2017.05.07
ゴールデンウイークも終盤に差し掛かる頃、ついにそれは来た。
今でも忘れられない、また忘れては決していけない、およそ人生の中で
これ以上ない苦しみ、辛さ、本当の孤独、本当の意味での自分との闘いが
始まった。
最初の朝、いつも通りに朝食を済ませ、いつも通り歯磨きをし、一通り
の作業を終え、それまでと変わらない穏やかな時間が流れた。
午前中、少し寒気が走ったが、さほど気にはせずに横になったり、例の
スマホをイジリ倒したり、課金されるテレビを見たり、タブレットで
YouTubeを見たりしていた。
その頃のテレビは、ワイドショーでは、小林麻央さんの闘病生活を報道
していた。
ちょうど自分と重なる部分もあり、複雑な気持ちで見ていたのを覚えて
いる。
YouTubeでは、恐らくそのあたりから、芸能人がYouTubeに参画して
来だした頃である。
昼前からその寒気がやけに強くなり、昼食を済ませてからもそれは
続いた。
次第に体の震えが増し、ついには全身でガタガタと震えはじめた。
これはと思い、すぐにナースコールを押す。
看護師さんが入ってきて、様子を見るなり体温計を脇に挟んだ。
39度を記録していた。
震えが来ると一気に体温が上昇するのである。
すぐに点滴を開始する。
解熱剤と抗生剤だ。
意識が朦朧としていく中、自分はいまどういう状況なのだろう。
39度の熱は、過去そんなには無いが、一度だけインフルエンザに似た
症状で通院したことがある。
その時は、解熱剤として筋肉注射をし、帰り道に筋肉のわなわな感で
倒れそうになりながら帰宅したのを覚えている。
そんな事を考えながらも、時間の経過によりだんだんと熱はおさまって
来た。
いつの間にか寝てしまっていたのか、気が付けば看護師さんもいない、
いつもの静かな部屋だった。
体全体が異様に冷たい。
手足は動かせる。
頭、首はどうか。
動かせる。
ん?
次の瞬間その疑問は解けた。
急激に上がった熱が、急激に下がったため、体中の水分という水分が
汗となって吹き出ていたのである。
寝まきはもちろん、枕、下着、ベッドに至るまで、びしょびしょに
なっていた。
この不快感に耐えられず、すぐにナースコールを押す。
点滴の確認もあったのかすぐに来てくれた。
解熱剤を外し、抗生剤を取り換えてくれた。
体中の汗は持参してきたタオルで拭き、寝まきは着替えた。
それでもすこし横になっていると、じわっとにじみ出てくる。
峠は越えたようである。
39度。
すごく久しぶりに経験した高熱だったなとしみじみ思い、これが主治医の
言っていた事かと、自分に言い聞かせる。
白血球がほぼ”0”に近い状態になると、あらゆるものに対する抵抗力が
無くなり、すぐに高熱となって体が防御態勢に入るのだ。
ふと、こういうのがあと何回か続くのだろうか。
そう思いつつも、体に対するダメージが大きくいつの間にか寝て
しまっていた。
そう、この事がこれから起こる、想像を大きく超える体験の序章
であった。