渡辺姓の探検室

全国第五位の大姓 渡辺氏の歴史を探るブログです。

源宛

2008-01-28 08:10:52 | 渡辺さんの由来
源宛(みなもとのあつる)
生年不詳~天暦7年(953)歿。
武蔵守源仕の子で、武蔵国箕田郷に住み箕田源次と称しました。
藤原純友を討伐した「天慶の乱」では父に従って西国に赴き武功を挙げています。
『今昔物語』では「魂太く心賢き兵」と評されています。


「天慶の乱」の経過は次の通り
天慶2年(939)12月藤原純友が摂津国須岐駅を襲撃、朝廷は天慶3年(940)1月小野好古を山陽道追捕使に源経基を次官に任じた。
同年2月東国の平将門が滅亡により、朝廷は純友討伐に兵力を投入。
その後も純友は西国各地を襲撃。
天慶4年2月朝廷軍は純友の本拠日振島を攻撃し純友軍は大宰府を占領。
同年5月小野好古・大蔵春実が率いる朝廷軍が九州に到着し純友軍は大敗。
同年6月純友は伊予で捕らえられ獄中死した。

『今昔物語』には坂東平氏祖の平良文と武将としての優劣を一騎打ちで決しようとしたが引き分けとなり、以後両者は仲良く暮らしたことを記している。
※『今昔物語』では「源充」となっている。

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氷川八幡社 鴻巣市

2008-01-27 08:55:33 | 渡辺さんの由来
以下、鴻巣市教育委員会の説明文です。
氷川八幡社は明治6年、箕田郷二十七ヶ村の鎮守として崇敬されていた現在地の八幡社に、宇龍泉寺にあった八幡社を合祀した神社である。
八幡社は源仕が藤原純友の乱の鎮定後、男山八幡大神を戴いて帰り箕田の地に鎮祀したものであり、字八幡田は源仕の孫、渡辺綱が八幡社のために奉納した神田の地とされている。また氷川社は承平元年(966)に六孫王源経基がが勧請したものといわれる。
昭和62年3月
鴻巣市教育委員会

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箕田源氏の発祥地 鴻巣市箕田

2008-01-26 09:43:01 | 渡辺さんの由来
埼玉県鴻巣市箕田は源仕→源宛→源綱の三代が本拠地とした土地で箕田源氏発祥地といわれています。
箕田氷川八幡神社には箕田源氏発祥の顕彰碑「箕田碑」があります。
 以下、鴻巣市教育委員会の説明文です。

鴻巣市指定金石文 【箕田碑】昭和36年7月11日指定
 箕田は武蔵武士発祥の地で、千年程前の平安時代に多くのすぐれた武人が住んでこの地方を開発経営した。
 源経基(六孫王清和源氏)は文武両道に秀で、武蔵介として当地方を治め源氏繁栄の礎を築いた。その館跡は大間の城山にあったと伝えられ、土塁・物見台跡などが見られる(県史跡)。源仕(嵯峨源氏)は箕田に住んだので箕田氏と称し、知勇兼備よく経基を助けて大功があった。その孫綱(渡辺綱)は頼光四天王の随一として剛勇の誉れが高かった。箕田氏三代(仕・宛・綱)の館跡は満願寺の南側の地と伝えられている(県旧跡)。
 箕田碑はの歴史を永く伝えようとしたものであり、指月の撰文、維硯の筆による碑文がある。裏の碑文は約20年後、安永七年(1778)に刻まれた和文草体の碑文である。
 初めに渡辺綱の辞世
世を経ても わけこし草のゆかりあらば
       あとをたづねよ むさしのはら
を掲げ、次に芭蕉・鳥酔の句を記して源経基・源仕・渡辺綱の文武の誉れをしのんでいる。
 鳥酔の門人が加舎白雄(志良雄坊)であり、白雄の門人が当地の桃源庵文郷である。たまたま白雄が文郷を訪ねて滞在した折りに刻んだものと思われる。
昭和62年3月
鴻巣市教育委員会

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