適用条件:沈下対策及び安定対策として有利、基礎地盤が極端に悪くない場合に有利となることが多いが、コストが比較的高くなる場合が多い。

 

1.当該現場において適切と考える工法

当該現場においては、深層混合処理工法が適切であると考える。

2.選定理由

盛土材については、通常の砂質を用いるものとし、安定が保たれるものと判断した。そのため、盛土部の対策(軽量盛土やジオテキスタイル工法)は実施しない。

基礎地盤を含むすべり安定が満足できないことから、基礎地盤の固結工法を選定した。

3.必要な地盤調査・試験項目

支持地盤の強度(γ、C、φ)を確認するためのボーリング調査及び土質調査。及び固結工法の石灰及びセメント配合設計を行うための室内配合試験。

4.設計・施工上の留意点

固結工法であるため、水脈が切断される可能性があるため、水脈の有無及び井戸水などの有無を確認する。また、安定剤の添加量は、室内配合試験の結果から一応の目安値が得られるが、地盤の成層状態、施工精度により改良強度にバラツキが生じやすいため、現場試験を行い、添加量の再確認を実施する。

 


宮城県名取市閖上

2011年04月11日 | Weblog

先日、名取市閖上に行ってきました。悲惨な状況です。潮と油のにおいがまだ残っていました。

長いけど、26枚撮りました。少しでも、早く復興のお手伝いをしたいのですが、業界の都合、大人の都合があって、なかなか仕事ができません。(国土交通省から人海戦術で・・・といわれているようですが・・・僕みたいな暇な技術者もいますので・・・)

人間は、偉くなればなるほど、勝手のような気がします。

・(1/26)歩道橋の前です。歩道橋の上で助けを求めていたニュースが流れてました。

・(2/26)がれきの山。まだ、塩水が引いていない。

・(3/26)学校かな?

 

・(4/26)戦時の空襲みたいです。

・(5/26)残っている家屋も、少しありました。

・(6/26)残っている家屋も、少しありました。

・(7/26)2階まで津波が来たようです。

・(8/26)これ以降は、コメントなし。書くのが悲しくなりました。

 


またまた地震 震度6強

2011年04月07日 | 技術士

昨日また地震がありました。

震度6強のことです。地震発生後から仙台市内は緊急サイレンが鳴りっぱなしです。ヘリもたくさん飛んでいて、ホント戦時中のよう。

もう、日本列島沈没しそうないきおいです。

本日は、ガス開栓日の予定だったので喜んでいたら、こんなことになってしまって・・・

今朝会社にきましたら、こんなふうになってました。

 

 


牛乳by福島県産

2011年04月05日 | Weblog

昨日の夜、近くのスーパーで牛乳1パック100円というのを発見しました。多分大学生だろうか?2人組のひとがやってきて、「なんで、この牛乳だけ安いんだろう?」といって買っているかたがいました。陳列棚には、他のメーカの牛乳も売っていましたが、150円~200円くらいまでになっています。1つのメーカーの牛乳だけ、格安です。

私は、知っている・・・・

福島県産の牛乳なのだ。後ろのラベルにちゃんと書いているのに・・・

市場に出回っている牛乳なので、枝〇官房長官風に言えば、「ただちに人体への影響はない。安全・安心です」ということなんだろうが、買う勇気はありませんでした。巷では、地域復旧のため、東北地方の作物を購入しようという運動があるみたいだけど、微量だけど「放射能入り牛乳」ということを知っていて購入するほど、お人よしではありません。

国の仕事をしているせいか、国が提出する数字は絶対に信用しない人間になっているし・・・

よくレントゲン1回分とかCTスキャン1回分とか言ってるけど、その放射線を1時間で受けるのだから、1時間ごとにレントゲンやCTスキャンを受けているのと同じなのでしょうか?そうすると1日で24回?医者にいって1日で24回レントゲンやCTスキャンを受けさせてくださいと言えば、良いですよといってくれるのかなぁ?


震災後の日本のあり方について、良い記事を見つけました。

2011年04月04日 | Weblog

未曽有の東を出した「東日本大震災」でした。今後の日本の復興について考えなければいけません。

私はよく、Yahooみんなの政治をよく読んでいるのですが、大変興味深い記事がありました。

私は、小沢一郎議員のファンの一人です。記事に記載されている「日本改造計画」は当時読まさせてもらいました。(中学校のときだったかなぁ)それ以来のファンです。私が政治および政治家という職業に興味を持ち始めた原点。

岩手出身の小沢一郎議員なら、日本の明るい未来へ向かって復興させていただけると思います。

いろいろ、スキャンダルがありますが、私は政治資金とかなんかというのは正直関係ない。日本に国益をもたらしてくれる政治家が今の日本には必要です。

---記事の始まり---

危機の時にリーダーが判断を間違えると国民は長い苦しみを味わう。バブル崩壊から現在に至る「失われた時代」がそれを物語っている。バブル崩壊後の経済危機の時代に橋本龍太郎総理が「財政健全化」を断行した事が日本を長期大不況に陥れた。
 
 海部政権で大蔵大臣を務めた橋本総理は大蔵官僚の影響下にあった。1996年に総理に就任すると政府の債務が対GDP比で他の先進諸国を上回っていることを理由に、「改革」と称して消費税増税を行い国債を減らす緊縮財政路線を採った。
 
 その頃私はワシントンに事務所を構え、アメリカ議会情報を日本に紹介する仕事をしていたが、アメリカの学者も政治家も日本政府の緊縮財政路線に驚いた。そんなことをすれば内需は抑制され不況が到来する。日本は世界一の金融資産を持つ国で、債務と資産を比べれば、「財政危機」を騒いだり、「財政健全化」を言う状況ではない。それがアメリカの見方だった。しかし日本は緊縮財政に踏み切り、アメリカが予想した通り大不況になった。
 
 それより前、日本がバブル経済を崩壊させた時もアメリカの学者や政治家は呆れた。バブル経済による地価の上昇が問題になると、日本の大蔵省は金融機関に「通達」を出して不動産関連企業への貸し出しを一斉に停止した。「バブルを収束させるには余りにも乱暴。日本にバブル経済をソフトランディングさせる知恵はないのか」とアメリカは言った。
 
 「通達」というのは法律でも何でもない。「お上」が身内に出す指令である。ところがそれによって国民全員が奈落の底に突き落とされた。アメリカの懸念通り、混乱は不動産業界にとどまらず日本の全産業に波及し、経済大国を誇ってきた日本はあっという間に「失われた時代」に突入した。
 
 官僚は国債が増えれば金利の支払いが増え、その分税金の使い道が制約されるから困ると考える。しかし国債を持っているのは国民で、国民にとって国債は孫子の代まで収入を保障される資産である。それを官僚は「孫子の代までツケを残す」というレトリックで危機を煽ってきた。増税したいがためのレトリックである。
 
 アメリカから見れば橋本総理の緊縮財政は全く理解できない政策であった。橋本総理の後を継いだ小渕総理は、緊縮財政で不況を招いた反省から一転して国債を増発する政策を採り、自らを「世界一の借金王」と呼んだ。しかし既に大不況に陥った日本は国債発行で公共事業を行ってもカンフル注射程度の効果しかなく、病は癒えるどころか財政赤字が積み上がるだけとなった。
 
 そして小泉政権が登場すると再び緊縮財政路線が復活した。小泉総理は大蔵政務次官を務めた事のある「大蔵族議員」である。さすがに増税は封印したが、財政収支の黒字と赤字を均衡させると言って「構造改革」を始めた。ところが緊縮財政路線は税収を減らす効果を生み、財政収支はますます悪化した。
 
 また小泉政権は、強い者をさらに強くし、強い者の利益のおこぼれを弱者にしたたり落とさせる事で経済を上向かせようとした。ところが弱者は全く恩恵を実感できず、格差は開くばかりで、弱者はしたたり落ちるのを待てなくなった。それが09年の政権交代につながる。
 
 民主党が掲げたのは、したたり落ちるのを待つのではなく、国が弱者となった国民に直接分配して生活基盤を向上させ、国民に活力を与える事で経済を強化しようという政策である。それを野党は「バラマキ」と批判した。普通「バラマキ」とは「地域振興券」のように一回限りの分配を言う。一回限りだから効果は小さい。しかし子供手当のように恒常的に分配すれば政策減税と同様の効果がいずれ出てくる。
 
 ところが政権を失った自民党は対立軸を作るため、官僚が言い続けてきた「財政健全化」を持ち出して消費税10%増税を政策に掲げた。するとそれに同調したのが菅総理である。谷垣自民党総裁も菅総理も共に財務大臣経験者で橋本総理と同類項の政治家だからそうなる。日本は再び「失われた時代」のスタート時点に戻った。
 
 大震災が起き、日本が未曾有の危機に直面した時、与野党党首会談で同類項の政治家同士が話し合い、そこで谷垣自民党総裁が提案したのは復興財源を増税で賄う案だった。菅総理は谷垣自民党総裁に復興担当大臣としての入閣を要請したからその構想に賛成したのも同然である。
 
 橋本龍太郎氏は日本を大不況に陥れたが、官僚の言いなりになって政策を間違えた事に痛切な責任を感じていた。「国民に迷惑をかけた」と謝罪した。しかしこの時の教訓は危機に際しては初動が極めて重要だということである。石橋を叩く式の官僚的思考が危機をさらに深刻なものにする。だから大連立をしようが何をしようが同類項の政治家に危機を乗り切る事は出来ないのである。
 
 震災発生直後からの菅総理の行動を見ているとリーダーの資質がまるでない事がよく分かった。例を挙げればきりがないので書かないが、外国では見られないような対応が随所に見られた。だから外国の政府も私と同じように見ていると思う。
 
 問題は外国が資質のないリーダーに率いられた日本を御しやすいと見るか、あるいは自国にとっても利益にならないと見るかだが、現在の日本の危機的状況から言えば私は後者だと思う。特にアメリカのオバマ大統領は原子力発電の推進を掲げて大統領選挙を戦おうとしていた矢先だから、菅政権の対応には不信感を強めたと思う。
 
 来年はアメリカ、中国、ロシア、フランスなど大国が軒並みリーダーの交代期を迎える。その時期にはどの国も経済を上向かせたい所だから、日本に足を引っ張られたくはない。強いリーダーによって日本が危機を乗り切り、復興の初動で橋本総理のような間違いを犯さない事を望むはずである。
 
 菅総理は政権延命のための策として「平成の開国」と「税と社会保障の一体改革」を掲げた。それはアメリカと官僚に媚びる策であったから、震災と共に吹き飛んでしまった。これから必要なのは21世紀の日本をどう作るかという長期構想である。日本の国家改造計画である。
 
 戦後復興に比肩するプログラムを書かなければならない時、しかも初動を間違えないようにしなければならない時、菅総理が己を知るならばまずは身を引く事を考えるべきである。関東大震災では「大風呂敷」と呼ばれた後藤新平が帝都復興を計画したが、今回はそれ以上の規模の復興計画が必要になる。
 
 そうしたことに対応できるのは、かつて「日本改造計画」を書いた小沢一郎氏しか見当たらない。菅総理が後世の評価に耐えられる政治家になろうとするならば小沢氏に後事を託すことである。それが最大の震災復興策になる。

---記事終わり---

 


仙台新港に行ってきました

2011年04月04日 | Weblog

週末に仙台新港へ行ってきました。震災の状況を肌で感じてきました。

あたりにはまだ、潮の香りがしてます。

【アウトレット前】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【流された車】

【工場前】

【エネオス】左に見えるのは仙台東部道路

【がれきの山】

【ここには、トヨタの車がたくさん並んでいたはずだったのに】

【仙台新港 フェリー乗り場】

テレビで、被災の状況はわかっていたつもりですが・・・現場に行って肌で感じ、改めて津波の怖さを感じました。