良いものは良い、駄目なものは駄目。
これを、子どもにも大人にも、
誰に対しても、
言うべき時に言ってきた。
身の回りでは、私しか、しないことだった。
誰もやらぬなら自分がやる。
他の誰も言わぬなら、私が言う。
それが生き方だから、やってきた。
表面を取り繕って、陰口を叩いているのが嫌だった。
「同じて和せず」を憎んだ。
ならば面と向かって。
あるいは、広く公に向かって。
それが私の道である。
そのことで、陰口を叩かれたり嫌がらせをされたり、
権力に訴えられたりしたこともあるが、
そんなのはまったく気にならない。
自分がそういう卑怯なことをしなければよいことだ。
私は卑怯な人間を軽蔑するけれども、
そういう人間もまた存在することは理解する。
許しがたいレベルに関しては出るところに出ることも選択肢にはある。
だが、そこまで卑怯な(すなわち臆病な)手練手管をとってくる連中は、未だいない。
そういう連中の何倍も、
味方がいる。
全国にいる。
海外にもいる。
だから今日も、私は元気だ。