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ひまわり進学ルーム

ひまわり進学ルーム ひまわり先生のブログ

手紙の書き方

2017-09-25 18:47:10 | ひまわり進学ルームの日常
中学2年生の国語の授業で、「手紙の書き方」を学習しました。

「拝啓」から始まり、
時候の挨拶、
主文、
相手をねぎらう一言を添えて、
「敬具」で締め。
その後に署名・日付・宛先・・・。

正直言って、私もここまでちゃんとした手紙は、人生の中で数回しか書いたことないかもです。
そして、私が若かりし頃は「ネットで検索」というツールが手軽でなかったので、
「手紙の書き方事典」なるものを買ってきた記憶が・・・。

今は、ネットですぐに調べられますし、
時候の挨拶などのテンプレートもありますので、
覚える必要はないのかもしれませんが、
その「調べた」知識を使ってみることが大事なのかな、と。

そこで、塾で中2年生を担当している先生に宛てて「お手紙」を書いてもらうことにしました。
「目上の人に」「きちんとした形式に則って」書くことが目標です。
時候の挨拶はネットで検索しても良いけれど、
そのまんま書き写すのではなくて、少し自分らしさを加えること、という注文もだしました。

ら、
思いのほかみんな真剣に取り組んでくれて、秀作が集まりました。
正直なところ、もっとふざけたこと書いてくるかと思っていました。ごめん。
めっちゃ紹介したいのですが、シャイな子もいるので、控えますね。

驚いたことには、同じ形式で便箋一枚程度書いてあるだけなのに、実に個性がでます。
そして、本音じゃないかもしれない、これは建前だ、リップサービスだと思いながら読んでも、
やはり、便箋にきちんとした形式で、丁寧な文字で書かれたそれは「心がこもっている」ように感じます。
メールやラインで手軽にやりとりできる昨今ですが、
手書きの手紙っていいなあ・・・と実感させられる結果となりました。

中2諸君、心のこもったお手紙、N先生も感動していたよ。
ありがとう。


※そして、少し前のにゃあさん。@我が家


ことのは

2017-09-24 17:23:08 | とりとめのない話
ここのところ、「言葉」についていろいろと考えることがあったのですが、
結論は出ていなくて・・・というか結論を出すようなことでもなくって、
どうやって記事にしよう?と思い悩んでいたのですが、
まあ思いつくままつれづれに記しておこうかなあと思います。
いつも以上に読みにくい文章かもしれませんので、
疲れている人はスルーしてください

さて、2016年度の国語に関する世論調査では、「存亡の機」や「足をすくわれる」などの慣用句を正しく認識している人が少ない・・・という結果だったようです。
とくに「存亡の機」にいたっては、83.0%の人が「存亡の危機」と回答したそうで、恥ずかしながら私もそう思っていました。
しかし、さらに記事を読むと、歴代の総理大臣の談話にも「存亡の危機」という言葉が出てくるそうで、それをニュースで聞いたり、見たりしていたら、そちらを覚えてしまっても致し方ないのでは・・・と思ってみたり。
8割以上の人が「間違って」使っているとしたら、もう、正しい言葉をつかってもわかってもらえない可能性の方が高いわけで、やっぱり言葉は移り変わるものなのね・・・。
(でも、「重複」を「じゅうふく」って読むのは納得いかない世代です。←「ちょうふく」って習ったんだよ。今はどっちでもOKみたいですが、そのうち「ちょうふく」は駆逐されるのかなあ。)

たしかに、高校生の「現代国語」を教えていても、少し古めの文章だと、「言葉がわからない」かべにぶち当たっているケースが多々あります。もう、「近代」の文学は彼らにとっては「古典」と同じくらい難解なもののようです。
今は使わない言い回し、慣用句、今とは意味や使用法が違う言葉・・・結構あるんですよね。
私たち世代が「若者言葉」がわからないの同じで、かれらには「意味の分からない」言葉がたくさん出てくる近代文学。もう、「近代語辞典」とかがないと読めないかもしれない域に来ています。

「言葉は時代と共に移ろうもの」・・・ですが、ここ10年くらいの進化?変化は目覚ましいものがあるような気がします。
いや、明治とか、大正のことはわからないので、まったく根拠のない感覚的なものなのですが、
「携帯メール」が日常のツールとして定着したことが大きいように思います。
聞くところによると、「りょ」というのが「了解しました。」という意味なんだとか。
予測変換機能で「りょ」と打った瞬間に「了解しました。」まで出てくるんだから、略さなくたっていいのでは?とも思いますが、若者はなるべく短い単語、文でやりとりすることを好むようです。
ひと昔前は、「一文字いくら」のパケット料金とか気にしていたので、それもやむなしかと思いますが、今は「定額制」とかが普通になってきているのに、不思議です。

そう、短いやりとり、といえば、
時候の挨拶なんかはもちろんのこと、相手へのねぎらいもへったくれもなく、そのまま「用件のみ」のやり取りが増えました。
「手軽に」やりとりできるのがメールやLINEの良さなので、そこに「手紙」のような格式は必要ないのかもしれませんね。
生徒とのやりとりも
「宿題どこ?」→「ワークのP.〇ページから△だよ。」
「今から行っていい?」→「いいよ。」
など、実に簡潔です。

でも、仕事のメールは違います。
簡略化はされていますが、「お疲れ様です」に始まり「よろしくお願いします。」で終わります。
やはり、定型の格式美が求められます。
いつかそれも変わっていくのでしょうか。

でも、国語を教える身としては、やはりいつか変わっていくものだとしても、
「知っていて」使わないのと、「知らなくて」使えないのは違うと思うので、
いつか使わなくてはいけない時に困らない程度の知識は授けたいのですよ。
「その時になったらググるよ。」と言われちゃうかもしれませんけど。

以上、本当にとりとめのないお話でした。


携帯を新しくしたら、PCに写真を取り込む方法がわからなくなって、困っています。
ちょっと古いモコちゃん載せときます。