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ひまわり進学ルーム

ひまわり進学ルーム ひまわり先生のブログ

外国人の名前

2025-06-08 16:28:02 | 日記
先日、高校生の子の英語読解の問題文の中で「僕の名前はハックルベリーフィンだけれど、長いからみんなハックって呼ぶんだ」的な文がありまして、
「ハックルベリーフィンなんて変な名前。」と生徒が言うものですから。
「あ、トム・ソーヤーの冒険って読んだことない?」
ときいたら、「なにソレ?」的な反応で。
あー、そうだよなあ、私が小学生のころによんだ本だけど、その時にもう「古い」って感じだったもんなあ・・・と思いつつググったら、1876年に発表された作品でした。19世紀じゃん。

あ、またまた話がそれました。
その続きに、「外国人の人の名前の省略の仕方ってさ、たまに『え?』ってのあるよね。」って話になって。
「マーガレットがメグはわかるけど、エリザベスはどうなるか知ってる?」
「え?知らない。」
「エリーとか?」
「エリザでしょ?」
「それが、『ベス』になるのよ、なんで最後をとるかなって感じだよね。」
「えー?ベス?そんなの犬の名前じゃん!!」
「犬の名前ってwww。ちなみにこれは若草物語で得た知識なのだが。若草物語は読んだことある?」
「なーい」
「まあ、そうだろうね」
たまに、「Jane」が男か女かわからず、「He」か「She」かどっち?ってきかれることあるけど、「Nancy」とか割と典型的な名前でもきかれるからなあ。外国人名になじみがないのは、外国文学を読まないせいもあるのかな。

その中にN先生も乱入し、
「子どもの頃、冒険ものが好きでよく読んだけどなあ」
「ああ、『ロビンソン・クルーソー』とかですか?」
「うん、それとか、海賊のでてくるのとか」
「図書館に『世界の少年少女文学』とかありましたもんね」
「というか、それしかなかった」
「今の子は選択肢が多すぎるのかもしれませんね」

というわけで、「ひまわり文庫」(休憩室の本棚)に『トム・ソーヤの冒険』と『ハックルベリーの冒険』二冊置いておきます。細かく章立てされているから、5分程度で一章読めると思います。気が向いたら手にとってみてね。

canができない!

2025-06-07 15:29:08 | 日記
お久しぶりです。
gooブログ、サービス終了しちゃうんですね。
またお引越ししなくちゃ…
というか、書籍化もちょっと気になってるな。
せっかく長年書いてきたのだから、なくなっちゃうのはちょっと寂しい。
記録として残しておこうかなあ。
(しかし膨大なページ数になるので、お値段すごそう・・・)

さて、閑話休題。
タイトルに「canができない!」と書きましたが、多くの人が
「canは『できる』だよ!」とツッコミを入れてくれたことと思います。
ちがうんですよ~、今、中1の英語の「can」って、もうLesson1から出てくるんですけどね、これがなかなか理解してもらえなくて、苦労しているのです。
むか~しむかしは、1年生の後半くらいに出てきましたね。2年生で助動詞will、may、mastなどを習う助走的な感じで。主語が三人称でも「s」つけなくて良いんだよ、というくらいの注意事項さえ押さえておけば、生徒たちもすんなり理解してくれていたと思います。
それが!たった半年習う時期がちがうだけで、こんなにも理解しづらくなるものなんだなあ、と。
A「トムは日本語を話します。」
B「トムは日本語を話せます。」
C「トムは日本語を話すことができます。」
の、Cは「can」だってわかるんですが、AとBの区別がつかないんです。
一文字違いだからうっかり見落とした、って話じゃないんですよ。
どちらかというと、BとCがちがうものだと認識されているっぽい。
そして、小学校で「canは『~できる』って意味ですよ~」って習っているので、Bのときに「can」を使うのだよというのが、納得できない。…といった感じでしょうか。
あ、念のため、もちろんできる子もいますけど、一人二人の特別できない子の話ではないですよ、ここ2,3年顕著に出ている傾向です。
心配しなくても、日本語能力が発達して来るからか、中3になってわからない子はほとんどいません。
だから、小学校で中途半端に手を突けるの、ホントにやめてくれないかなああああああ!って心から思います。
そして、canは会話文でよく使うから、小学校でもやってるから、っていう理由で中1の最初に「助動詞を使った文」なんてイレギュラーなものをブッこむのもマジやめてほしい。日本語と英語では語順がちがうのだから、まずはそこを丁寧にやろうよ。んで、be動詞、一般動詞をつかった文の区別をつけるので精一杯だよ!

というわけで、中学校の中間テストが終わったばっかりなんですが、うちの子たち、できたかなぁ~~~。


たなばた2024

2024-07-10 13:50:55 | 日記
7月7日のアクセス数が異常に多かったのは、
やはり、七夕ネタを楽しみにしていてくれた方が多かったからでしょうか…
遅くなってすみません💦
今年も、卒業生の親御さんのご厚意で、程よいサイズの笹を譲っていただき、
七夕を楽しむことができましたよ~!

まあ、定番の
「テストの点数があがりますように」
はもちろんありました。
なんたってココは学習塾ですからね!!←ここ大事。テストに出ます。
ほかにも
「漢字検定で満点がとれますように」
「日本史で一番になれますように」
と、なかなか志が高い目標も散見され、うれしいですね。
「地理で40点くらいとれますように」
に関しては、え?50点満点で?ってツッコミいれたくなりますけども。

あとは、
「サッカーがうまくなりますように」
「飼い猫がなついてくれますように」
という、ほほえましい物から
毎年誰かひとりはいる、
「お金がたくさんほしい!」
そして
「授業中寝ませんように」
・・・それはこっちのセリフじゃ!(笑)

というわけで、今年は見事に晴れましたし(熱帯夜だったけどね)
みんなの願い事、叶うかな?


やっと終わったテスト対策

2024-06-11 14:49:41 | 日記
やっと!
すべての中学・高校のテスト対策が終了しました。
あとは果報は寝て待て。
さてさて、「果報」は届くのでしょうか。

と思っていたら、今日の昼にさっそく、
「物理、クラスで一番やった!」とのLINEが。
今日の夜塾に来るのですが、待ちきれなくて昼休みに送ってくれたようです。
うれしいな。

何がうれしいって、まあ、一番だったことはすごいし、うれしいのですが、
それよりも「勉強してよかった!」と思える経験をしてもらえたことがうれしくて。
「勉強は辛いもの、嫌なもの」
と思っている人は多いようで、親御さんの中にも
「『塾が楽しい』って言うんですけど、ウチの子、ちゃんと勉強してるんですか?」とおっしゃる方がみえるのですが、
わたしは、楽しんで勉強してもらうことが大事だと思っていて。
いや、わたしだけでなく、遠く昔の孔子さまの時代から勉強ができるための一番の方法は楽しむことだってことは言われているのであって。
その楽しむための一つのコツが「できるようになってうれしい!」という達成感を得ることなんですよね。
クラスで一番でなくてもいいのですが、前より点数があがった、偏差値があがった、わからなかったことがわかるようになった、できるようになった、そういう喜びが辛さより増してくると、自分で自然と勉強したくなるものです。

そしてもう一つのコツが、「知ること」そのものの楽しさをわかるようになること。これは、なかなか難しいかもしれないのですが、こちらもテスト対策中「生物基礎」の質問をしてくれた高校生に教科書に載っていないことも交えて解説しましたらば、
「え!そういうことなの!?へえええ、なんか、初めて生物の勉強して面白いって思えたかも。」と言ってもらえました。
そう、知りたい、わかりたいという知的好奇心は多かれ少なかれ誰でも持っていること。そこに少しでも触れられれば、同じことを教えても、吸収力が段違いに良くなる。
「勉強はやらなくちゃいけないからやる」「将来のためにやる」も大事かもしれませんが、そういう「義務」でやっているうちはまだまだなんですよ。

だから、ひまわり進学ルームの授業はできるだけ楽しく!わかりやすく!好奇心をくすぐるように!!がモットーです。

『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』著:新井紀子 ④

2024-05-26 17:38:43 | 日記
現代の子ども達が読解力に乏しいことはわかった。
それが、将来とても問題になることもわかった。
読解力をつけなくてはいけない、考える力を身につけさせなくてはいけない、じゃあ、どうすればいい?本を読ませる?調べ学習をさせる?討論会をとりいれる??
その前に、本書の以下の部分をご紹介します。

『近年、大学でも高校でも「アクティブラーニング」に重要性が頻りに強調されています。…(中略)…。つまり、教えてもらうだけではなくて、自分でテーマを決めたり自分で調べたりして学習したり、グループで話し合ったり議論したり、ボランティアや職業体験に参加したりというのがアクティブラーニングだということです。なんだかとても魅力的に聞こえます。でも、ちょっと待ってください。教科書に書いてあることが理解できない学生が、どのようにすれば自ら調べることができるのでしょうか。自分の考えを論理的に説明したり、相手の意見を正確に理解したり、推論したりできない学生が、どうすれば友人と議論することができるのでしょうか。「推論」や「イメージ同定」などの高度な読解力の問題の正答率が少なくとも7割くらいは超えないと、アクティブラーニングは無理だろうと私は考えています。…(中略)…。RSTの2万5000人を超えるデータから断言できます。意味のあるアクティブラーニングを実施できる中学校は、少なくとも公立には存在しません。高校でも、ごく限られた進学校だけです。』

さらに新井氏は、『このような絵に描いた餅が学校現場に導入された責任は、中央教育審議会、そしてその構成員である有識者にあります。』と断じられておられますが、ホントに、「有識者さん」以外のみんな「無理!!」って知ってたと思うよ!と言いたい。
小学生のお子さんの「宿題」で調べ学習を「お手伝い」した経験がある保護者の方々も気づいていらしたでしょ?
なんなら、中学生たち自身が言いますもん。「班で討論とか、マジで意味ない。リーダー的な資質のある人が班員にいないとマジ地獄。」「誰も何も言わんまま終わって、結局結論もわからんかった…」たまたまうまくいく場合もあるでしょうし、指導する先生が上手に舵取りしてくれればまだなんとかなるのかもしれないですが、そんなことは稀のようで。

確かに、討論する力、プレゼンする力、大事です。社会に出れば求められます。でも、資料に書いてあることが理解できない、相手の言っていることを正確に受け止められない者どうしで議論したところで、自分の言いたいことを言い放って終わるだけです。それは議論とはよべません。何事にも手順というものがあるのです。
まずは良質な文章に多く触れて日本語を「インプット」
その後、適切な段階を経ながら「アウトプット」
小学校低学年に「なんでもいいから好きなことを書いてみよう」と真っ白な原稿用紙をわたし、上手でも下手でも「とにかく書けました」では、理解力は身につかないし文章は永遠に上手になりません。

子どもたちの中には、「国語なんで『才能』でしょう?」とか、「日本に住んでいるんだから、国語はできてあたりまえ」とか思っている子もいますが、とんでもない!
「じゃあ、なんで小学校一年生から高校三年生までずっと『国語の授業』があると思ってんの?」
って話ですよ。野生動物に育てられた人間はことばを話せません。きちんと「教育」をされて初めて「読み・書き・表現力」が身につきます。そして、人間が思考するときはぜったいに「ことば」が必要です。語彙力が多いほど、深い思考ができることも知られています。
塾というと、算数・数学を(あと最近では英語)を教えて欲しいという需要が多いように思いますが、算数の文章題が解けないのは、「読解力」がないせいです。
できれば、小学生くらいのうちから、段階的に学習をさせてあげて欲しいなと思います。

大変長いシリーズになってしまいました。
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございます。
よろしければまた感想などもお寄せくださいね。
よろしくお願いいたします。