goo blog サービス終了のお知らせ 

Tp・world   Tpの世界

Tの世界を遊ぶ
写真に心を込めて ファインダーからこの国の今を
真を見ていきたい 写心 それは心 愛

日本橋(東京)に空はない

2007-03-07 10:30:17 | 写真
東京・中央区にある日本橋


これは広重が1833年頃表したとされる
東海道五十三次の「日本橋」

「日本橋」
1603年に 江戸幕府を開いた
徳川家康の全国道路網整備計画に際し架けられた
1604年に 五街道の基点とされた

初代の橋は同年に架けられた木橋

以後 焼失などによって度々架け替えられる

さて この浮世絵には橋の上に

きれいな蒼空に白雲が

時移りこの国の変貌ぶりは凄まじい

いま 日本橋は19代目

1911年に架けられた石造の二連アーチ橋

この第19代日本橋は

1999年に国の重要文化財に指定された

だが

橋の上にいまは空はない


東京オリンピック(1964)開催に合わせて

戦後の荒廃から国際社会への復帰のシンボルと

国を挙げての東京改造

結果 日本橋川に首都高速道が走ることになった

いま この橋の上に 空はない

気を取り直して目を転じよう

橋上にはいまも道路元標がある


橋の傍らには里程標もある


あなたの街への道もここから始まる

日本橋を始点としている国道は
国道 1号(終点:大阪・梅田新道)
国道 4号(終点:青森)
国道 6号(終点:仙台)
国道14号(終点:千葉)
国道15号(終点:横浜)
国道17号(終点:新潟)
国道20号(終点:塩尻)

せめてこの元標から

あなたの住む美し街の空を 目指そう



淺草めぐりん4 オム巻・ゆであづき

2007-03-05 23:30:43 | 写真
神谷バーを出て

先にもらっておいた乗り換え券で

北めぐりんに乗った

淺草の北を巡る

吉原大門

ここには「見返りの柳」碑がある

その傍に知る人ぞ知る

伊勢屋がある

300年を超える老舗の天ぷら屋

若き私の行き付けの店

バスは下町色濃い入谷へ

軒すれすれに走り

一葉記念館を掠めて

淺草へ戻った

降りれば忘れていた空腹に気づく

立ち寄る先は今日も


例によって

オム巻とゆであづきをオーダー


デンキヤホール

3代目のママは語る

<デンキヤホール>
初代が電器店を営んで日露戦争に出征
復員後明治末期に創業
かっての電器店から取ってデンキヤホール

<オム巻>
初代が食い道楽の大阪で出合った味を東京の下町に
関東ではうちが初めてじゃないかな
焼きそばの具はキャベツだけ 味付けもシンプル
こだわりのソバは深蒸しだから蒸す程にコシが出てくる
で、炒める前からこげ茶色

<ゆであづき>
こちらの方が歴史は古い
北海道・十勝産の大納言

聞きながら食べる

あっさりと上品な独特な味 甘さ

何やら秘伝がありそうだ

そういえば

オム巻の傍らに「やげん掘」が

この七味唐辛子にも歴史がある

1625年両国薬研掘(現日本橋)に薬店として創業
しょうゆを「むらさき」つまようじを「くろもじ」と云うように
下町の粋人は敬意をと誇りを持って
七味唐辛子を「やげん掘」と呼んだ

そんな「やげん掘」をふりかけた

オム巻が一段と香り高くなった


満腹で店を出た

みんな二人 in DAIBA

2007-03-04 17:05:11 | 写真
土曜日の午後

ときおり薄日の射すお台場



北の国へ帰り損なった?ゆりかもめと

子等が戯れていた

春真っ直中のような

日和に

みんな二人



幸せ時間が

ゆっくりと過ぎて行く



いつもの燃えるような夕陽は

厚い雲に遮られて

墨色の空に

灯が輝きを増して



この海辺も夜を迎える

淺草めぐりん3 神谷バー2

2007-03-02 20:48:37 | 写真


電気ブラン

神谷殿兵衛(1856-1922)が明治15年に作ったカクテルで、
神谷が創業した浅草にある老舗の「神谷バー」で出された
創業当時は「電気ブランデー」と呼ばれ
1杯十銭で度数45度だという
デンキブランのブランは
カクテルのベースになっているブランデーのブラン。
そのほかジン、ワインキュラソー、薬草などがブレンドされている
しかしその分量 だけは未だもって秘伝 になっている
ちなみに現在のデンキブランはアルコール30度、
電氣ブラン<オールド>は40度

<通はデンキブランと
    生ビールを交互に飲む>

と 隣のテーブルで常連風の人が云っていた

我がテーブルでは

下戸の連れがソフトドリンクでサンドウィッチ

一眼デジカメが2台テーブルを占領

通じゃないですな

ここで

神谷バーについて

1880年(明治十三年)四月
初代神谷傅兵衛浅草区花川戸町四番地にて
「みかはや銘酒店」を開業。酒の一杯売りを始める

1882年速成ブランデー(現在のデンキブラン)の製造販売を始める

1912年(明治四十五年)四月十日
店舗の内部を西洋風に改造し屋号を「神谷バー」と改める

1921年(大正十年) 神谷ビル(現在も使用している建物)落成

現在は2階がレストラン

3階が割烹神谷となっていて

のれんが掛けてあった



ここを出て

北めぐりんに乗ることになる

淺草めぐりん2 神谷バー

2007-03-01 15:03:32 | 写真
浅草一丁目一番一号

神谷バー



1921年に建てられた神谷ビル

アーケードから突き出すように立っている

子供の頃から見慣れたショーウインドーを横目に



ドアーを開ける

朝の開店直後の時間

それでも疎らに席を埋めていた



一滴飲んでも赤顔になる者には辛いものがあるが

ここでは朝でも

電気ブランでしょう

小グラスは琥珀色に輝いていた



ここでの本当の流儀は

電気ブランと

直送の新鮮生ビールと

交互に飲むことらしい

<浅草一丁目一番一号
  日本で一番古いバー>

<この席に朔太郎や啄木も
      座っていただろう>



こんなコピーを目にしながら

チビリチビリ口に流し込む

浅草めぐりん1

2007-02-28 17:01:50 | 写真

浅草で

<東西めぐりん>を体験した



100円で浅草 上野1周出来る

このほかにも北めぐりん 南めぐりんと2路線がある
<めぐりんサイト>
http://www.city.taito.tokyo.jp/index/000020/012353.html

浅草松屋横の停留所へ

レトロなミニバスがやってきた



車内もレトロ



この路線を約1時間ほどで1周した

初めてこの地を訪れた人には

地元人気分で

浅草⇔上野の観光めぐりにいいのでは

浅草で下車し

久しぶりに神谷バーへ行ってみることにした



夜の交差点

2007-02-24 23:00:30 | 写真
旧友から連絡があった

「先日検診した病院から

予定を早めて電話があった

【異常なし】の結果を聞きに行くつもりで

勇んで出かけたら

S字結腸にガンが・・・と」

これまで

入院したこともないと

自慢し合っていた友

近々入院手術

<そんなもの早く切り取ってこいよ>

「うん ノートPC持って行ってくるよ」

夜の交差点で別れた




その後ろ姿

2007-02-23 10:23:10 | 写真



今年は

寒さくらが

春が早々と華やかに顔を出し始めた

かなり早めに咲いた

何年来の暖冬だという

でも冬は冬

その冬が

“後ろ姿”を見せ始めた

後ろ姿はいつも何かしらの哀愁をおびるもの

冬だって例外ではない

春は明るいイメージを持つが

去りゆくものにも心が残る

浅草の『喫茶店』

2007-02-20 14:32:51 | 写真
ある人が

浅草のあの「喫茶店」のことをもう少しと

リクエスト




☆元祖オム巻き☆
大正時代に先々代が売り出した思い入れたっぷり
下町の味やきそばをふっくらたまごで包んで もうたまりません!
素朴なゆであずきも 懐かしい昔の味 絶妙のコンビ



浅草の“デンキヤホール”という「喫茶店」で

3代目 創業は100年 女将がとうとうと語る

幼い頃、父に連れられてよく行ったことを覚えている

看板を見ただけで懐かしさでいっぱいだ

“元祖オム巻き”がテーブルに来た

独特の味付けの焼きそばを薄焼き卵で巻いてある

オムレツの中身が焼きそばということになる

「あぁっ~」と声が出た

子供の頃そのままの味

もう一つ懐かしい“ゆであずき”も注文

硝子のコップに入って昔のままの姿で

またまた「うぅ~ん」と唸る

独特の“塩味”が勝ったその味も健在

いつしか小豆の一粒一粒を噛みしめていた

雰囲気に浸り

甘酸っぱい回顧の思い

そしてオム巻きのボリュームで満腹

素朴な懐かしい味の探勝 何とも心が和む

そして

<浅草の通り一遍の観光でなく>

<歌碑巡りとか 昔の生き様とか>

<話せる人がいるといい~>

歯切れのいい声で

浅草の気っ風で

女将の話は尽きそうにない



東京マラソン2007

2007-02-18 19:26:41 | 写真
東京マラソン2007

第1回のそれは冷雨の中で始まった

ここ雷門にも人垣が

車いすのトップが来た



沿道で待つ人たち「手が悴んで~~」寒い!

トップランナー・ジェンガ(ケニア)がきれいなストライドで走り抜ける



時折激しく降る雨の中

続々とランナーが走る抜ける





浅草寺名物の金龍舞いで応援

たくさんのクルーが周囲を取材合戦

たくさんのランナーが

ケータイカメラで雷門を撮影しながら走ったり

ウエストポーチからデジカメを取り出し

「シャッターを押して」と中年ランナー・・・



<がんばって!! ありがとう!!>

淺草の人らしい応援の声が飛ぶ

雨の中の一大イベントを

ランナーも観衆も楽しんた

マウンテンジャケットを通して背がびっしょり



デンキヤホールのソファーで一息

「ゆであずき」で人心地に

快晴の東京 2 国立新美術館

2007-02-17 11:10:44 | 写真


オープン間もない

国立新美術館



エントランスロビーのアトリウムは21.6mの天井高で、
透明で大波のようにうねる外壁面が特色である。
日射熱・紫外線を100%カットする省エネ設計でありながら、
周囲の森と共生する建築である。
いつも人々が訪れ、レストラン、
カフェ、ミュージアムショップが、
新しい東京の芸術文化のサロンとなることを願っている。

と設計者の黒川紀章氏が書いている



延べ14,000m2の展示スペース
(1,000m2の展示室10室、2,000m2の企画展示室2室)
アートライブラリー、講堂、研修室等を有するほか、
レストラン、カフェ、ミュージアムショップ

総ガラス張りの

波打つ奇抜な外観

東京の街では見慣れた

ガラスのビルたちの一つと思えた



天井高の高い吹き抜けに

円錐状の巨大な柱

その上にカフェ

ただ吹き抜けの広大な空間を

遮るような配置に

少々慣れない思い



燦々と降り注ぐ外光を背に

ラテをすすりながら

ピカピカの建屋を眺め回し

落日に送られるように

六本木を後にした






快晴の東京 1

2007-02-16 21:06:49 | 写真
誘われて汐留へ行った

きょうもビルたちは

紺碧の空に聳えていた



誰かが言った

これが東京の空



それは四角くガラスに覆われて

妙に言い当てているような

そんな気になったりしていた



銀座に向かって歩く

この日曜日にある

初の東京マラソンのフラッグがはためいていた



銀座交差点のオープンカフェで

街行く人を眺めて



忙しない人の行き来に

急かされるように

オープンしたばかりの

新国立美術館へ向かう

浅草散策 3

2007-02-14 11:35:57 | 写真
午後5時をまわった

陽は西の空にたなびく雲の端を

茜色に染めながら落ちてゆく

ここの窓際

ブルーのライトが際だってきた



卓上はビールから

コーヒーに

隣のテーブルに

ペンシルベニアから来たというカップル

笑顔でASAKUSAグーと

街の灯は心を開かせる

言問橋際の遊覧船乗り場も輝きだす

その先の雷門通りは車のライトで白く光る



この街の空は墨色を濃くしてゆく

でも

都会の空には

星は疎らにしか瞬かない

ここを出る

金属色に囲まれたロビーでエレベーターに乗る

つるべを切られたように

一気に下界へ降った

冬の夜風は

暖冬とはいえ頬をきる

言問橋から見上げるビルは

黄金に輝いて横たわるモノをいただいていた



帰路は浅草寺の境内を通ることになる

この時間は人も疎ら

観光客の喧噪も静まっていた

ライトアップされたこの塔も

まもなく灯が消える



この街の夜が始まる