日本ではバンコクでの内紛が大きく報道されているみたいですが チェンマイはどこ吹く風、
暴動、内紛、しらんぷりで平和です。
(イエローシャワ-/道路はこの木で真黄色です)
Nさんの車で金時イモの成長を見に再びクンユアム村へ行きました。
桑原先生と井原先生が夏休み(タイでは夏休み)で日本に帰っています、
その間の水やりはタイ人に謝礼をして頼んだらしいですが、全滅していました。
タイ人ちゅうは毎日水やる感覚がないのかね、とNさんの弁。
今日は600k走ったようです、
朝6時前に出て、帰って来たのは夜9時半でした。
北タイは日本のような山道は滅多にありません、平坦、直線がほとんどです、カーブの多い山道は危険だそうです。
で、前回同様、平坦な道をとってチェンマイから西へ向かいました。
メーチェムを通り、北をめざしました。
そしてクンユアム村へ、ここに着いたのは9時半ごろ。
3か所の慰霊塔を廻って掃除、お花、お線香をたむけました、
その後、予定外だったけれど、白骨街道を通ってチェンマイに帰ることにしました。
(バニラの花です、もちろんバニラの匂い)
さらに北、ミャンマー近くのパーング・マ・パー そこから南下して→パイ →メーリム →チェンマイのコースです。
クンユアム近辺からパイ辺りまでが白骨街道です、
戦力輸送のために多くの死者を出しながら作った街道、橋が自分たちの逃げる道になるとは、軍服を着たまま白骨になるとは、
戦争はどこの国でも しないでください。
クンユアム~パイはメーホンソン県、北の方は首長族で有名なカレン族が多く住みます。
首長族に会うには観光施設にいかなければなりません、
かわいそうな首長族の女性、真下向けるのだろうか
普通の女性が改造されて、見世物にされてそれを見たがる私たち、
私はまだ見ていないけれど、複雑な気持ちです。
舗装された道路から けもの道みたいに枝分かれした道をいくつも見ることができます、、ここを登って山の中に入ると山岳民族のです、当然ですが観光客は入れません。
パーング・マー・パンのコ洒落たカフェーで1皿の食事代より高いコーヒーで一休み、
ここはほとんどリス族らしい。
ここは観光地らしいが観光の目玉は何なのだろう、
普通の何も無い村なのに、
やはりヤーバー(麻薬)? 根拠のない冗談です。
タン・プラー公園に寄りました、
ここは不思議な川です、
こちらの川は土が混じって茶色、日本のような透明な川はまずありません。
ところがここにあったのです。
洞穴の下に湧水がありその水が川に流れています。
魚が大きく太っています。
湧き出るところに重なるようにして集まって来る魚たちはさらに巨大です、
川幅が広くなっても湧水の流れの線に魚が集まっています。
Nさんが1年半前にこの水を持って帰りヘアピンを入れてみたところ、今でも透明だと言っています。
ここの町長に川の水を精製して売ったらええ、と言ったけれど全く興味を示さなかった、とNさんが言ってました。
私もペットボトルに入れて持ち帰りました、
そういえばペットボトルに入れてるのは私たちだけでした、
ここで2,3分、春1番みたいな風に2度ぐらい合いました。
これが大変なことになったのです。
道はまだまだ上り坂、
途中で日本兵が作った橋を見ました、
鉄橋で立派だけれど作ったときに何人の犠牲者が出たのだろうか。
道はさらにつずら折、昇り坂です、
片側に車がたくさん停まっています、皆、呑気に写真を撮っているところに出くわしました、
山道でイベント?市場?と思って対抗車線を走っていくと
先ほどの風でブッ太い木が折れ道路を塞いでいたのです、
うそ~
そこにたまたま、レッカー車が通りがかり、木を切断して通れるようになりました。
もし、レッカー車が通らなかったら、ここはタイ、復旧はいつのことだったでしょう。
快適に走っているとまた、渋滞
次は風でブッ太い松の木が倒れ電柱を直撃して高圧電線が道路をまたいでいたのです。
なんで~、こんなことが起きるの~、風が吹いただけなのに~
これこそ復旧は翌日かもしれない、
なんとドライバーたちが電線を紐で束ねて道路脇のポールに縛り付けて片側通行可にしました。
電気は流れていなかったんだよ! ね?!
ありがたいけれど危険です、
そういえばチェンマイは風で停電します。
パイに着いたのはすっかり暗くなってからです。
こここそ、ヤーバー(麻薬)愛好家が集まる所です。
小さな町にファラン、ヨッヨッ(白人いっぱい)と聞いていた。
日本人地区もあるらしい、
日本人おじさんたちは髪が長く、ダボダボ服を着てるとか、
チェンダーオのイベントで見かけたヒッピーおじちゃんたちはやっぱり~、ここから来たんだ。
(開花時期はもう終わります)
道はずーと昇り坂、ガソリンの減り方が加速しています。
どこかで給油しなくてはいけないが山の中、スタンドがあるはずがないです、
店のおばちゃんが12k先にあるというので一安心、
ところが行けども行けども町の灯りが見えません。
何とかなるさ、行けるところまで行こう、
村がありました、そこの売店にNさんが車を停めたので、スタンドの場所を聞くのかなと思いきや
「これや!」と彼は一言、
ここが給油所だったのです。
子供のころ見たキリン型のポンプより素朴です。
お姉さんがドラム缶に付いたハンドルを手で回して圧力でガソリンを吸い上げ、量を確認してゴムホースみたいのから車に入れます。
ガソリンが入ったので車も私たちも元気になりました。
メーリムは象の病院のあるところ。
何年か前に鼻の短い小象、 義足の象をTVで見ました、
鼻の短かかった小象は元気に大きく成長しているらしい、
Nさんも詳しいことは知らないと言っていました。
暗雲苦難を乗り越えてチェンマイに到着しました。
今日中に着けるように助け舟が現れたのも兵隊さんのおかげだね、と
神がかり的なことは一切信じない私たち3人、笑ってうなずきあいました。
暴動、内紛、しらんぷりで平和です。
(イエローシャワ-/道路はこの木で真黄色です)
Nさんの車で金時イモの成長を見に再びクンユアム村へ行きました。
桑原先生と井原先生が夏休み(タイでは夏休み)で日本に帰っています、
その間の水やりはタイ人に謝礼をして頼んだらしいですが、全滅していました。
タイ人ちゅうは毎日水やる感覚がないのかね、とNさんの弁。
今日は600k走ったようです、
朝6時前に出て、帰って来たのは夜9時半でした。
北タイは日本のような山道は滅多にありません、平坦、直線がほとんどです、カーブの多い山道は危険だそうです。
で、前回同様、平坦な道をとってチェンマイから西へ向かいました。
メーチェムを通り、北をめざしました。
そしてクンユアム村へ、ここに着いたのは9時半ごろ。
3か所の慰霊塔を廻って掃除、お花、お線香をたむけました、
その後、予定外だったけれど、白骨街道を通ってチェンマイに帰ることにしました。
(バニラの花です、もちろんバニラの匂い)
さらに北、ミャンマー近くのパーング・マ・パー そこから南下して→パイ →メーリム →チェンマイのコースです。
クンユアム近辺からパイ辺りまでが白骨街道です、
戦力輸送のために多くの死者を出しながら作った街道、橋が自分たちの逃げる道になるとは、軍服を着たまま白骨になるとは、
戦争はどこの国でも しないでください。
クンユアム~パイはメーホンソン県、北の方は首長族で有名なカレン族が多く住みます。
首長族に会うには観光施設にいかなければなりません、
かわいそうな首長族の女性、真下向けるのだろうか
普通の女性が改造されて、見世物にされてそれを見たがる私たち、
私はまだ見ていないけれど、複雑な気持ちです。
舗装された道路から けもの道みたいに枝分かれした道をいくつも見ることができます、、ここを登って山の中に入ると山岳民族のです、当然ですが観光客は入れません。
パーング・マー・パンのコ洒落たカフェーで1皿の食事代より高いコーヒーで一休み、
ここはほとんどリス族らしい。
ここは観光地らしいが観光の目玉は何なのだろう、
普通の何も無い村なのに、
やはりヤーバー(麻薬)? 根拠のない冗談です。
タン・プラー公園に寄りました、
ここは不思議な川です、
こちらの川は土が混じって茶色、日本のような透明な川はまずありません。
ところがここにあったのです。
洞穴の下に湧水がありその水が川に流れています。
魚が大きく太っています。
湧き出るところに重なるようにして集まって来る魚たちはさらに巨大です、
川幅が広くなっても湧水の流れの線に魚が集まっています。
Nさんが1年半前にこの水を持って帰りヘアピンを入れてみたところ、今でも透明だと言っています。
ここの町長に川の水を精製して売ったらええ、と言ったけれど全く興味を示さなかった、とNさんが言ってました。
私もペットボトルに入れて持ち帰りました、
そういえばペットボトルに入れてるのは私たちだけでした、
ここで2,3分、春1番みたいな風に2度ぐらい合いました。
これが大変なことになったのです。
道はまだまだ上り坂、
途中で日本兵が作った橋を見ました、
鉄橋で立派だけれど作ったときに何人の犠牲者が出たのだろうか。
道はさらにつずら折、昇り坂です、
片側に車がたくさん停まっています、皆、呑気に写真を撮っているところに出くわしました、
山道でイベント?市場?と思って対抗車線を走っていくと
先ほどの風でブッ太い木が折れ道路を塞いでいたのです、
うそ~
そこにたまたま、レッカー車が通りがかり、木を切断して通れるようになりました。
もし、レッカー車が通らなかったら、ここはタイ、復旧はいつのことだったでしょう。
快適に走っているとまた、渋滞
次は風でブッ太い松の木が倒れ電柱を直撃して高圧電線が道路をまたいでいたのです。
なんで~、こんなことが起きるの~、風が吹いただけなのに~
これこそ復旧は翌日かもしれない、
なんとドライバーたちが電線を紐で束ねて道路脇のポールに縛り付けて片側通行可にしました。
電気は流れていなかったんだよ! ね?!
ありがたいけれど危険です、
そういえばチェンマイは風で停電します。
パイに着いたのはすっかり暗くなってからです。
こここそ、ヤーバー(麻薬)愛好家が集まる所です。
小さな町にファラン、ヨッヨッ(白人いっぱい)と聞いていた。
日本人地区もあるらしい、
日本人おじさんたちは髪が長く、ダボダボ服を着てるとか、
チェンダーオのイベントで見かけたヒッピーおじちゃんたちはやっぱり~、ここから来たんだ。
(開花時期はもう終わります)
道はずーと昇り坂、ガソリンの減り方が加速しています。
どこかで給油しなくてはいけないが山の中、スタンドがあるはずがないです、
店のおばちゃんが12k先にあるというので一安心、
ところが行けども行けども町の灯りが見えません。
何とかなるさ、行けるところまで行こう、
村がありました、そこの売店にNさんが車を停めたので、スタンドの場所を聞くのかなと思いきや
「これや!」と彼は一言、
ここが給油所だったのです。
子供のころ見たキリン型のポンプより素朴です。
お姉さんがドラム缶に付いたハンドルを手で回して圧力でガソリンを吸い上げ、量を確認してゴムホースみたいのから車に入れます。
ガソリンが入ったので車も私たちも元気になりました。
メーリムは象の病院のあるところ。
何年か前に鼻の短い小象、 義足の象をTVで見ました、
鼻の短かかった小象は元気に大きく成長しているらしい、
Nさんも詳しいことは知らないと言っていました。
暗雲苦難を乗り越えてチェンマイに到着しました。
今日中に着けるように助け舟が現れたのも兵隊さんのおかげだね、と
神がかり的なことは一切信じない私たち3人、笑ってうなずきあいました。