風 囁

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている教会員の証し集

2005年2月6日 三日坊主

2007年01月26日 17時34分15秒 | 教会員の証し
      三日坊主

 私の年末は、自営業のこともあって、毎年忙しい。会社員の人達は、だいたい28日ぐらいで仕事納めであるが、車の入替の保険処理やカレンダー配り、年賀状書きなどで、あっという間に31日になっている。
 31日から1月2日まで、友達が支配人をしているホテルで過ごすのに、聖書をはじめ10冊ぐらいの本を、読破しようと意気込んで持ち込んだけれども、2冊しか読めなかった。この2~3年同じ事の繰り返しである。
 読んだ本の1冊に、東京裁判で、戦勝国11人の判事のうち唯一人、被告人全員無罪を主張した、インドのパール博士の「日本無罪論」という本がある。小泉総理の、A級戦犯を合祀している靖国神社への参拝に対する、昨今の中国などの批判などとも関連し、大変興味深く読んだ。
 パール博士は、「戦争に勝ったからといって、戦争の一切の責任を負けた国の指導者や国民に負わせ、敗者だけを裁く、自分たちに都合のいい急ごしらえの法律を作り、これを過去にさかのぼって裁いたのが東京裁判である。」と論じている。国際法の権威であったパール博士ならではの言葉と思う。
 少数者の意見は無視され、歴史の記憶からは消えていくが、多数がいつも正しいとは限らない。意志が弱い私だが、イエス様が常にささえて下さっている。今年は、人の意見をもっと丁寧に聞こうと思っているが、今年も三日坊主で終わるかもしれない。

  B.K

2005年1月30日 英語教師よ、イエスを学べ!

2007年01月25日 18時15分21秒 | 教会員の証し
 英語教師よ、イエスを学べ!

 昨年度と今年度、夏期休暇中に、県立高校の英語の先生方の英語集中講座の講師として“スピーキング”を担当させていただいたのですが、今年は大変でした。今年度、私がたてた“スピーキング”のテーマは、『あなたは熱く語るべきものを持っているか』でした。
 英語の先生方は、なぜかしら同じ文系の国語や社会の先生方に較べると、美的なもの、思想的なものについて深い関心を持ち、それを追求することが難しいのではないかと思い、このテーマをたてました。
 今、文部科学省は浅い意味合いの“コミュニカティブイングリッシュ”を重要視してきていますが、英語は、日本語と同じように、人間の様々な感情や思想を伝えるものであることを強調しておきたかったのです。つまり言葉を使うときには、その伝えるべき感情や思想が問われるのだということを、もう一度確認したかったのです。
 私の頭の中では、今の英語教師が考えるべきことは、「平和とキリスト教」です。日本国憲法の前文と第九条は世界に誇りうる内容ですが、その日本国憲法が改正されようとしています。この緊張をはらんだ時に再度憲法を読み直すことは、英語教師の責務だろうと思うのです。うれしいことに、イエスの愛の教えが我が国の憲法の底に流れています。
 しかし、事前に私の担当の県の職員から「政治的テーマ・宗教的テーマははずせ」という話があり、結局日本国憲法の論議ははずしましたが、イエスのことを語ることだけは決行しました。
 亡き妻との思い出もある、ニューヨークのハーレムゴスペルシンガーズの歌を授業でとりあげました。歌を聴き、その内容について語っていると、一人の若い教師が抗議の表情を顔一杯にして、「なぜゴスペルをとりあげるのですか!」と私に食って掛かってきました。
 周りの先生方も彼を応援する雰囲気です。私はこの授業を中止してもよい覚悟で、なぜイエスを学ぶ必要があるかを熱く語りました。まさに私自身が今回のテーマを実践したわけです。反論を待ちました。・・・何とか授業は終わりまで続行しました。

  U.K

2005年1月23日 心に棲む

2007年01月24日 23時56分42秒 | 教会員の証し
      心に棲む虎

最近、中島敦の「山月記」を読んだ。
 唐は玄宗の時代-李徴は博学多彩、若くして江南尉に補せられた程の人物であったが、性、狷介(けんかい)、自ら恃むところ厚く、賎吏に甘んずるを潔しとしなかった。官を退いた後は、人と交わりを絶って、ひたすら試作に耽った。詩家としての名を死後百年に遺そうとしたのである。
 しかし、文名容易に揚がらず、かつ貧窮に堪えず、一旦は一地方官吏の職を得たが、曾ての同輩の下命を拝さねばならないことが、どんなにか李徴の自尊心を傷つけたことか想像に難く無い。怏々(おうおう)として楽しまず、遂に発狂し、或る夜半寝床から立ち上がり、いずこともなく闇の中へ駆け出していった。
 数年の後、昔の後輩の袁偐という者が嶺南に使いしたとき或る山中に差し掛かると、突然、一匹の虎が躍り出たが、忽ち身を翻し、元の藪の中に隠れ、かすかな泣くような声で、自分はかつての李徴であること、臆病な自尊心ともいうべきものが災いして、己の珠にあらざることを恐れるあまり刻苦して磨こうともせず、といって瓦に伍することもできず、次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶の内に益々己の臆病な自尊心を飼いふとらせていった結果、虎になったと告げた。
 さて、私の心に「虎」は棲んでいないであろうか。臆病な自尊心のために、耳を塞ぎ、目を塞ぎ、神様の呼びかけに応じようともしないで自分勝手な思いに捕われ、何時しか神様のご恩寵を忘れてはいないだろうか。- 自問自答し、聖書をもう一度じっくりと読み直すべきだと反省多々の日を送っている。

 O.T

2005年1月16日 今思うままに

2007年01月23日 23時39分53秒 | 教会員の証し
      今思うままに

 京都に在る「日本漢字能力検定協会」が、毎年世相を象徴する「今年の漢字」を公募しているが、10回目にあたる2004年の字は『災』と昨年12月中旬に発表され、まったく言い当てた漢字だと納得した。
 数回にわたって日本に上陸した台風、新潟中越地震、猛暑、2004年も終わろうとしていた12月26日にスマトラ沖で全世界を震撼させた地震・大津波の惨事等の天災。イラクでの人質殺害、幼児虐待、子どもが被害者となった殺人事件等の人災。
 このような話題になると、「神様が怒った」、「人間の無力さを痛感した」と言う人が多い。たしかに、人間と共存すべき大切な自然を人間の勝手で壊してしまった。これが温暖化をもたらした。天災は人災であるかもしれない。
 そんな状況の中でも、表情も明るく前向きの姿勢を保っておられる被災者の方々を見かける。命が与えられ、一日一日無事に過ごせる衣食住をいただき、今日一日の恵みに感謝の気持ちで過ごしている人達なのだろう。神様は、人間が気付こうが気付くまいが、五感によって感じるすばらしい心をくださった。
 今、原点に帰って、人間にとって一番大切なものは何かを改めて考える時が来た気がする。それにはあまりにも犠牲が大きく、また多かったように思うけれど、それほど人間が驕りたかぶり、自然破壊に鈍感になっていたのだろう。
 今年は災い転じて福となるように、小さな個である私達一人一人が立ち止まり、命の尊さをかみ締め、素朴な生の営みの恵みに感謝して歩まねばと、改めて思う。いろいろなことを示唆してくれた被害に遭った方々への関心と祈りは、決して忘れてはならない。

加藤博美姉

2005年1月9日 言葉をもったホモサピエンス

2007年01月22日 16時48分40秒 | 教会員の証し
 言葉をもったホモサピエンス

 私はテレビ番組の中で科学や歴史を扱ったものをよく観る。これは私に限ったことではなく、中年以上の男性の傾向であると何かの本に書いてあった。特に自然や動物を扱った番組は心が癒されるような気がするし、宇宙ものには躍動感を覚えることが多い。
 昨年の初秋よりNHKにおいてシリーズで放映された「地球大進化・人類への旅」は非常に興味深かった。「地球の成立ちと人類(ホモサピエンス)の進化」がテーマであった。
 地球が誕生して今日までの46億年の中で、幾つもの生物が食物連鎖の頂点に立ち、繁栄を謳歌するが、これに終止符を打つのは自然界の現象 (大隕石の衝突・大陸大移動・スーパープルーン等々)によることが次第に分かってきた。
 そして幾つかの種が生き残って次の世代を形成していくわけであるが、皮肉なことにホモサピエンスに至る種は、長い道のりの中でその殆どの期間、全く注目されない日陰の存在でしかなかった。しかしこの事がかえって種の保存につながり、ホモサピエンスが今日の地球に君臨する要因となった。
 信仰に入った20歳の頃、科学番組好きの私が最も興味惹かれたのは「創世記」であった。「天地創造」の記事は先の「地球大進化・・・」とは随分異なる。しかし46億年を聖書が語ろうとする時、創世記の表現は、これはこれで私にとって十分であると思えた。そしてその思いは今も変わらない。
 46億年という時の流れの中では、人類の歴史はまだほんの一瞬でしかない。しかし既に人類の存亡は極まってしまったようなものであるという。どの紀においても、その頂点に立った種は必ず絶滅している。
 人類も恐らく同じ運命を辿るのであろう。ただしこの番組を観る限り、自らの手で自らの種を滅亡させたものはない。この番組の最後の回では、ホモサピエンスが長い喉(のど)を持つに至ったことが強調された。
 これが過去に出現した生物と唯一異なった点であるという。ホモサピエンスはこの喉を使って複雑な音声を作り出し、言葉を持つに至った。そしてこの言葉を伝承することによって人類は文化を生み出していった。
 言葉、即ち神から与えられた大いなる賜物を、人類はこの先どのように用いようとするのであろうか。一方では滅亡への危機をはらむ禁断の果実でもある言葉。少なくとも我々の時代には愚かな形で賜物を弄ぶことはしたくないものである。           
 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。万物は言によって成った。言によらず成ったものは何一つなかった。(ヨハネ福音書1・1~3)

  O.H

2005年1月2日 天命

2007年01月22日 00時34分32秒 | 教会員の証し
    天  命

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
 昨年に続いて、今年も「風囁」の念頭号を務めることになりました。これも何かの回り合わせでしょうか。
 さて、過ぐる‘04年は、「力の論理」に揺れ、「天変地異」に震えた大変な一年でした。自衛隊のイラクへの初めての海外派遣に始まり、記録破りの猛暑、過去最多の台風の上陸と各地の大水害、それに追い打ちをかける新潟県中越地震。子どもの痛ましい死も相次ぎ、さまざまな不安が私たちを覆いました。
 ようやく迎えたクリスマスの喜びの中に飛び込んできたスマトラ島沖地震・インド洋沿岸大津波のニュースに仰天しました。タイのプーケット島、ピピ島やマレーシアのペナン島は、海外学術調査時に何回か立ち寄り、妻も行ったことのある所だったので、当時の明るく穏やかな美しい海岸を思い出して大変ショックでした。
 このような災害を人は「天災」と言い、「天命(宿命)」というかも知れませんが、その陰には、環境破壊をはじめとする現代文明に基因する「人災」が潜んでいるのではないでしょうか。
 ‘04年のノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんは、アフリカの各地で3000万本の植林をしてきた環境保護活動家ですが、受賞記念記者会見で、「木を植える時、私たちは平和と希望の種を植えています。」と語っているのは、本当に心に残る言葉です。
 五木寛之がある対談の中で、「『人事を尽くして天命を待つ』とは良く言いますが、私は逆に『人事を尽くさんとするは天の命なり』と読みます。」と言っていました。
新しい年を歩み始めるに当って、まさに天の父なる神の命に従って、御心に適うように人事を尽くすことを祈り願っていきたいと思います。

 「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。全ての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」
          (箴言 3:5~6)

  K.H

2004年12月26日 スマイル

2007年01月20日 16時54分52秒 | 教会員の証し
     ス マ イ ル

 今年の夏休み、ぼくはお母さんと一緒に重度障害者施設にボランティアに行きました。
最初、ぼくはとてもショックでした。ぼくが思っていたよりもずっと重い障害をもった人がたくさんいたからです。
 ドキドキして、うまく自分からあいさつができませんでした。ぼくはいつもお母さんから「友達を作るのがうまいね。」と言われます。けど、この日はきん張して、いつものようにはできませんでした。話しかけても答えてくれないので、どうしていいのかわからなくなりました。友達を作る自信がなくなりました。
 そんな時、お母さんが「スマイル、スマイル。」と言いました。ぼくは一番大切なことをわすれていました。学校でも友達を作るのにはスマイルが一番だということです。お母さんから「かんちがいしたらいかんよ。」と、おこられました。
 自分のこともよくできないぼくに、人のお世話ができるはずがありません。障害者を助けてあげようなんて、とてもえらそうで、はずかしい考えでした。だから一人でも友達を作って帰ろうと思ったらきん張しなくなりました。
 お母さんが入所者の歯みがきの介助をする時、口の中に手を入れるのを見て、ぼくにはできないと思いました。施設の先生に「人の口の中に手を入れるのはいやですか。」と聞かれました。ぼくには、答えられませんでした。
 家に帰ってから、このことについて話をしました。人の食事のあとのよごれた口の中に手を入れるのはつらいことです。だけど、初めて会った知らない人に自分の口に中に手を入れられるのはもっとつらいことです。
 でも、障害者の中には、そのことをいやだと思っても言えない人がたくさんいます。生きていくために何でもがまんしなくてはいけません。ぼくたちは、きらいな人がいたら、その人とはいっしょにいたいと思いません。重度の障害がある人は、そのきらいな人の助けも受け入れなければならないのです。とてもがまんづよい人たちです。
 ぼくは、来年もボランティアに行くつもりです。目標は、入所者の人にすかれる人になることです。また来てほしい人になりたいです。

  K.Y

2004年12月19日 ナ・ツ・メ・ロ

2007年01月19日 22時38分58秒 | 教会員の証し
     ナ・ツ・メ・ロ

 先日、高校2年生の授業の始まる前、教室に入ってきた生徒が松田聖子の「青いサンゴ礁」を口ずさんでいた。「その歌、知っとうと?」と尋ねると、「わたし、ナツメロ大好き。」との答え。
 「えっ?松田聖子がナツメロ?…。ナツメロって、古賀政男の『影を慕いて』とか、藤山一郎の『青い山脈』とか、昭和の大歌手のことやろ…。」と思ったが、松田聖子とわたしは同年代。「青いサンゴ礁」がはやったのは、25年前。そのころ、わたしも高校2年生で、「青いサンゴ礁」は体育祭の応援歌だった。
 彼女にとってみれば、自分が生まれる前の歌だから、「ナツメロ」と言うのは当然のこと。そこまで考えて、改めて自分のとし年齢を実感させられた。
 わたしは今年、42歳になった。日本人男性の平均寿命のほぼ半分を生きたことになる。平均寿命まで生きるとすれば、もう、その中間点に達したと言える。また、今年のクリスマスで、バプテスマを受けて14年になる。42年間の人生のちょうど三分の一だ。
 早いものだ。相変わらず身勝手で、かんしゃく癇癪もちで、あまのじゃくで、飲んべえで、助平のわたしだが、神様のお守りと教会の皆さん方のひろ寛い心に何とか許されて教会生活を送れている。感謝。イエス様を知らなければ、今頃どうなっていたか?
 こんなわたしだからこそ、神様は心配でしょうがなく、その御手のうち裡にとら捉えて下さったのだと思う。バプテスマ15年目も、神様に捉えられたまま、はる遥かなまった全きをめざして少しずつ歩んでいきたい。

  T.S

2004年12月12日 バプテスマ記念日

2007年01月18日 22時37分56秒 | 教会員の証し
    バプテスマ記念日

今年もアドヴェントになり、クリスマスを迎えようとしています。
 私は今年の12月20日でバプテスマを受けて23年の月日が過ぎようとしています。この月日の流れがとても長いようで短いような気がしています。
 今年の7月末にアメリカに帰国されたL.K.シィート宣教師(前西南学院院長)により、西南学院大学を卒業する一年ぐらい前に導かれました。大学の卒業式の時、在学中の出席良好者の一人として、聖書をいただいたことが教会の出席を続けようと思った動機で あったような気がします。それから1年9ヵ月後のクリスマスにバプテスマを受けました。
 「事実、神のことばは生きていて活力があり、あらゆる諸刃の剣にまさって切れ味があり、魂と霊を、関節と骨髄を切り分けるほどに刺し貫くものであり、心の思いと考えを見分けることができるものである。」(ヘブル人への手紙4章12節 岩波書店新約聖書V)
 私は、最近、教会生活の主日礼拝を大事にしていないような気がしています。私はバプテスマ記念日を迎えるにあたって、改めて初心に返って再び教会生活を続けよと神様からみ言葉を通して招かれているような気がします。

  M.R

2004年12月5日 無題

2007年01月17日 21時46分16秒 | 教会員の証し
      無 題

 数ヶ月前、家の近所で母親が障害を持つ子どもを、自宅の四階の窓から突き落とし、殺害するという事件が起こった。事件を知った時、子どもが生まれてから、喜びと幸せの日々を送っていた私には、とても衝撃的な出来事だった。自分の子どもを殺すなんて信じられない。何の罪もない子どもを殺すなんて、許せなかった。
 同じ年頃の子どもを持つ友人に、この事件を話すと、友人は一言こう言った。「お母さん、疲れていたんだね。」私はこの言葉を聞いて、事件を知った時よりも大きな衝撃を受けた。
 子育ては大変なことだ。私には育児に協力的な夫がいて、何不自由なく生活もできる。実家に帰れば、孫に会うのを楽しみにしている祖父母がいて、心から子どもの誕生を祝福してくださる人が大勢いた。
 でも、そうではない人がいることを、私は忘れていた。子どもの誕生を、誰からも、父親からさえも喜ばれず、たった一人で生活を支え、子育てをしている人だっているのだ。
 恵まれすぎている私には、到底このような生活は考えられなかった。しかし、心も体も疲れきって、孤独で絶望的なときに、この母親のような行為をしてしまう可能性は、誰にだってあることだと思う。
 ほんの一瞬の出来事なのだ。しかし、警察に自首してきた母親は、一生取り返しのつかない罪を背負って生きていかなくてはならない。自分の子どもを一瞬でも愛しいと思わない母親はいないと思う。彼女をそこまで追いつめたもののひとつに、私はあった。

  N.E

2004年11月28日 平穏な日々の中で

2007年01月16日 22時56分28秒 | 教会員の証し
    平穏な日々の中で

 イエス・キリストの教えなどにはまるで無知でありました、今は亡き夫と私が、共に信仰生活に入りましたのは50年程前のことです。現在生活を共にしております娘が高校時代、その通学路の途中通っておりました時のこと、「両親を救ってください」との申し出に、初代の平尾教会牧師・渡辺暢雄先生が、ひょっこり我が家を訪ねて下さいました。それが入信のきっかけでございます。
 その後、娘は長い療養生活に入りましたが、その間も先生は度々来訪して下さり、キリストの道を熱心に説いて下さいました。先生は凛とした風貌ながら、当時私が内職にしておりました、小学校のテストの点付けを手伝って下さるほどの気さくなご人格でございました。
 神の御業、キリストの教えを話して下さるうちに、夫と私はいつしか信仰に導かれ、共に洗礼を受ける決心をいたしました。こうして振り返りますと、初代の渡辺先生から清水先生、金子先生、福田先生、松尾先生と、夫々の先生方のご努力が偲ばれ、感謝と共に懐かしい思い出が浮かんでまいります。
 夫は平成10年4月18日に天に召されました。その後、私は娘の家(京都)に身を寄せ、神のご加護のうちに、平穏に幸せに暮らしております。これも全て、神様の定められた大いなる愛のご計画であったと、深く深く感謝しております。
 私も96歳になりましたが、これからも命ある限り信仰に生き、感謝と祈りの日々を過ごして参りたいと思っております。

  K.T

2004年11月14日 見えざるみちびきをうけて

2007年01月14日 23時18分16秒 | 教会員の証し
  見えざるみちびきをうけて I

 わたしは1945年(昭和20年)の終戦の年、台湾から下関の長府町に引きあげてきました。1954年(昭和29年)博多に転居し、1957年(昭和32年)、美容師の免許を取って、その年の11月、平尾の山荘通りに小さなお店を持ちました。
 ちょうど居抜きの売店があったのでそれを買い取っての開店でした。店にはおまけで、大きなヤカンと練炭火鉢がありましたが、そのヤカンでお湯をわかしてお客様の洗髪をし、練炭火鉢で朝、夕のご飯を炊きましたが、店で職人さんの助手をするかたわら食事の用意で、度々ご飯を焦がしていました。それを見かねた職人さんが電気炊飯器をプレゼントしてくれて大変助かったものです。
 赤字つづきの店でしたが、3年目に初めてお客様用のくつ箱を買うことができ、とてもうれしかった事を覚えています。
 そんなある日、結婚式の支度を頼まれました。何も経験のない私は職人さんに相談すると、以前つとめていたお店でやったことがあるといいます。そこで、思い切って引き受けました。
 お客様はクリスチャンということで、教会の結婚式は時間に厳しいのでくれぐれも注意してと言われていたのですが、式の開始時刻に40分も遅れてしまい、大変な叱責を受け、私はオロオロするばかりでした。
 とうとう婚礼の支度代も払ってもらえませんでした。このときほど自分の無力さと、そのみじめさを痛切に感じたことはありません。以来、人に頼ることはすまいと決心し、本をたよりに冠婚関連を勉強し、職人さんと店で実技に励みました。やがて、冠婚葬祭の九州協助会に所属し、そこの指定を受けて、お嫁さんづくりに力を注ぐことになり、以来、土・日曜日は花嫁支度に出かけることが多くなりました。
 美容界では、花嫁着付けの技術日本一を競う「花嫁着付けコンクール(百日草主催)」が2年に一度開催されていますが、私も一度挑戦したいと思うようになり1974年(昭和49年)初めて挑戦したましが、みごと地方予選で落ちました。


  見えざるみちびきをうけて II

 その後、名古屋市におられた、全国的に有名なK先生に指導をお願いして、友達と二人でお店の休日を利用して通いました。
 1975年(昭和50年)、前述の大会が東京・晴海の貿易会館で開催されました。そのための全国各地の地方予選が催され、全国174名のうち90人が予選を通過、翌年、東京での決選に臨みました。必死の思いでの取りくみの結果、全国第二席(準優勝)の栄冠を得、大変な喜びでしたし、また驚きでした。この時、3年前に他界していた母が生きていたら、どんなにか喜んでくれただろうか、と思いました。
 この後、全国向けの美容誌「百日草」に写真入りで大きく取り上げられ、ささやかながら名も広まって、福岡を中心にして九州をその圏内とする 「YE着付研究会」が生まれました。
 その後、「福岡サンパレス」建設に伴い、そこの美容室 兼 式場担当として入ることができ、10年間経営して、70歳の定年で辞しました、が、サンパレスに入ることは、当時、地方の一美容室経営者にとって大変困難なことでした。強力なツテがなければ、労働省管轄のこの大きな所に入居できなかったのです。
 当然、競争も激しく、私はK先生を通して、当時のSの所まで陳情し、第一秘書官さんのもとにまでお願いに行き、やっと実現したほどです。また、お金も相当に必要で、銀行にお願いして、1,000万円借り受け、これを当てました。
 サンパレスを引いた後、一階に着付け室を設け、そこで美容師の指導を5年間行いました。この中から5人ほどが、この全国コンクールに出場を果たし、この方々は、今、九州の地元で大きく活躍しています。
今は、3年前から花嫁の「微笑衿(ほほえみえり)」を新しく開発し、発表して売り出しています。
 こうして思いますには、忙しい毎日の連続で、30年余りほとんど教会にも出席できずに過ごして来ましたが、自宅で落ち着くことになって以来、約10年位ですが、今は礼拝にも参加でき、心から感謝の日々を送っています。
 思えばはるか遠く、まだ神を信じてもいなかった田舎町での生活を切りかえて福岡に来て、貧しい中で精一杯の生活をしのぎつつ歩いて来たこれまでの全てを神様は見つめていて下さり、必要な配慮をして下さり、ここまで導いて下さったと信じています。言葉に尽せぬ感謝として、いつも祈りに覚え、主にお礼を申し上げる毎日です。                                【完】
  Y.E

2004年11月7日 花のことなど

2007年01月14日 00時14分36秒 | 教会員の証し
     花のことなど

 先月の週報の〔牧師室より〕の欄に「礼拝に飾る生け花に賛美という行為を託す方もいる」と書いてあるのを見て色々と考えてしまった。信仰深い目をもってみればあらゆることに賛美や恩寵を見いだすことだろう。
 最終的には賛美ということになるのかもしれないけれど私は一度も賛美ということを意識して会堂の花を生けた事がなかったので、これはちょっとマズイかなと思った。
 他の人はどうなのだろうか?きいてみようと思ったが、まだきいていない。以前、平和町の花屋の奥さんが「教会の花は神への捧げ物だから新鮮な活きのいい花しかつかわない」と言われたことがあって感心した事を思い出した。
 花は人の文化の中で添えるものとしての役割を担っていることが多い。生け花の誕生は床の間の発生と同時期とされている。正式な床の飾り方として掛け軸の前に卓をおき燭台と香炉と花瓶をおくのが習わしだったという。
 親しくしていた生け花の先生が三具足(燭台・香炉・花瓶)の説明で「蝋燭は仏の智恵、線香は時の経過、花は仏の慈悲を表しています」と言われたことがあった。仏教徒で信心深い先生だった。
 会堂の壇上に花を生けるとき、見る人がなるべく季節を感じられるようにと思っているが、花材の関係で色彩的造形的にしかならないこともある。土曜日の夜「もう時間切れだわ」とか思いながらバタバタしながら生けて、翌日礼拝の後でなおしたくなることも度々ある。
 月一度会堂に花を生ける時間は今の私にとって珠玉の時であることは確かであるが、いつか神への賛美を明瞭に意識して花を生ける心境になれたらいいなあと思った。

 I.S


2004年10月31日 ただひとつの願い

2007年01月12日 23時41分45秒 | 教会員の証し
    ただひとつの願い

 昔、生きることが苦しいと思っていた時、通っていた教会の執事さんが食事に招いて下さいました。その帰りの車中で、ちょうど聴いていた讃美のテープを取り出して、「これは僕が大学生の頃、教会から離れていた時、妹がプレゼントしてくれたものだ。
 もし良かったら、あなたもこれを聴いてみませんか? そして、またこれを必要としている人がいたら、その方に差し上げて下さい。」と言ってそのテープを下さいました。
 もう何百回聴いたか分からないほどですが、今でも手放せず、大切にしています。その収録曲の中に「私のただひとつの願い 主の喜びとなること」というフレーズがあります。この歌詞が私の心をいやし、励ましてくれています。
 この9月末をもって、私達が運営を任されていた会社を廃業・解散しました。「取引先には絶対に迷惑をかけるな」という社長の指示のもと、実務参考書を片手に、法人解散登記や清算手続、事務所の整理を進めているところです。また、11月から三ヶ月間、以前から希望していた、本格的なパソコン講習を公的助成のもとで受ける機会が与えられ、感謝しています。
 今まで自分が大切にして、しっかりと握りしめていたものが失われた時の喪失感は大きなものです。しかし、神様はそのご計画の中で、空っぽになってしまったように思えるその両手に、さらに良いものを与えて下さるのだと思えるのです。
 「私のただひとつの願い 主の喜びとなること」
この言葉を大切にして、これからも歩んで行きたいと思っています。

  K.Y

2004年10月17日 大すきなおいのり

2007年01月11日 21時54分32秒 | 教会員の証し
    大すきなおいのり

 ぼくはひらお教会にきて、はじめてきとう会にしゅっせきしました。さいしょはきんちょうしたけど、せいしょをよんだり、くじをひいて、いっしょにおいのりする人をきめるのがたのしみです。
 それだけでなく、おべんきょうのあとでいろんな人のはなしをきくことがたのしいです。そして、ぼくは、せいしょをじょうずによめるようになりたいです。
 ぼくは、ときどきチックで“アッ”という大きいこえがでてしまいます。とめたくてもとめられなくて、つらかったけど、きとう会でみんなが、ぼくのチックがはやくなおるようにおいのりしてくれました。ぼくはとってもうれしかったです。そして、イエスさまが、みんなのおいのりをきいてくれて、ぼくのチックも今はよくなりました。ぼくは、イエスさまとおはなしができるおいのりが大すきです。そしてぼくも、おともだちのために、おいのりしようとおもいました。
 さいごに、ぼくの学校のおともだちは、みんなランドセルにおまもりがついています。でも、ぼくには、イエスさまがいつもそばでまもってくれているから、おまもりはいらないとおもいました。