うつ日記復職編

うつ病により約1年半休職していました。
2006年3月より復職し、うつと付き合いながらの生活をおくっています。

僕が休職にいたるまで。

2004-08-11 01:17:10 | うつ
何回かに分けて書いた僕が休職するまでをわかりずらいので
1本にまとめようと思ったのです。
今まで読んで頂いた皆さんからは同じ内容ですので、あえて読まなくて、結構です。

さて、病気の話を---------------------------------------------
僕が通院を始めたのが、平成12年なので、それより2、3年前、
妻が、「病院でうつ病と診断された」と泣きながら言った。
当時、妻はパートで働いていたが、時間に融通がきく職場だったので、
僕より後に家を出ていた。
日にあたる事もつらく、動けなかったりして、ベッドの中でご飯を
食べていたりしたそうだ。
そんな妻の変化に、僕は何も気付いてあげられなかった。
僕は当時、あるプロジェクトを任されており、非常に多忙で、
札幌と東京の往復を繰り返していた。
その上、夜11時以降のテレホーダイ時間は寝るまで、
EverQuestというネットワークRPGに熱中していた。
僕はもちろん妻を愛していたけど、他人にあまり興味を持たず、
自分の時間は自分のやりたいようにやり、相手の時間には干渉しない
性格なので、余計に気付いてやれなかった。
多分、この性格は今も変わっておらず、僕が人間として欠けている部分だと思う。
ほんと、外面だけ良い、ひどい夫だったと思う。
償いたいけど、今はその手段すら無い。

当時、僕が担当していたプロジェクトにおける、
ユーザ側の代表者が困った人でですね、
自分で言った事をすぐ忘れて
「こんな風に作ってくれなんて、言った覚え無い」とか
平気で言うのですよ。
そのたびに議事録とメールのログを見せて説明しましたよ。
おまけに全て自分が検収しないと導入させないと言うので、
テスト用のサーバ立てたりして、さあチェックしてくださいと
お願いしても、「忙しいからできない」ですと・・・・・
いつまで経ってもスケジュールが進みません。
まぁ金払いが良い会社でしたので、いいんですけど、
社内での立場がねぇ。こっちはやる事全てこなしてるのに、
あいつのプロジェクトははまってるらしいとか噂されるのですよ。

多分、2000年対応をしてた辺りだと思うのですが、
どうも、仕事をする気が起きない、朝起きるのがつらい、
集中力が無い、物事の段取りを要領良くできない等が
少しずつ顔を出し始めました。
1日会社にいても、がんばろうと思っているのに
実働3時間位にしかならなかったり。
妻のうつ病をよく理解する為に本を買って勉強していたのですが。
その本に書いてある症状が、かなりの部分で自分に当てはまってる事に
気付いてしまいました。まさかとは思いましたが、妻と相談して一度、
病院に行ってみる事になりました。

妻の通っている病院で診察を受けたところ、
うつ状態ないし、うつ病との事。
僕が小学生の時、僕の母も心の病気で長期入院していた事があるので、
遺伝なのかなと思うと、少し諦めというか、精神の病気という事実を受け入れる事ができた。
ショックだったけど、そんなにひどい症状とは思わなかったし、
薬ですぐになんとかなると思っていた。
それが間違いである事を何年もかけて思い知らされる事になった。

僕は投薬治療を続けながら仕事をしていた。
担当の医師は、原因は複合的なもので、
原因を特定しても仕方無いというスタンスだったが、
遺伝、性格等の下地があったにせよ、仕事のストレスがトリガーになった事は
間違いなかったと思ってる。

通院しながら薬を飲んで仕事を続けていました。
状況はそんなに変わらず、色々なものを抱えながらも、なんとかやっていました。

話が前後しますが、僕がまだ病気になる前、
妻の病状は最初は順調に良くなっているように見え、
僕は楽観視していました。
病気が良くなったら、子供を作ろうねと話していました。

ある日、妻の父が急逝しました。
当たり前ですが、辛かったと思います。
特に妻はお父さん子だったので、なおさらです。
そこから、妻の病状は悪くなっていきました。
動けない日が多くなったり、一人でいるのが辛いので会社にいる僕に
帰ってきて欲しいと言ったり、突然倒れたり、地下鉄に乗ると
呼吸が苦しくなるようになりました。
妻の職場は上司の方が良い方で、病気で出勤状況が不安定な状況でも、
調子が良い時にがんばればいいんだよと言って頂きましたが、
調子が悪い日が多くなり、それ以上、ご迷惑をおかけする訳にも
いかなくなり、仕事を辞めました。
病院も診療内科に通院していたのですが、その病院では対応できなくなり、
そこの医師に薦められた精神科の病院に転院する事になりました。

妻の転院を機に夫婦そろって受診した方が良いだろうという事になりました。
2週間に一度、二人で病院に通いました。
そこの医師は札幌市内の精神科医に弟子が多い、ちょっと有名な先生でした。
症状に的確に薬を調整してくれる先生と思っていましたが、
その分、カウンセリングや、患者の話を聞く事に重きを置かない先生でした。
僕にとっては、やりやすい先生でしたが、妻はカウンセリング面で不満、不安のようでした。

妻はあまり症状の改善にはならず、少しずつ磨り減っているようでした。
当時の彼女に必要だったのは、薬なんかより病気を含めた彼女自身の事に耳を傾け、
理解しようする人間だったのかもしれません。
僕は以前に書いた通り、自分以外にあまり干渉しない性質でしたので、
この点でも、妻を助け、支える事が出来ませんでした。

一方、僕の方は仕事自体はなんとか無理をして人並みにこなしていましたが、
有給、半休の回数が増え、周りから指摘されるようになってきました。
まだ、病気の事をカミングアウトしていなかったので、苦しい言い訳をしていました。
僕自身も人並みの仕事をこなす為に、無理を重ね、磨り減っていきました。
会社では弱みを見せたくなかったので、人前では空元気で乗り越えていましたが、着実の心の疲労も蓄積されていきました。

僕も妻も病状が悪くなり、比較的症状の軽い僕も仕事をしながら、
妻の支える事が大変になってきました。
そこを耐えてこその夫じゃないかと思います。
ですが、システムを3つ掛け持ちで担当し、新システムの開発に従事するのは、
それだけで大変でした。
それこそ寝る時間を削ってがんばりましたが、会社員と夫の役目の両方が中途半端になってしまいました。

僕と妻と両方の親を交えて話しをし、妻は妻の実家に戻る事になりました。
全く会わない訳ではなく、週末は一緒にすごしていました。
その頃、もう会社を休むのに体調が悪いだけではすまなくなり、
上司にカミングアウトしました。
話は更にその上司、社長へと流れ、直属の上司は僕の主治医に話しを
聞きにいってくれました。

正直なところ仕事の負担が大きく、できれば定時に帰ったり、
土日に休めるような状況が欲しかったのですが、
その主治医は今の環境は変えない方が良いと言ったらしいです。
今こうやって書いてみると笑ってしまうのですが、毎日終電みたいな
生活して、土日の出勤も頻繁にあるんだから、うつ患者が休息できるようにしろよと思います。
よって、仕事上の負担は減る事はありませんでした。

また、いくら主治医と面接しても病気自体に対する理解が深まる訳では
無いので、「どうして来れないんだ」、「起きてるなら会社に来い」
と言われたり、別室で怒鳴られたり、まぁ、確かに上司のいう事は正論なんです。ただ、努力や気の持ち様でなんとかならないから病気なのです。
それは頭では理解していても、甘え、サボりに見え、感情的にっはガマンできない事だったのでしょう。

それはもう何度も何度も自問自答しました。「自分は本当に病気なのか?サボり癖じゃないのか?」と。
僕が自分で言える事は会社に入って7、8年、人並みに出勤し、
人並みより少し多く仕事をこなし、評価されてきた事と、
医師が病気を認めている事だけです。
ただ、僕に上司を非難する資格はありません。同じうつ患者である妻を
理解し助ける事ができずに最終的に離婚する事になってしまったのですから。
妻はきちんとカウンセリングもしてくれる医師が希望でしたので、
知人から紹介された病院に転院しました。
新しい病院は妻の実家の近くでしたので、僕は一緒に通院する事はできないので、
僕も家の近くの病院に移りました。

僕の容態はかなり良くなり、休みも減ってきました。
仕事もまだまだですが、少しずつこなせるようになってきました。
ここ、しばらくは当たり前ですが、低い評価をされてきましたが、
やっと、まんなか位の評価を貰えるようになり、とてもうれしかったです。
一方、妻の容態は新しい病院になってからも悪化しました。
僕としては薬の出しすぎではないかと思いましたが、
妻自身は新しい医師を気に入ってるので、
特に医師に意見するような事はしませんでした。

毎週、土日は妻と過ごしていましたが、ちょくちょく、
くだらない喧嘩もしてしまいました。
ただ、僕は喧嘩を翌日に引き継ぐような事はしませんでしたし、
多少の喧嘩はして当たり前位に思っていました。
それが後々、重大な事になってしまいましたが。

妻の症状はだんだん悪くなっているように見えました。
病気のせいと医師が出す薬の種類、量に問題があるのではないかと
思いましたが、妻がその医師を信頼しているので、それ以上何もいえませんでした。
結婚する前も結婚後もいつもハキハキしていて、せっかちな位行動的で、
自分を高める事をいつも目指していた彼女が、
幻覚、幻聴、記憶が無くなり話した事のほぼ全ては次の日には忘れられていたり、
突然倒れるという症状や、何事にも自身が無く臆病になったりしているのを見ると、
人格はどんどん変わって行き、僕が結婚を決意した女性は、
もういないような気がしてすごく悲しくなりました。
でも、彼女は間違い無く僕の妻なのです。僕も一生懸命彼女のサポートを
したつもりです。

僕も彼女も一緒に生活したかったのですが、妻から病院の近くで一緒に
住みたいと言われました。妻の病院はかなり不便なところにある、通勤も
一苦労になるので一瞬考えましたが、やはり、一緒に住む事にしました。
新しい家を借りるのも引越しするのもお金が必要です。その時、僕は勿論うつ病で、
会社にいけない日も多く、当然、評価も低かったので、
収入もかなり低かったのです。その為、12月のボーナスを待って、
引越ししようという事になりました。

ボーナスは出ましたが、色々な支払いがあり、それに加えすぐ車検等があり、
引越しするには少しお金が足りなくなってしまいました。
妻には理由を説明して、引越しはもう少し待ってくれるよう頼んだのですが、
妻は上に書いたように、すぐ記憶が飛んでしまうので、僕が不便なところに
住むのがいやで引越しを伸ばしていると思い込んでいるようでした。
その後、何度も説明し、その時には納得してくれましたが、次の日になると、
全て忘れており、僕が引越しを嫌がっているという結論になっていました。

別居が続き、いつ病気が治るか分からない二人を見て、
両方の親は離婚して欲しかったようです。
偉そうな事を言っていますが、病状が最悪の頃、両親にお金を貸して
貰っているのですから、わがままと言われてもしかたありませんが、
その度に両親を義母を説得しました。「僕の症状は上向きでもう少し、
仕事が軌道にのったら、妻の面倒も見られる」と。

ただ、妻は引越しが出来なかった件とちょくちょく喧嘩をしていた事で、
精神的に追い詰められていたのかも知れません。
妻の方から離婚をしてくれと言われました。
両親、義母は説得出来ても、妻本人が僕と夫婦でいる事がいやならそれ以上
何も言えませんでした。
ただ、「僕は別れたくない。今、君が一番優先しなきゃならない事は、
病気を治す事。確かに喧嘩もしたけど、離婚して僕と会わない事が、
病気を治す為に良い事なの?よく考えて欲しい」と言いました。
次に妻から電話が来た時、妻は泣きながら「やっぱり別れたい」と
言いました。

こうして、僕らは離婚する事になりました。
でも、今でもすんなり離婚を受け入れた事を後悔しています。
僕は今まで、妻の言う事は極力尊重してきましたが、
前日の記憶がすぐ飛んでしまう状態の妻の意見をそのまま受け入れる
べきではなかった。別に別居でも良かったのだ。何も病状が最悪の時に、
決める事ではなかったのだ。
こうして、僕の浅はかさの代償として、僕がいて、妻がいて、
一人位子供がいて、普通の家庭を築くという僕の夢を失った。

離婚が決まった僕らですが、まず、妻が部屋を引き払いました。
特に分与できる財産も無かったし、ここ数年のうつ生活で●百万円の
貯金は使い果たしていましたので、とりあえず、欲しい物は全て持って
いっていいよと言っておきました。
済んでいたアパートは結婚してから、ずーっと住んでいた所なのですが、
荷物が半分無くなっただけで、もう、僕の知っている部屋ではなくなっていました。
あー、本当に終わったんだなと思いました。
悲しいというよりは体の半分が無くなったような喪失感が大きかったです。

僕も仕事はかなり忙しかったのですが、その合間に新しい部屋を見つけました。
野菜を育てたかったので、広いバルコニーがあるマンションで車庫付きのところに決めました。
現在、車を持っていないので、お客様駐車場兼物置になっていますけど。
僕が離婚届けを出す予定だったのですが、妻の方の親がせっかちさんだったので、
妻の方が出してくれました。
まぁ、その方が楽だったかな。ただ、僕も妻も何も変わらないのに、
明日から他人っていうのも、なんだかなぁ。
会社でも、上司や、その上司、管理部に離婚の報告を済ませました。
二人そろってうつなダメ夫婦だったので、その方が(離婚した方が)良いと思っていたのかも知れません。

改めて、両親には面倒掛けっぱなしです。
僕は両親を尊敬していますし、良いところも悪いところもあるけど、
両親のような夫婦になりたかったなぁ。
そんな事、絶対、両親には言いませんけど(笑)

心機一転、独身生活を楽しもうと思いました。まぁ80%位は空元気なんですが。
まず、車を買おう。元妻にあげてしまったし。

でも、そこから、僕の病状は少しずつ悪くなっていきました。
情けない事に離婚が原因なのは間違いないです。
ここ最近はかなり回復してきまして、休みも少なくなったし、
少しずつ、仕事も評価されるようになってきましたが、
また、会社に行けなくなってきました。
朝起きた瞬間に何もできないのです。
スーツまで着るのですが、ドアを開けられないのです。
最近、調子が良かっただけに、せっかくここまで来て評価も上がってきたのに、
うつで休むとは言いたくありませんでした。
風邪や、私用などの理由をつけましたが、休みは頻繁になると、
上司に呼び出され、本当はうつで休んでいましたというと、
「なんで、嘘をつくんだ」と怒鳴られ、「お前、もう辞めろ」とも言われました。
上司の言う事はもっともな事ですし、
前々から、もう無理なのかもしれないと悩んでいましたので、
「はい、分かりました。辞めます。」と言うと、
「辞めろって言われたら、すぐ辞めるのか、お前、仕事をどう思っているんだ」
とまた怒鳴られました。
「いえ、前々から考えていた事ですので、主治医と相談して、ご報告します。」
と答えて、その場は終わりました。

某メンヘル系のBBSに事情を色々書いて、会社を辞めるつもりだと書き込むと、
今の世の中、辞めてももっと良い仕事につくのは難しいし、
自分は辞めて後悔している。退職ではなく、休職にしたら?
10年働いているなら、少し位のわがままは聞いてくれるだろう
とレスが付きました。
今でもこのレスを書いてくれた誰かに感謝しています。

主治医にも「最近、調子が悪くてもう限界です。会社を辞めようと思います。」と言うと、
「休職はできないのかい?こういう病気の時に大きな判断をすべきではないし、
不況だから、仕事を探すのも大変でしょう」
と言われました。
とりあえず、診断書を書いてもらいました。

上司に診断書を提出し、「休職させてください。ダメなら退職させてください。」
と言うとあっさり休職が認められました。僕一人で抱えてるプロジェクトもあったので意外でした。
まぁ、正直なところ、限りなく戦力外と考えられていたんだろうなと思います。
最初は次の週位から休職できるような事を聞いていたのですが、
残件、引継ぎも含めて、きっちり1ヶ月引き伸ばされました。
最後の送別会?では、もうカミングアウトしてるも同然なのですが。
「中途半端に戻ってくるなよ。ゆっくり、完璧に治して帰って来い」
とか、「暇ならいつでも連絡よこせ」とか言ってくれてうれしかったです。
僕も「戦力になるまで回復しないうちは帰って来ません。
でも必ず戻ってきますので、その時はよろしくお願いします」
と言ってきました。

こうして、僕は休職し、一人で生活する事となり、このBLOGに続きます。
よろしければ、お付き合いください。

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25 コメント

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ふと (tierra)
2004-08-14 13:39:53
読んでしまいました。

休職・離婚・うつ・・・いろんなことを抱えていらっしゃってたいへんだと思います。

私も今までのんびりラクな生活をしてきましたが

今、しんどい思いをしています。

ブログは始めたばかりなんですけど、よかったら

遊びにいらしてくださいませ。
返信する
いらっしゃいませ (hiro-908)
2004-08-15 22:46:40
tierraさんのBLOG拝見させて頂きました。

今は「強い母」が求められていると思いますが、

一人で何でもこなす事は難しいと思いますので、

周りの色んな物、人を助けにしながら、がんばってください。
返信する
ありがとうございます(^^) (tierra65)
2004-08-16 23:43:03
がんばろう~~って、前向きな気持ちと

もうどうでもいいから、消えてしまいたい~って気持ちと、行ったりきたりです。

ブログは記録として成り行き&気持ちを残しておきたいと思ってやってます。

もちろん、こうして見知らぬかたからメッセージをいただけることも嬉しいです。
返信する
なーるほど (さか)
2004-09-21 10:21:11
不幸な中でも恵まれてる方だとおもいますよ。

ぼくは、2錠で2時間しか効かないリタリンを

1日8錠のんで、机にしがみついているのが

せいぜいで、罵られたあげく、契約期間中に、

クビを切られたりいろいろしてます~。

奥さんと手を取り合ってゆっくり静養して下さい。

焦らず乗り切りましょう。
返信する
さか様へ (ひぃ)
2004-09-21 14:47:21
そうですね。

この世の中で、今の待遇は恵まれていると思う。

でも、10年以上、心と体を擦り切らせて仕事してきた

代償でもあると自負しています。



メンヘルって同じ病気でも他人のつらさって、

本当のところを理解してあげるのって無理だと思うから、

比較できないと思う。



長文を読んでいただき、ありがとうございます。

でも、後半は流しましたね(笑)

僕、離婚してるんで、奥さんと手を取るのは

ちょっと難しいです(笑)



お互い、すこしずつ良くなるといいですね
返信する
追加 (ひぃ)
2004-09-21 15:07:09
確かにつらい事はたくさんあったし、

それを跳ね返す強さが僕に無かったりしたんだけど、

この程度、ありふれた話だと思うので、

自分をそれほど不幸だと思った事は無いです
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こんにちは。 (gigi)
2004-10-02 11:27:01
つらくてネットをうろうろしているうちに見つけました。

最近夫から「もう妻としてつきあえない」と言われ、突然のことにショックで、離婚を考えたりしていたら仕事が手につかなくなってしまいました。でも、離婚になれば仕事を探すのも大変だろうし、このまま今の仕事を続けなければ、と頭ではわかっているのですが出社がつらく、今日これから精神科へ行ってこようと思います。

体験談、なんだか参考になりました。ありがとうございました。
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こちらこそ (ひぃ)
2004-10-03 03:39:38
こんな垂れ流しの長文でも、何かのお役に立てたのなら何よりです。



大きな問題を抱えて心の調子が悪くなるのは、誰にでもありえる事です。

今どき、ちょっと不眠で眠剤を貰いに精神科に行くのも珍しくないので、

気楽に行ってみるのも良いと思います。

精神科でなくとも、心療内科、メンタルクリニックがありますし、

最近は女性、子供専門のクリニックもありますよ。
返信する
また (gigi)
2004-10-03 12:30:46
またきてしまいました。



ありがとうございます。

心療内科に昨日行ってきたら、

「症状が治まるまでは、離婚とか、重大な結論は出さないように」

と言われ、抗うつ剤と眠剤を出されました。

どうも、悲観的な考え方になってしまいがちなんですが、

今はあまり考えすぎないようにしなくては。

薬が効くようになってきたら、離婚も乗り越えられるかなと思います。
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僕も休職しました (AT210)
2004-10-12 17:18:02
読んでいて「俺と同じだ」と思いました。人前ではすごくいい顔をするけれど疲れる。両親の前ではいい子ぶるというところは私と同じです。でも5年前にやはり休職になりました。ぷつんと糸が切れたようになりもうアンコントロール状態。今は引っ越しの件でやはりうつ状態です。昨日も妻の両親と話したけれど、ローンの金額が馬鹿でかいのに家を買った方がいいと強引に言われてしまい、正直疲れました。いろいろ話したいことがあるんですけれど、ここではなんなんで僕のメアドを教えます。もしよかったらお話でもしませんか。僕は高校教師ですがじつはSE向きの人間らしいんです。実際に教師になる前はプログラマーをやってました。休職の時のことを詳しくお教えします。気軽に立ち寄ってください。またこの掲示板を見ている方でも気軽によってください。ちなみに今まで飲んだ薬はインブロメン・パキシル・リーゼなど、現在はデパスとドクマチールです。ではお待ちしています。

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