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チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

ブルックナー交響曲第3番~ブルックナーとワーグナーのサイン入り手紙

2021-11-21 23:50:50 | メモ

ブルックナーが1873年にワーグナーの家に第2番と第3番の楽譜を持っていって、結局ワーグナーは3番の献呈を受けることになったんだけど、ワーグナーにすすめられるままビールを飲んだブルックナーはベロベロに酔っぱらってしまいどっちの交響曲か忘れてしまった。

そこでブルックナーは「トランペットで始まるほうでしょうか?」とワーグナーにあたらめてきいたところ、ワーグナーから「そうです!」と返事があった。。という話は有名ですよね。でも、なんとなく作り話っぽい感じもしていました。

ところが、そのやり取りの手紙の画像がHans-Hubert Schönzelerという人のブルックナー本(1970年)に載っていました。



Symfonie in Dmoll, wo die Trompete das Thema beginnt.

A Bruckner



Ja!  Ja!  Herzlichen Gruss!

Richard Wagner



トランペットで主題が始まるニ短調交響曲でしょうか。

A・ブルックナー



そうです! そうです! 心からよろしく!

リヒャルト・ワーグナー


。。。一枚の便箋にワーグナーとブルックナーのサインが入ったこの手紙、きっと値打ちもんですよね。



それとWikipediaによるとこの紙は「ホテルに備付けられた便箋」ということですが、左上の文字を見ると"Hotel Goldener Anker Bayreuth"のようです。現存するんですね。

もし将来バイロイトに旅行することがあったりしたら、ブルックナーがこの手紙を書いたホテルに宿泊してみたいです。

(2015年7月1日の記事を一部変更しました)


東京・銀座 旧ヤマハホール誕生(1953年)

2020-12-18 21:44:49 | メモ

『藝術新潮』1953年5月号より、東京・銀座ヤマハホールの誕生についてです。新ヤマハビルの建築に伴い取り壊され、現存しません。ピアノ発表会等で舞台に上がった方も多いのでは?

↑ ホール天井と左側面

 

↑ 巌本真理、河野俊達、齋藤秀雄(!)

 

↑ 二階側面にある放送室。素朴~

 

↑ ホール左側面

 

↑ 二階ロビー

 

↑ ステージは決して広くはありませんね。

 

↑ 二階正面 お客さん、ぎっしり。

 

↑ 井口基成夫妻の演奏。

 

以下、本文から抜粋します。

「街なかの音楽堂」

街の美術館としてブリヂストンや近代美術館がさきに生れて好評だが、今度は、街なかの音楽ホールが誕生した。銀座七丁目の日本楽器の山葉ホールがそれである。これでかねてから云われていた音楽家の会場難は、さきに返された第一生命ホールとともに、いくらか緩和されるはずだが、使用料が収容人員(524名)に比してお安くはない(※1)のが欠点だという人もいる。それはともかく、銀座の騒音の中にいて完全な防音装置をほどこし、木材を生かして伝わったレイモンド(※2)の東洋的モダンスタイルは、今後音楽好きな人々を多く吸収するであろう。

※1 開館当時の使用料
【平日】
午前(9-12時)10,000円
午後(1-4時)15,000円
夜(5-8.5時)20,000円

【土日祭日】
午前(9-12時)10,000円
午後(1-4時)20,000円
夜(5-8.5時)25,000円

※2アントニン・レイモンド(Antonin Raymond, 1888-1976)
チェコ出身の有名な建築家。

↑ Wikipediaを見たら、ヤマハホール以外にもレイモンドが設計した有名な建物が日本にたくさんあって驚きました。

 

↑ 1976年の雑誌より。

ちなみに現在のヤマハホールは2010年2月26日にリニューアルオープン。

(2015年6月7日の記事に情報を追加しました)


小澤征爾・日フィルの第九プログラムより(ベートーヴェン生誕200年記念)

2020-05-27 23:45:22 | メモ

今年2020年はベートーヴェン生誕250周年ですが、50年前、200周年の時の日フィル第九のプログラムを見てみます。

↑ 表紙

 

↑ このコンサートは生誕200年である1970年の直前、1969年12月23日と24日に東京文化会館で開かれています。

豪華な独唱陣。
片野坂 栄子(1941年生)
春日 成子(1944年生)
砂川 稔(1930年生)
平野 忠彦(1938-2014)

 

↑ 23日のチケット。裏面の印によると10月20日に東京有楽町の交通会館チケットビューローにて購入。

 

↑ 小説家・安岡章太郎(1920-2013)。日フィル夏季合宿にて思い出話を披露。

このプログラムに寄せた文で安岡氏はこのように書かれています。

(前略)とにかく音楽は芸術であり、それが文化的土壌の異質な国に、これだけ急速に、これだけ広範囲にひろまるといふことは、おそらく一種の異変なのではあるまいか。霞が関の三十六階ビルや高層自動車専用道路の出現で、古い東京の景観が根こそぎ引っくり返ったといふ人たちは、戦後の洋楽普及によってどれだけ日本人の音楽的感性が変ってしまったかということも、注意すべきだろう。

(中略)昨年、東響がやった「第九」は独唱も合唱もアマチュアだったといふが、それなりに良かったと思ふ。たしかに私がきいても独唱は素人くさかった。しかし、バリトンが直立不動の姿勢で顔面紅潮し、近衛さんの指揮棒一閃、声をはり上げた瞬間は、さながら新品中尉が老師団長の命令一下、
「全員、突然に前へ・・」
と絶叫して、二百何十人かの全員が総攻撃で敵陣にとびこむ如く、その意気は素人らしくて、かへって良かったのである。

→ Freude! いまの時代でもアマチュアたちは総攻撃していますよ~

↑ 1970年日本フィル春季定期。
6月17日は小澤征爾指揮でマーラー8番。

↑ 当時の日本フィルの団員表。コンサートマスターはルイ・グレーラー(Louis Graeler 1913-1987)、アシスタント・コンサートマスターは瀬戸瑶子さん。

 

以下、小澤征爾さんのレコードの宣伝です。

 

↓ 裏表紙のステレオ広告(トリオIDS6700)

 

↓ 生誕200周年にベートーヴェン特設コーナーを作った「コタニ」という新宿のレコード店(『芸術生活』1970年2月号)

。。。情報を追加していきます。


マーラー「復活」、3番のベートーヴェン引用?

2019-11-24 01:09:26 | メモ

1. マーラーの交響曲第2番の第3楽章にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ第10番の第3楽章のメロディが引用されていませんか?

↑ マーラー復活の第3楽章よりヴィオラの旋律(練習番号32、楽章開始から1分40秒くらい)

 

↑ ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第10番第3楽章トリオ

 

 

 

2. マーラー交響曲第3番第6楽章

↑ 9小節からのチェロの歌(とても表情豊かに、音の長さを十分に保って)

 

 

↑ ベートーヴェン、選帝侯ソナタ第2番ヘ短調WoO 47-2の第2楽章冒頭。これはちょっと無理がありますかね

 

。。。いろいろなところで指摘されていると思いますが一応メモっておきます。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が偽作?

2019-04-10 20:45:37 | メモ

名曲中の名曲、かのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は偽作で弟子(モスクワ初演のピアノ奏者セルゲイ・タネーエフ?)の作品だということを信頼できる筋から聞きました。

だからこそ新しい全集からは除かれてるとも。第1楽章開始のフレーズだけはチャイコフスキーの構想らしいのだけれど、あとはほとんど彼以外の人物が曲として形にしたのでチャイコフスキー作曲とは言えない、と結論づけられたとのことでした。

にわかには信じられないけど、ビックリしたので書きました。好きな曲だからこそ冷静に判断したいところです。

↑ IMSLPより初版の表紙。出版時は2番を書くのか誰もわからないため、佐村河内さんのように「第1番」とは宣言していません(笑)