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Tp・world   Tpの世界

Tの世界を遊ぶ
写真に心を込めて ファインダーからこの国の今を
真を見ていきたい 写心 それは心 愛

ここは淺草 さくら サクラ 桜

2007-03-29 20:44:11 | 写真
ここは淺草

隅田川河畔

さくら サクラ 櫻

淺草の 隅田川の

サクラを

この日の隅田川は夏日


さくらは5分咲き

人出は?






咲きさかる 花のアーチの その下で 酒持ちさわぐ この国の人
燦々と輝く陽の下

平和

この平和 イラクへ 紛争地へ

分けてあげたい



つぼみ

2007-03-27 13:42:17 | 写真
グループで

みんなカメラを携えて歩いた

さくらは

まだ蕾

山桜は

それなりに開いていた



場所を変えて

1本のしだれ桜が売りの六義園に

高さ13m 幅17m 樹齢50年 エドヒガンの変種

人が囲む中に

思ったより疎らな枝振りで


八分咲き

色は濃いめのピンク



夕陽に送られて


この日を終えた



雨はあがったけれど

2007-03-25 13:26:18 | 写真
石川県で強い地震

亡くなられた方 倒壊家屋

被害が出ているよう

お見舞い申し上げます



昨日以来の

強風豪雨がおさまった

まだ曇天の暗い空

窓から見える1本の早咲きさくら

雨に打たれ垂れ下がってる

晴れれば

花びらについた水滴が輝くのに


この花も

水滴で重そうな顔をしていた



知らない町に

2007-03-24 14:00:56 | 写真
日常会話の飛び交う

商店街を後に

谷中を歩く

旧吉田酒店

1910年に建てられ 1935年改築

それをここへ移築し保存されている

これまたタイムスリップ

ヨーロッパは広場の文化

日本は路地の文化と言われる

この近辺には路地も健在だ


路地には花や緑が置かれる

住む人のこころの表出

そして
上野池之端にある下町風俗資料館に来ていた


こんな路地に迷い込んで

復元とはいえ

住む人の声が聞こえそう

知らない町に迷い込んだような一日


気を取り直し

吾妻橋に立って

水面に向かって深呼吸

あの日の町に

2007-03-23 20:32:17 | 写真
谷中

東京で下町情緒が色濃く残る

夕焼けが美しいという

「夕焼けだんだん」を下りる

谷中ぎんざ

よき時代の下町そのままの商店街

総菜 雑貨 なんでもあり

行列の出来る店

もある

メンチカツとある

昔ながらの味 なのだろう

歩いていると

なんかタイムスリップ気分


で 傍らに咲く花

きょうの印象



夕陽が

2007-03-22 16:32:12 | 写真
夕陽


どうしてだろう



自分でも思うほど

そんなに長く続かない

この時間 こんな風景が好き

陽が落ちはじめ

落ちきったあとの

ひととき


紅が瞳から消え

空に墨が増すころ

港の灯も瞬きを始める


誘う潮の香りに


二つのシルエットたちが

行き交う


そろそろ

カメラを収める時間

翔ぼう

2007-03-21 11:33:50 | 写真
こんな風景

嫌いじゃない

だって

これが日常

四角い空しかないと

言うけれど

心の空は

広い

ビルに上れば

視界も広がる

空は

繋がってる

きみの空と

繋がってる

心が軌跡を残して

翔ぶ

きみの空へ

翔ぶ

見下ろせば

街に灯が点る

灯の数だけ

きっと

その数だけ夢がある

明日も

こころを

翔ばそう



きみの空へ

心を温くませて

2007-03-18 21:44:17 | 写真
奥まった東京

多摩の公園


強い北風ながら快晴

小高い丘の上から

富士山が真っ白い姿で顔を覗かせていた


冬のような寒さの中

花々がそこここに咲いていた


ヒアシンス・リノセンス

クロッカス・MIX

みんな可憐で清楚で

綺麗


ユキヤナギ

身を切るような北風の中で

こころを温くませてくれた


白が 好き

2007-03-16 09:59:39 | 写真
白い花





が好き

すべての色を

抜き去った

無色よりも



どんな色にも

染まる白

より



どんな色にも

染まらない





が好き





が好き




☆Shin Setsu
    新 雪
  1969 日本

☆Mme Sachi☆
  マダム サチ
 1994 フランス

☆Rose Yumi☆
  ローズ・ユミ
 1997 ドイツ 
 ブライダルデザイナー
 桂 由美の名称品種
 日本でのみこの名前

  *花言葉*
心からの尊敬 清純 無邪気
純潔 清楚 清らか
未熟 処女
私はあなたにふさわしい



原宿

2007-03-15 12:24:23 | 写真
渋谷 忠犬ハチ公

この日不思議なくらいの閑散

こんなハチ公はめずらしい

信号が青になった

この雑踏は昼夜

いや深夜でさえ変わることはない

足を伸ばして見慣れた街 原宿へ

春の陽にハレーション

明るくハミング

交わる直線の

行く先は

どこ

長命寺桜もち・言問だんご

2007-03-13 15:13:45 | 写真
隅田川 荷風の風に触れて

今の風景に気をもどす

淺草(台東区)側から桜橋を渡って向島(墨田区)側へ


☆桜橋☆
台東・墨田両区の姉妹提携事業として
1985年に完成した隅田川唯一の歩行者専用橋
両岸の隅田公園を結ぶ園路の役割を持つていて
形状は平面のX字形の特異な形をしている
橋長 169.45m

さくら餅の香りを思い出して

渡りきって直ぐに左にゆく

長命寺の桜もちの暖簾が見えた

*長命寺の桜もち*
1717年初代山本新六が隅田川土手の桜の葉を集め
塩漬けにして桜餅を考案 
向島の名跡長命寺の門前にて売り始め
それから二百八十年余 隅田堤の桜と共に名物となった
2人前(2個入)で¥500

桜の葉が3枚重なっていて独特な形

上品な甘さで 香り高い


さらに歩を進め

近くにある言問団子へ

古歌
~名にしおはばいざ言問はん都鳥 我が思ふ人はありやなしやと~

に因んでの団子


まもなく両岸の桜並木も満開になる

桜餅を 団子を食べて

川風に身を任せながらの散策

下町のゆったり時間



            団子3ヶ¥550



「山谷堀から今戸橋の向こうに・・」・永井荷風

2007-03-12 22:37:48 | 写真

☆☆ 隅田川 ☆☆  
荒川から分かれ東京湾に注ぐ 
この川に架かる 下流から 勝鬨橋 佃大橋 永代橋 隅田川大橋 清洲橋
新大橋 両国橋 蔵前橋 厩橋 駒形橋 吾妻橋 言問橋 桜橋 白髭橋 水神大橋 千住大橋と
数多の形状をした橋は都民に親しまれている 
近年水質も改善され春には桜 また鮭の稚魚の放流もされているようだ 
夏には両国の花火大会 レガッタ そして遊覧船(水上バス)も浮かび
高層ビルに両岸を囲まれ 現代の隅田川の情景をなしている

4~50年前までは隅田川は下町の輸送路としても重要な役割があった

竹屋の渡し近くに堀が開いていた
 
それが「山谷堀」だ

 
堀に入ってすぐの橋が「今戸橋」


今、隅田川には水門が残っていてかっての堀は暗渠になっている

その上は細長い公園が作られている


 
堀があった頃は山谷堀を船で7~800m行くと「吉原大門」に着く
 
この遊郭に豪勢に船で繰り出す様が記録にある

この山谷堀に沿うように延びているのが
 
今でも「馬道」と呼ばれる道路
 
吉原で散財の果て遊銭が足りず「つけ馬」を

連れ帰路に就く人達が通った事から
 
この名が付いたとされる

≪山谷堀から今戸橋の向こうに開ける隅田川の景色を
 見ると、どうしても暫く立ち止まらずにはいられなくなった≫

と描写された情景は もう想像も難しくなってきた

公園に変貌した山谷堀に水面はない
 
今戸橋の名の入った石柱は残っているが 隅田川への

視界は開けていない  90余年前の情景は

既に小説の中のみになってしまったが 

碑やプレートは随所にあるので

散策しながら 往時を偲ぶ愉しみはある

近世だけでも 関東大震災 東京大空襲等でこの辺りは

壊滅を繰り返し 時移り人変わり 

浅草界隈も刻々と変貌を遂げている

ただこの下町 

たくさんの歴史を秘めてその奥深さは はかりしれない

☆☆山谷堀☆☆
山谷堀がいつ頃掘られたかははっきりしない 
江戸初期と推定されている
北区の音無川を源とし飛鳥山の北側 
王子権現の下を経て通じていた
堀の下流から 
今戸橋 聖天橋 吉野橋 正法寺橋 山谷堀橋 
紙洗橋 地方新橋 地方橋 日本堤橋の九つの橋があったが 
埋め立て 渠上公園になった今は 橋台のみが昔日の面影を残している 

☆☆言問橋☆☆   
《名にしおはば いざ言問わん みやこどり 
  わがおもうひとの ありやなしやと》
と 詠われた古歌(825~880年)に因んで付けられた橋名
古来 詩歌 小説によく出てくる 
いま橋上は時を問わず車のラッシュ
都鳥とはゆりかもめのこと 
東京湾 新副都心を循環する新交通の名称にもなっている
鴎は今も言問橋や桜橋にたくさん飛んでいる

☆☆永井荷風(1879-1959)☆☆
明治 大正 昭和の小説家 東京小石川に生まれる
1903~1908年アメリカ フランスに遊び 
帰国後「あめりか物語」「ふらんす物語「すみだ川」
等を書き流行作家になる 
作風はヨーロッパ風から江戸趣味に移行して行く
大正期 「腕くらべ」で大家の地位を確立 
またボードレール ベルレーヌ レニエらの
フランス象徴詩の名訳で 詩人 フランス文学者の一面もある
1952年文化勲章受勲 翌年芸術院会員となる 
晩年は千葉県市川市で奇行に富む自炊生活を送り 話題をまいた


3.10・東京大空襲・あの日から62年

2007-03-10 18:42:25 | 写真
1945.3.10・東京大空襲から62年

東京都慰霊堂へ行った

たくさんの人が慰霊に来ていた

被災者の高齢化が見てとれた

62年前の悲惨の風化を恐れる

☆東京都慰霊堂☆
東京都墨田区横網の横網町公園内にある慰霊施設
1930年に関東大震災の身元不明の遺骨を納め
犠牲者の霊を祀る震災記念堂として創建された
1951年東京大空襲の殉難者10万5千人の遺骨を納めた

慰霊堂の中は焼香の紫煙が漂っていた


≪私は煙で目をやられ目をつぶったまま逃げ~~≫
≪母を捜して何時間も何時間も~~≫
≪炭化していて父の顔が判別出来なかった≫

体験話の輪ができていた

慰霊堂の側に

【東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑】がある


ここの地下には東京大空襲犠牲者名簿が収められてる

77.762名(06.3.現在)登載されているという

ここにも列をなして慰霊していた

*東京大空襲*
1945年3月10日未明
B-29爆撃機325機による爆撃で
100万発(2,000トン)もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾が投下され
1夜にして犠牲者は10万人以上
焼失家屋は約27万8千戸に及んだとされ
東京の3分の1以上の面積(40平方キロメートル)が焼失した


下町一帯は焦土と化した

隅田川は累々と死骸の山になったという

悲惨さを伝える写真はたくさんあるが

鮮明な画像(その悲惨)を掲載することが憚れる

体験記*私の東京大空襲*
http://www.asahi-net.or.jp/~rk8h-od/kusyu.htm

春の陽気の隅田川に出た

さくらの蕾がかなりふくらんできていた

もうすぐ両岸はピンク色の満艦飾に

ふぅ~と一息つく

目で大空に<平和>となぞり書きした



≪休茶屋の女房が縁の厚い底の上がったコップに

2007-03-09 11:09:57 | 写真

手前から言問橋 桜橋 左手が(台東区)淺草方面右手が向島(墨田区)


≪休茶屋の女房が縁の厚い底の上がったコップについで出す
冷酒を羅月はぐいと飲み干してそのまま竹屋の渡し船に乗った≫

今戸で常磐津の師匠をしている

妹お豊のところへ行くために
 
俳諧師松風庵羅月は渡し船に乗った

再び桜橋を渡り向こう岸(浅草方面)の
 
渡し船が着いたと思われる場所に行く

「竹屋の渡し」の碑がポツンと建っていた

  
その延長線上に待乳山聖天がある

 
小高い(10m弱)の聖天からの

眺望は和やかな風景だったのだろう
 
当時は仲見世風な町並みで賑やかな模様が
 
絵図として残っている その面影は今は全くない

☆☆ 待乳山聖天 ☆☆   
言問橋の上流 隅田川より少し奥まったところにあり 
海抜9.5m 3,000㎡程の丘の上に建てられ 
正しくは「待乳本龍院」浅草寺の支院 
地元では待乳山聖天と呼び親しんでいる

今は鉄筋建てだが 
1945年の東京大空襲で焼失するまでは木造だった
古くは錦絵や 荷風の「すみだ川」に描かれてるように 
絶好のビューポイントだったようだ 
文人墨客が好んで親しんだ

天井には「外陣格天井竜」「格天井画天女」が鮮やかにあった
大根がたくさん供えられてあって
≦大根は人間の深い迷いの心 瞋(いかり)の毒を表す
 大根を供えて聖天さまが毒を洗い清め・・・≧
と記してあった


境内には江戸時代の名残をとどめる

唯一の築地塀(ついじ)と呼ばれる

錦絵にも描かれた土塀がある


全長45.5m当時を偲ばせる情緒ある一角だ

     つづく


正面に待乳山を見渡す隅田川には

2007-03-08 14:59:34 | 写真

≪正面に待乳山を見渡す隅田川には
夕風を孕んだ帆かけ船が頻りに動いて行く
水の面の黄昏れるにつれて 鴎の羽の色が際立って白く見える
宗匠はこの景色を見ると時候はちがうけれど
酒なくて何の己れが桜かなと急に一杯傾けたくなったのである≫    
           永井荷風著「すみだ川」の一節

読んだら 久しぶりに浅草の待乳山に歩が進んだ

荷風は4年10ヶ月に亘るアメリカ
 
フランス滞在から帰国
 
1年後にこれを書く 時に1909年

中編小説「すみだ川」に描かれた情景は
 
外遊前の描写とされるから
 
1904年頃の隅田川辺りのようすだ

「一杯傾けたくなった」茶屋の辺りに行ってみよう
 
20余年前に出来た桜橋を渡る

頭上は首都高速 

高架道を車が間断なく走っている 岸に立つと両岸は水面から
 
かなりの高さのコンクリートの護岸が続く
 
その外側に(水面近くに)遊歩道が造られている
 
石畳風のそれは洒落ている
 
が青いビニールシートで作られた

箱形の家?が点在する(おそらく)何キロにもわたって……

いわゆるホームレスの人達の居住区?になっていた

正面には微かに



待乳山聖天の瓦屋根が梢の先に光っていた

つづく