うつ日記復職編

うつ病により約1年半休職していました。
2006年3月より復職し、うつと付き合いながらの生活をおくっています。

バンテリン最高。

2004-08-03 23:24:27 | うつ
アジアカップ、殴り合いの面白い試合でしたね。
ロスタイムの中澤の得点、部屋の中心で、愛を叫んじゃいました。
あれは頭より足の方が楽そうだったけど、さすがボンバヘッド。
中国は場所を移っても同じでしたね。
boooooooooってシンフォニー。またお金払って悔しがりにきましたか。
決勝も勝って、「憎まれっ子世にはばかる」状態になりたいですね。

さて、病気の話ですが----------------------------------------
僕も妻も病状が悪くなり、比較的症状の軽い僕も仕事をしながら、
妻の支える事が大変になってきました。
そこを耐えてこその夫じゃないかと思います。
ですが、システムを3つ掛け持ちで担当し、新システムの開発に従事するのは、
それだけで大変でした。
それこそ寝る時間を削ってがんばりましたが、会社員と夫の役目の両方が中途半端になってしまいました。

僕と妻と両方の親を交えて話しをし、妻は妻の実家に戻る事になりました。
全く会わない訳ではなく、週末は一緒にすごしていました。
その頃、もう会社を休むのに体調が悪いだけではすまなくなり、
上司にカミングアウトしました。
話は更にその上司、社長へと流れ、直属の上司は僕の主治医に話しを
聞きにいってくれました。

正直なところ仕事の負担が大きく、できれば定時に帰ったり、
土日に休めるような状況が欲しかったのですが、
その主治医は今の環境は変えない方が良いと言ったらしいです。
今こうやって書いてみると笑ってしまうのですが、毎日終電みたいな
生活して、土日の出勤も頻繁にあるんだから、うつ患者が休息できるようにしろよと思います。
よって、仕事上の負担は減る事はありませんでした。

また、いくら主治医と面接しても病気自体に対する理解が深まる訳では
無いので、「どうして来れないんだ」、「起きてるなら会社に来い」
と言われたり、別室で怒鳴られたり、まぁ、確かに上司のいう事は正論なんです。ただ、努力や気の持ち様でなんとかならないから病気なのです。
それは頭では理解していても、甘え、サボりに見え、感情的にっはガマンできない事だったのでしょう。

それはもう何度も何度も自問自答しました。「自分は本当に病気なのか?サボり癖じゃないのか?」と。
僕が自分で言える事は会社に入って7、8年、人並みに出勤し、
人並みより少し多く仕事をこなし、評価されてきた事と、
医師が病気を認めている事だけです。
ただ、僕に上司を非難する資格はありません。同じうつ患者である妻を
理解し助ける事ができずに最終的に離婚する事になってしまったのですから。
妻はきちんとカウンセリングもしてくれる医師が希望でしたので、
知人から紹介された病院に転院しました。
新しい病院は妻の実家の近くでしたので、僕は一緒に通院する事はできないので、
僕も家の近くの病院に移りました。

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