再発見レポート

住んでいても意外と知らない、
清川村の自然・歴史・伝統などを紹介します。
村の良さを、みんなで再発見しましょう!

青龍祭本祭

2008年08月12日 | 文化財伝承

 
青龍祭が終了しました。





『ホっと根っ人ギャラリー WEB版』
 
青 龍 祭
 
8月9日(土)

清川村の夏の情報発信として青龍祭の準備から本番まで撮影の写真を逐次掲載していきます。

 詳細は、地域みんなのための情報サイト 「きよかわ ホッと根っ人 ステーション」内『ホっと根っ人ギャラリー Web版』 http://netgallery.blog25.fc2.com/で展開します
             ↓

                                       


『ホっと根っ人ギャラリー WEB版』  青 龍 祭

2008年07月27日 | 文化財伝承

青 龍 祭 
8月9日(土)



  ◇8月3日に龍作成 ・うろこ付け・金魚ちょうちん作成
◇7月26日にこも編み・龍作成
  ◇7月19日にカヤ刈り
       ◇7月13日に台作り
          が行われました。

『ホっと根っ人ギャラリー WEB版』
 
青 龍 祭
 
8月9日(土)

清川村の夏の情報発信として青龍祭の準備から本番まで撮影した
 写真を逐次掲載していきます。

 詳細は、地域みんなのための情報サイト 「きよかわ ホッと根っ人 ステーション」内『ホっと根っ人ギャラリー Web版』 http://netgallery.blog25.fc2.com/で展開します
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清川村の名木・名石(坐禅石)

2008年04月22日 | 文化財伝承

                         
                       

清川村の名木名石

坐禅石の由緒

 昔、南北朝時代に天鑑在円和尚は、南北両朝の乱を避けて此の山中に隠れ修行をされていましたが、和尚の高徳は京の都にまで達しました。後小松天皇は和尚の高徳を崇敬し、和尚が亡くなった後、仏果禅師の号を賜った。
 里の人々は、師が修行された山を「仏果山」、師が坐禅し修行した石を「坐禅石」と呼んで語りついでいました。
 この坐禅石は、今まで仏果山南東の山麓にありましたが、平成12年落石し、また地域が砕石場になったため、平成13年に現在の場所へ移設安置されました。
 この坐禅石は、高さ1,6メートル、横幅約3,8メートル、奥行き1,3~1,5メートルほどあります。場所は、バス停[土山峠]の脇となります。
※教育委員会・文化財保護委員編纂「清川村の名木 名石」を参照しました。
 
仏果山 → (自然観察日記)

山の名前:仏果山(ぶっかさん)
別名:半原富士(はんばらふじ)

所在地:神奈川県清川村煤ヶ谷仏果山先

標高:747.1m
 丹沢山地の東部に位置し、愛甲郡愛川町と清川村の境界線上にある。清川村側は神奈川県立丹沢大山自然公園に指定されている。
標高が低く、登山道がよく整備されていて家族連れなどでも登りやすい山で、1~2時間程で登山ができ、高取山や宮ヶ瀬ダムにかけてのハイキングコースとして知られている。また頂上には展望台(高さ13m)が設置してあり、そこからは東丹沢と関東平野が一望できる。
室町時代のはじめ、清川村煤ヶ谷(すすがや)にある正住寺を開いた仏果禅師が座禅修業をした山で、仏果禅師が座禅をした座禅石がいつの頃か仏果沢(ぼっかざわ)に落下したため、この山を「仏果山」と呼ぶようになった。
【サイト:ふるさと富士より出典】

清川村の名木・名石 (大山山道の道標)

2008年03月15日 | 文化財伝承

清川村の名木名石

大山山道の道標

煤ヶ谷の杉山八郎左衛門重国は、先祖の菩薩供養を志し、小さな地蔵尊を背負い、坂東や西国などの292寺社に参拝し、無事煤ヶ谷にもどった。
帰郷後、尾崎の三叉路に「大山山道」の6尺の石の道標を建立した。
現在は煤ヶ谷大野地区に移設されました。
(写真は、平成19年10月8日「ひかり根っ人きよかわ名木撮影会」にて撮影されたものです)

教育委員会・文化財保護委員委員の編纂による
      「清川村の名木・名石」を参照しました。

 

移設前の写真