難病と一緒に楽しい生活

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カウチポテトな徒然草

クンユアム村の2日間

2010年03月06日 | 旅行
3月2日
Nさんと私たち夫婦でチェンマイから北へ280㎞離れたメーホンソンのクンユアム村へ車で行ってきました、
Nさんはこの村の小中高校でボランテアで教師をしている2人の日本人の応援、日本の鳴門金時イモを村に普及させて生活の足しにしてもらいたい、そして飢えと病で悲惨な最期を迎えた旧日本兵の弔いのため定期的にここに訪れているのです。
ビルマから落ち延びた日本兵の死体で埋まった白骨街道とはこの辺り、北タイ周辺だということを知りました。

Nさんは規制されるからと、JICAにもNPOにも属していません、
チェンマイには彼みたいに脚光も浴びず、黙々と自費で山岳民族を支援しているカッコイイ爺様が多いのかもしれない、
私は山岳民族に触れたくて連れて行ってもらいました。

この村でも素晴らしい日本人に会うことができました、
心の扉を叩かれたような2日間でした。

途中で見たラオス風寺院、ラオスに近いのでタイ特有の金きらピカピカがありません、
   

目的の学校に着いたのは出発から5~6時間後、
高校生に日本語を教えてる女性の桑原先生とお会いしました。
私立の中高一貫校なので校舎も小奇麗です、日本的に言えば進学校です。
生徒は高校生も微笑んで合掌(ワイ)してくれます、道であってもワイしてくれます。
先生方も同様です。

次はソロバンを小学生に教えてる男性の井原先生の所へ。
ここは先ほどの私立校の付属小学校です、場所が離れてます。
授業は活気があります、タイの子は答えがわからなくても我先に手を挙げるんだって、ナーラック(カワイイな)



そして小学校の敷地内で男性3人がイモ苗を植えました、
そこへ桑原先生もやってきました、
私たち女性は先に桑原先生の家に行きました。
イモができると親が食べてしまうそうです、種イモだから食っちゃいかん、と言っているのにとこぼしていてました。
この葉っぱも4~5ヶ月後には大きなおイモになるそうです。


今夜の宿泊先はホテルの予定でしたがNさんと一緒に桑原先生のホームステイ先に泊まることになりした。
ディナーは昆布だしの和風鍋です、材料、だし汁は全てNさん持参です。
宴会はステイ先のお父さん、2人の先生、Nさん、私たちで日本語、タイ語で盛り上がりました、
 
桑原先生専用のハウスです、トイレは外です、外は月明かりのみです。
  

ステイ先の台所
 

2月4日
朝食は高校の学食です、朝からオープンしてるだなんてやっぱりタイです、
今日は朝礼の日だそうです。
見学していると教頭先生が英語で話しかけてきたので4人でずーと喋ってました。
朝礼中に私語しておとがめなし、やっぱりタイです。

今日はラッキーなことにお布施の日でもありました、
仏教徒の生徒がお供えを用意してお坊さんが来るのを待っています。私も生徒の列に入ってお布施を包みました。



日本兵の慰霊碑の掃除とお参りに行きました、
すぐそばに井戸があります、コンクリートでふたがされているので井戸とは気が付きません、この中にマラリア、赤痢で亡くなった日本兵が投げ込まれたそうです。
粗末さに驚きました、触ると崩れそうな鉄兜が「忘れないで」と言っているようでした。
お母さんに会いたかったでしょうね、
日の丸を掛けてあげました。
次は昨日とは違う小学校へ
きのうと比べるとかなり見劣りします、職員室でコーヒーを頂きました。
写真は職員室です、小学校から英語の授業が有ります、やっぱりタイです。
 
Nさんはここに電気ピアノ、ピアニカ、ハーモニカを送ったそうです。

もっと貧しい小学校へ
ここにNさんは手作りの郵便受けとお菓子を持ってきました。
私から見たら普通のお菓子だけど、ここの子供達には滅多に食べられないものなのでしょうか。

複式学級かと思うぐらい体つきがまばらでした、全員5年生です、幼稚園児みたいな小さい子もいました。

 


先ほどの裕福な子女が通う高校で昼ごはんを食べて桑原先生の日本語授業参観へ
 
きのうから授業に参加して欲しいと言われていたので楽しみにしていました。
生徒から質問を受けて答えて、その後一人一人、教壇に立ちました。
私は昨日の桃の節句をタイ語、日本語、絵を描いて話しました、
最後はひな祭りの歌で閉めました。

夫は自己紹介を黒板に書きながら2ヶ国語でしました、


桑原先生はなぜか阿波踊りのCDを持っています、そしてNさんは徳島出身です、そうなると当然、Nさんは阿波踊りの披露です。
お囃子に合わせて教室中が輪になって踊りました。
Nさんは猿踊りで閉めました。


授業が終わり井原先生と一緒に旧日本軍博物館へ
こちらは立派に祀られています。

庭に桜の木が立っていました、
桜…と見上げました。

こちらはその博物館のホームページです。
興味のある方はどうぞ
http://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/

ここで先生と別れて私たちの車は帰路、チェンマイを目指しました。
読んでくださった皆さまもNさんも夫も大変お疲れさまでした。


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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
げんきそうですね (ねこにゃんです)
2010-03-06 20:08:56
鳴門金時は 後進国(適当な 表現がありませんね)では みんな 欲しがっている 食物なんだそうです。

日本だって 大きくなった お芋を 手に入れるには 結構 高価ですよ。

精力的に 動いて いますね。

こちらは まだまだ 寒いです
長い出張から 戻り やれやれですが。
出張の合間に 買った ごま石鹸が 身体に優しく ホテルで 何度も使いました(ゴマの香りが するわけではないのですが)

子供達は どんな 状況でも 笑顔があるんですね。
日本は 債務超過の 国になって しまっているのに 勘違いしている 日本人は まだまだ 多いです
豊かさは 物ではないことを 子供達の笑顔が示していますね。(どこの国でも 子供の笑顔は 素敵)



体力 大丈夫?
たくさん 食べてそうだし 時間は たっぷり ありますものね。

時には ゆっくりした 便りも まっていますよー
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まちがった (ねこにゃん)
2010-03-06 20:15:07
はまちがいよ


 又ね。
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ねこにゃんさん (ひかり)
2010-03-07 13:35:34
鳴門金時て名前からして美味しそうですね、
私は川越イモ、これが1番や、と思ってました
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クンユアム村レポート満喫! (sasapanda)
2010-03-08 14:57:44
こんにちわ!

ジャーナリスト顔負けの記事ですね!
シャッターチャンスのタイミングといい

お見事です
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日の丸 (猫ニャん)
2010-03-08 15:34:25
うるっと きました

日本の外へ出れば 間違いなく 私達は 日本人ですもの

多感な時期に 読んだ 「からゆきさん」のはなしを 思い出しました。

日の丸の切ない事。

まだ2ヶ月たっていないのに 今回は ドキュメントタッチで ナレーション付のような レポート。キラリ




 
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sasapanndaさん (ひかり)
2010-03-13 11:10:30
桑原先生と会った時、支えが嬉しいと涙ぐんでました。
なんでこんなに頑張れるのか知りたかったけど、私には理解できないかも、と思い聞けませんでしたね。
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ねこ (ひかり)
2010-03-13 11:23:57
そう、私は日本人です。
日本人目線でタイ文化を見ないように心掛けています。
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茂木サン (猫ニャん)
2010-03-13 12:10:41
今年は 雪が多いです
車移動も多く 子猫を乗せて 行っています
おばあさん猫が 天寿をまっとうしたので 子猫の 悲しみが 半端じゃないのです

頑張れる人達には 共通した心が あると 茂木さんが 言っていました

ひとつの世界に 入っていくと(やり続けて行くと) 必ず つかむ 瞬間が あるんだそうです
やり続ける →更に やり続ける

分かったような 気もしましたが 日常の忙しさに 戻されて しまいます。
実は ちょっと 分かりかけて きた感が あるのですが  いや まだまだですね
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ねこにゃんさん (ひかり)
2010-03-15 18:58:42
つかむまでやり続ける、
美しいです。
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