風 囁

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている教会員の証し集

2008年1月13日 母をおもう

2008年03月23日 14時18分33秒 | 教会員の証し
      母をおもう

 2008年は「子年」。母は69歳で他界したが、生きていれば今年は96歳である。私のすぐ下の弟もまた子年である(本年還暦で団塊真っ只中)が、この二人は部屋の模様替えが好きで、思い立ったら夜中でもガタゴトと家具を動かすことを厭わないという、何ともはた迷惑な趣味で一致していたものである。(子年の方ってみんなこうですか?)
 母は唐津の高等女学校を出た後「女子高等師範学校」に進みたかったのであるが親が許してくれなかったと後々までこぼしていた。私は教師志望など更々抱かなかったが、母の場合、進学していたら、おそらく人間味あふれる良き教師になっていただろうにとひそかに思う。
 母は和裁と料理が上手だった。私の結納の日、小林昌明先生と末永昶牧師とO兄が我が家を訪れ、型通りの事が終わった後、母は楽しみながら「和」のフルコースのもてなしをした。そして、母の頭の中では娘の結婚に際しては着物を持たせることが常識であったらしく、一通りのものを仕立ててくれた。けれど時代は最早洋の時代であり、それらは頻繁に袖を通されることはないまま、母の死後運転免許を取得した私は、もう着物を着ることはないだろうと、心中ひそかに決別したつもりでいた。
 母の49日が過ぎて兄嫁や弟嫁達と形見分けをし、何枚かの着物や帯なども持ち帰り、箪笥に押し込んだままで15年程が過ぎていた。ある日箪笥を開け、胴裏にシミが広がり、表面も何か湿気を帯びたようなごわっとした紬の着物等を手にした時、日々の忙しさの中で封印していた母の思い出が弾け飛び散り、涙が溢れて仕方がなかった。母を着よう―、しみじみ思った。洗い張りに出し、母と違って細身の私だから仕立て直しを頼み・・・、こうして晩年の母を着て運転する娘となった。
 母は思いがけず早く亡くなったために伝道は叶わないままだった。しかし私達一家が小倉にいた頃、母教会の末永牧師夫人より電話が掛かってきた。「塩狩峠」の映写会の案内で母を訪ねたところ、「そんなにいい映画でしたら友人達にも紹介いたしましょう」と20枚近い券を引受けたのだという。娘たちが関わる教会へのひたすらな信頼があった。
 ことごとくその人柄は母に似ない娘であるように思うが、子年の正月、ひとしきり母が恋しい。

O.K.

2008年1月6日 いまどきのマスメディアに対して思うこと

2008年03月15日 23時23分04秒 | 教会員の証し
 いまどきのマスメディアに対して思うこと

 三年ほど前に、「寿命」というか、「老衰」を迎えたテレビを処分し、買い換えたのを機に、ケーブルテレビを導入した。アナログデジタルへ、更に、地上波への切換え設定操作も自力で完了することができた。それからは、もっぱら、CS、BSにのめりこんでいる。
 CMが少ないし、昔のなつかしい番組(ばかりではないが・・)を見られるのが魅力だからだ。民放を見ることもあるが、私の頭が固いからか、プロのアナンサーの話し方のアクセントのいい加減さ、ボキャブラリーの乏しさが気になって仕方がない。
 例えば、「彼氏」が「枯れ木」に、「若者」が「バカモノ」に聞こえる。その他、耳ざわりな言葉があふれている。視覚障害者は、戸惑われるだろう。また、どの局も似たり寄ったりの番組ばかりで、主体性というか、独自性が感じられない。さて、街頭インタビューを聞いていておかしくなることが時々ある。
 例えば、「あなたは何歳まで生きたいですか?」という質問に、皆さん、それぞれ思いをマイクに向かって言うのだ。それを聞いて、私なら「死ぬまで生きたい」と答えるだろうと甲斐姉に言うと、「そりゃそうだわねー」とおしゃって「フフ・・」と笑って下さった。
 もう一つ、野暮だなーと思うのは、「あなたのよく行く穴場を教えて下さい」という質問で、私には理解できない。だって、「穴場」を教えたら、どっと大勢押寄せて「穴場」が「穴場」ではなくなるではないか!と思うのだが、皆様はどう思われるだろうか・・。ところで、私の「穴場」は、と聞かれても「それは秘密です」・・(こんなタイトルの番組がありましたよね)。
 誰の心にも密かな楽しみがあると思う。私の楽しみは、イエス様を思うことだが、そのイエス様が私の楽しみを共有してくださったらと思う。


A.Y.

2007年12月30日 幼い羊飼い

2008年03月06日 00時03分51秒 | 教会員の証し
      幼い羊飼い

2007年最後の祈祷会は詩編23篇だった。

 「主は羊飼い、わたしには何もかけることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い魂を生き返らせてくださる」
 パレスチナでは青草があるところが、水があるところとは限らない。熟練した羊飼いは一日の行程の中に、ちょうどよい時間に水のある場所、青草で休む場所に来るようにする。わたしたちの道を把握し、理解し、導く羊飼いの素晴らしさを知る。

わたしたちの羊飼いはイエス・キリストである。

 去年の春に西鉄電車に乗ると筑紫野南教会の協力牧師をされている斉藤剛毅先生に出会った。私が献身の思いを持っていることを話すと、こういわれた。「よい牧者とは何人バプテスマに導くことができたとか、何年長く牧師を続けたかにはよらない」と。主に仕える姿勢、その主が仕えられた人に仕える姿勢が大切なことだと教えられた。思えば多くの恵みと試練の年であった。その時々に主が備え導いてくださった出来事を本当に感謝したい。
 教会の牧師として立つ召命を頂いているが、そうなれば私はさながら幼い羊飼いであろう。間違いも多く、拙く、弱く幼い羊飼いである。しかしながらその群れの本当の羊飼いは主である。私には何も恐れることはない。私には何も欠けるところがない。主が導かれるところにただ行くのみである。今年一年の砂の数より多い恵みを感謝して。


森 崇 神学生