ストイックで、寡黙なイメージの男の色気を感じる名優でしょう。
漫画「ゴルゴ13」の作者である、さいとう たかを氏はゴルゴ13のイメージを高倉健に求めたと聞いたことがあります。
寝ぼけて聞いてたラジオニュースで聞き、気持ちがシャンとしました。
以前何かのブログ高倉健さんの映画にまつわることを投稿した記憶があったので、調べたら2007年09月26日の「gooブログ」でした。 計算すれば7年前の投稿記事です。
最近は海馬の崩壊を心配していたkazanですが、高倉健の存在を知った中学時代から今日までの記憶がかなり鮮明に蘇りました。
世間では、東映退社後の高倉健の作品が高い評価を受けていることは承知してますが、金のなかった頃、オールナイト上映に行き、いわゆる自己ファンタジ-の世界を浮遊し、昂揚感に満ち溢れた東映時代の作品の方に思いがはせってしまいます。
同時代の同じ東映の任侠路線の一方のスターであった鶴田浩二がいます。同様に男の色気を感じさせる二人ですが、鶴田浩二は短い短刀、いわゆる「ドス」を使う役柄が多く、 一方高倉健の場合は、「長ドス」を使う役柄が多かったように思えます。
それは背の高さによるものでしょうか?
ハリウッドのジョン・ウェインの西部劇では、 拳銃を使うシーンよりも、ウィンチェスター(小銃)を手にする役柄多く、その理由はジョン・ウェインの長身にマッチすることが理由と書かれたものを読んだことがあります。
高倉健さの「長ドス」は長身の健さんには、計算しつくされての道具であったのでしょうか?
お恥ずかしいのですが7年前の駄文を載せます。
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2007年09月26日 23時56分27秒
カテゴリー: 聞きかじり、映画の話
日本映画でヤクザ映画、任侠映画は1960年後半から1970年前半が全盛だった。
日活は渡 哲也の無頼派系と高橋英樹の男の紋章、大映は市川雷蔵の若親分、勝新太郎の悪名と座頭市、東映は高倉健が網走番外地、昭和残侠伝、日本侠客伝、藤純子が非牡丹博徒がシリーズ化され、鶴田浩二はどちらかと言えば、シリーズ化されない作品に出演。総長賭博、人生劇場・飛車角、ギャング系がヒットしていた。
松竹系は、あまり無かったのではないか記憶しているが、文芸侠客・任侠路線と云うべきか、人生劇場と花と竜が記憶に残る。
そうした中で東映のそれは作品の量と質から他社の追従を許さない状況だったのでは。
全共闘運動が最盛期を迎えた70年前夜、渋谷東映の土曜深夜オールナイト上映では、健さんこと高倉健、鶴田浩二、そして藤純子の映像に団塊の世代は酔いしれていた。
東映はかって、時代劇映画の名門であり、チャンバラ映画(時代劇)の延長上に当時の作品群があったのではなかろうか。
東映任侠・股旅もの系チャンバラ映画は、講談、浪曲のテーマにあった、あるいは長谷川伸の大衆小説の中のヒーロー<国定忠治><沓掛時次郎><番場の忠太郎><清水次郎長><笹川繁蔵><飯岡助五郎>や股旅物を、主役中心の制作コンセプトでプロデュースされたものだ。
これらの延長線上に、高倉健の網走番外地、昭和残侠伝、日本侠客伝、藤純子の非牡丹博徒がシリーズ化されたと考えられる。
ここで興味深いのは、これらの作品群が後年東映のヒットシリーズ<仁義なき戦い>につながるものの、制作スタンスが全く異なることだ。
深作欽二監督の<仁義なき戦い>は、実録物として数々の手法が取り入れられている。
ハンドカメラを多用したカメラワーク、津島利章作曲になる臨場感溢れる音楽、随所にとりいれられたハリウッド映画の脚本コンテンツなど。
それまでの映画はまず主役ありきで構成されていた。
それは、舞台・演劇の世界を映像化してきた日本映画の伝統を踏襲したものに対し、<集団劇>の映画制作手法だろう。
この集団劇により、東映・大部屋の男優は後年すべてスターになる。 http://blog.goo.ne.jp/hikarinoumide/e/10bf893ce022cadb080f78cf16b21ea3
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思いが行ってしまうのは、6年前に逝ったマダムkazanと同じ病名「悪性リンパ腫」のせかもしれません。
ご冥福をお祈り申し上げますとともに、多くの映画に感謝します。