goo blog サービス終了のお知らせ 

hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
楽しさ、感動、知恵が学べる。
(^_^)私はとっても普通の人です。

🌸ビューティ可理子プロデュース🌸⑩

2017-10-20 11:30:26 | ダイエット
🌸ビューティ可理子プロデュース🌸⑩


🍀美しい人って、どんな人ですか?🍀


美しい人ってどんな人ですか?

無心✨で何かに打ち込んでいる姿って、とても美しい💕ですよね。

お母さん🌸の子どもを見つめる姿って美しい✨ですよね。

他人のために奔走する🏃💨人って、美しい🌟ですよね。

無償の愛❤️を出す人って、美しいですよね。


人って、ひとのために働いていると、輝き✨だすんです。

内から、光✨が出でくる。

だから、とても美しく🌸見える。


人って、なかなか、自分のためには、全力✊を、出せないものです。

ダイエットも。

だから、誰かのため、何かのためにがんばると、

いがいと、簡単に、うまくいく。😊🎵

天☀️に通じる柱🌲ができる。

だから、

すんなり、うまくいく。

自分を超えた⤴️エネルギー⚡️が出るんです。

自分を超えた⤴️次元🌈になるんです。

だから、不可能😵も可能👍になるんですね。


✨楽しく、誰かのため✨

これが、自分を超えたパワー🌋を出す
コツ✨なんですよ。😊🎵

だから、そんなこと見つけて、やってみてくださいね。😊🎵

この道を歩む⑤

2017-10-19 16:21:08 | お話
🍀この道を歩む🍀⑤


🔸吉田、ところで北尾さんもそうだと思いますが、

ベンチャー企業のように、己の一剣を頼みに歩んでいく創業社長というのは、

一瞬たりとも気を許すことができないものですね。

おまけに年を取るにつれて体力もなくなっていくものですから、

私はゴルフもやめ、テニスもやめ、余計なことを全部やめて事業に専念しています。

全力投球で臨む覚悟がなければ、

事業というものはとても全うできませんね。

🔹北尾、たしかにおっしゃるとおりです。

特に創業者の場合は、何かこれで楽になるということはないんです。

私はSBIを創業してもう20年近くになりますが、

株主からは常にベターなシチュエーションを期待されますし、

周りの状況もどんどん変化していきますから、

自分はそれよりも先を見据えて変化していかなければならない。

ですから土日もほとんどありませんし、

毎朝4時半からマーケットのチェックを始めるような生活をずっと続けています。

私どもは200を超えるグループ会社と5,000人近い従業員を抱えていますから、

それが続けられなかったらとても責任を全うできないんです。

万一グループの一社に何かあれば、SBIの名を冠した全社に影響しますから、

常に全体に目配りをしておかなければなりません。


🔸吉田、お互い、相当な体力、気力が要求されますね。

ですから私は健康にも非常に気を配っていて、

銀行の専務時代に足を痛めて手術をして以来、

熱心にやるようになった真向法という柔軟体操を、いまも毎日3回やって健康維持に努めています。

真向法では、最上位の十段を取得しています。

人間の体というのは、放っておくとどんどん硬くなって老化していきますから、

ある程度いじめなければならないんです。

これは頭も同じだと思います。

🔹北尾、本当にそうですね。

私はうちのグループで開発した5-ALAというアミノ酸のサプリを常用して、

あとは毎朝自宅で1時間半かけて体を鍛えています。


そうして常に心身を充実させて、この激しい環境変化に対応していかなければなりません。

過去の成功体験にあぐらをかいていたら、

環境が変わった時にすぐ置いてけぼりをくってしまいますから、

常に自己否定、自己改革、自己進化、このプロセスをきっちり実行して

組織を率いていかなければなりません。

『大学』にも、「日に新たに、日日に新たに、また日に新たなり」

とありますが、そういう精神でもう望まなければ、

いまのこれだけ激しい競争の世界を生き抜いていくことができませんね。

どのように世の中が変わっていくのかを想像しながら、

創造心を逞しくてして、新しいものをクリエイトしていかなければなりません。

🔸吉田、私がこの年で元気に事業に邁進できるのは、もう一つ理由がありましてね。

人間というのは、1年生きればその分、成功と失敗を重ねていくものですが、

たいていの人は失敗のほうばかり覚えるから、

年を取るとだんだん新しいチャレンジをしなくなるんです。

私が営業先を毎日90軒回って学んだことの1つは、

断られたり失敗したりしたことを忘れる術です。

いいことだけ覚えて、それを繋ぎ合わせれば道は開けていくことを、

その頃から実感をするようになったんです。

「失敗を恐れるな」と言っても、やっはり恐れてしまう。

逆に、忘れる術をどうしたら得られるかを考えることが、

年齢を重ねて、いつまでも元気で活躍するポイントになるのではないかと私は思うんです。


🔹北尾、確かにおっしゃる通りです。

私も任天、任運という人生観を持っていて、

自分のやるべきことを精一杯やったら、

後は天にお任せする気でいますから、

どんな結果になっても、これは天の配剤だと受け止めることができる。

たとえ失敗しても、これは失敗したほうがいいから失敗させてくれたんだと考えるから気楽です。

ならば次の新しいことに取り組もうと、頭がスッと切り替えられるんです。


(つづく)

(「致知」11月号 吉田博一さん北尾吉孝さん対談より)


今日は寒いから、鍋
手羽、餃子、キャベツ、大根、昆布、玉ねぎ、シイタケ、あげ

あったまりました。(^_^)

この道を歩む④

2017-10-18 14:48:03 | お話
🍀この道を歩む🍀④


🔹北尾、後藤さんは、野村証券時代に私をサポートしてくださった大切な上司の1人ですけれども、

吉田さんは2人の樋口さんから大きな薫陶を受けられたそうですね。

住友銀行の上司で、後にアサヒビールに移られた樋口廣太郎さんは、吉田さんの才を一目で見抜かれたようですし、

大和ハウス工業の会長の樋口武男さんも、吉田さんをものすごく評価されて、全面的に支援しておられます。

やはり周りからサポートされない人は、運命を切り開くこともなかなか難しい。

吉田さんのように周りからサポートされる人になるためには、

徳性が高いこと、人から信頼される誠実な人であることが大切だと私は思うんです


🔸吉田、私がそういう人間かどうかはともかく、

2人の樋口さんがいらっしゃらなかったら、今日はないというのは確かです。

樋口廣太郎さんは、私が若い時分に支店で苦労していたのを本店に引っ張ってくださいました。

評価どおりのすごい方で、厳しいお叱りも受けながら、

仕事のやり方、人の処し方等々、いろんなことを教えていただきました。

中でも1番印象に残っているのは、

「念ずれば花ひらく」という言葉でした。

本気でそう思えば現実するよと。

私もこの事業を手掛ける際、最初は抽象的でぼんやりイメージしていたことが、

思いを抱き続けているうちに、

だんだん骨組み見えてきて、

白黒がカラーになって、はっきり見えるようになりました。

色のついた花を見るように思いが明確になってきて、樋口さんが

「花ひらく」と表現された意味がよくわかった気がします。

創業当初は、開発現場から、

「無理だ」

「できない」

といった否定的な声ばかり挙がって、

心が折れそうになることもよくありました。

そういう時も、樋口さんから教わった

「おい悪魔、さあ仏」

という言葉を思い出しては、

気持ちを切り替えたものです。

「(お)怒らず、(い)威張らず、(あ)焦らず、(く)くさらず、(ま)負けるな、(さ)颯爽、(あ)明るく、(ほ)ほのぼの、(と)ときめき、(け)謙虚」

の頭文字をつないだ語呂合わせなんですが、

これには、ずいぶん助けられました。


もう一方、大きな薫陶を受けた樋口武夫さんは、

電気自動車開発の支援を求めてご相談に伺った時、

ファースト・インプレッションで出資を決断してくださいました。

以来今日まで、ずっと私を信じて支援を続けてくださっているんですが、

信じていただくから、こっちも死に物狂いである。

あの方がいらっしゃらなければ、この事業はできていません。

🔹北尾、樋口武夫さんは本当にご立派な方ですね。

今日までの大和ハウス工業の発展を考えると、樋口さんの功績はとてつもなく大きい。

にもかかわらず、ご自分の功を誇ることはありません。

樋口さんにとっては、すべて創業者の石橋信夫さんありきなんですね。

あの創業者への思い、恩義に報いる姿勢。

私もこれまでたくさんの経営者にお目にかかってきましたが、

あれほど偉い方は見たことがありません。

吉田さんの会社も、社員の方々が樋口さんのような姿勢で後を担っていかれたら、

100年、200年、300年と続く会社になると思います。

私も自分が創業に込めた思いを、後に続く社員たちに末永く継承していってもらうことが1番の願いですよ。

🔸吉田、セコムを創業なさった飯田亮さんが、

「経営で最も大事なことは、創業の理念を貫くことだ」

とおっしゃっていますが、

これを見事に実践なさっているのは樋口武男さんだと思います。

酒の席になると自慢話を始める人は多いんですが、

樋口さんの場合、たまにお酒をご一緒させていただいても、

そういうこたは絶対にありませんね。

やっぱりあの方はすごいと思いますよ。


(つづく)

(「致知」11月号 吉田博一さん北尾吉孝さん対談より)

この道を歩む③

2017-10-17 17:09:12 | お話
🍀この道を歩む🍀③


🔹北尾、吉田さんご自身は技術者ではありませんでしたが、

創業時のメンバーの方々の中にも電池の技術者はいらっしゃらなかったそうですね。

そういう中で、よくそこまで高品質のリチウムイオン電池を開発なさいましたね。

🔸吉田、リチウムイオン電池の技術者というのは、

日本ではどちらかというと日陰者だったんです。

当時は国全体で、

「いまさらリチウムイオン電池か」

と言われるような状況でした。

若い技術者の中には、そういう状況に不満を持っている人が結構いたので、

志を共にしてくれる技術者は集まってくると考えていました。

🍀北尾、私が吉田さんに出資する決め手になったのは、まずその発想です。

それから、ある程度お年を召されてからの起業ですから、

事業の継続性がポイントになったわけですが、

やはり徳は孤ならずで、

吉田さんの周りには徳性が高く、優秀な若い方が集まっておられて納得しました。

どなたも、吉田さんがこれまでの人生を通じて培ってこられた人間的魅力に惹かれて集まられたのだと私は思うんです。

🔸吉田、そんな立派な人間ではありませんけれどもね(笑)。

銀行へ入るまではテニスに夢中で、遊び呆けていましたし。

そんな私がいま、こうした事業を手がけているのは、父の影響が多分にあると思います。

父は京都大学講師からは文部省の行政官に乗り、

アジア人の世界の実現を唱えた学者でした。

戦争中にフィリピンの現地教育に携わっていたんですが、

戦局が厳しくなって帰国を命じられた時に、

自分の言葉に責任を持ちたいと言って現地に残り、

37歳で戦没しました。

山口県出身の父は、吉田松陰を崇拝していましてね。

松陰には

「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」

という辞世ががありますけれども、

父もそれに通ずるような覚悟を持って戦地に赴いたのではないかと思うんです。

🔹北尾、吉田さんのことを書かれた本を拝読すると、

そのお父様も含めて、ご先祖様の影響を非常に受けていらっしゃるようですね。

父方のお祖父様は、伊庭貞剛に請れて住友家に学士第一号として入社し、

後に住友信託を創業なさっているし、

母方のお祖父様も、当時の日本を代表する国際法学者でいらした。

DNAというものは本当に恐ろしいものです。

それから、銀行に入行されて7、8年後には、

本店勤務の同期の方に月給で百円の差をつけられたそうですね。

普通は、そこで腐ってしまうところなんですが、

吉田さんは逆に奮起なさったと。

これも後の起業に通ずる1つの転機になったといえるのではないでしょうか。


🔸吉田、確かにそうかもしれません。

あの時は辞めようかと思ったのですが、

銀行に入ったのをあんなに喜んでくれた母に、そんなことはとても言えない。

だったら、やれるだけやってみるかと気持ちを切り替え、

人の5倍働こう、1日90軒お得意先を回ろうと決意したわけです。

🔹北尾、先ほど、人と違うことをやるとおっしゃっていましたが、

その営業先も、ボーリング場とか、日本ケンタッキー・ライド・チキンとか、

当時まだ銀行とあまり取引をしないしていなかったところを開拓して、トップセールスマンになっていかれたそうですね。

その目のつけ所が素晴しいと思うんです。

私はいつも、営業はASP (アナリシス、ストラテジー、プラクティス)だと言っています。

まず分析。

そして戦略を立て、勇猛果敢に断行する。

吉田さんは住友のリサーチ軍団に分析をさせて、

それを武器に攻めていかれるなど、

実に斬新な営業のやり方を実行なさってきたとも伺っています。


🔸吉田、そうした努力を重ねるうちに、いくらでもやれるじゃないかという実感が湧いてきました。

自分が出した能力もないけれども、

努力する能力だけはあると。

その時から本当の意味で、人生やビジネスのスタート台に立てたように思いました。

起業につながる転機ということでは、

常務となった52歳のときに突如ロンドンへ赴任したことも大きかったですね。

部下もなく組織の外で1年以上過ごしました。

それまでは銀行という組織の中で生きるサラリーマンにすぎなかったので、

銀行がなくなったら世界が終わってしまうような気でいました。

けれども、そこから一旦離れて異国の地に立ったことで、

1人でも生きていけるんだ、

人と違うことをやるからこそ生きていけるんだ、

と思うようになった。

そのことも、後に起業を決意する要因になったのかもしれません。


銀行時代に毎日90軒のお得意先を訪問していた時は、

営業成績を上げることはもちろんですが、

いろんな経営者にお目にかかって、それぞれのよいところを吸収しようという思いもありました。

その中で学んだことは、

ビジネスで1番大事な事は、

やはり誠実や信用だということです。

当社では毎週「十則」というのを皆で唱和していましてね。

そこに掲げている

「私たちの会社の夢は人類、社会に役立つ仕事をすることだ」

「信用誠実に優る知恵はない」

といったとことは、私が銀行時代から追求してきたことなんです。

銀行の支店長時代に転勤する際、部下の女子行員が

「吉田語録」という冊子を作って贈ってくれたことがあります。

私が日頃話していたことをまとめてくれたものなんですが、

そこに書かれていることは、

「正々堂々ととごまかしのない仕事をしよう」

などと、いま「十則」に掲げていることとほとんど同じです。


🔹北尾、その女子行員の方の心がけも立派ですね。

実は、私も同じようなものを書いてもらったことがあります。

野村企業情報の役員を退任して、野村証券へ戻るときに、

当時社長だった後藤光男さんから、

「北尾吉孝君の記録」という冊子を贈っていただいたんです。

その最後のページに、

「北尾君が謙虚な姿勢を保つ時、その迫力は、ますます人を動かし、組織を動かすことになる」

と書いてくださいましてね。

私はこれを読み返しては、今の自分は謙虚さを失っていないか、舞い上がってないかと、自らを省みるようにしているんです。


(つづく)

(「致知」11月号 吉田博一さん北尾吉孝さん対談より)

この道を歩む②

2017-10-16 11:42:18 | お話
🍀この道を歩む🍀②


🔸吉田、創業から11年経ってつくづく思うのですが、

もしこの事業を自分のお金でやっていたら、

これまでたくさんの方に応援していただくことはできなかったでしょう。

ご出資いただいたのは、大和ハウス工業の樋口武夫さん、北尾さんをはじめ上場企業ばかりで、

皆様のお気持ちが一つひとつ積み上がって、315億円もの資本になりました。

日本というのは、すごい国だと改めて思いますね。

最初に面接していただいたときの北尾さんは、軽く品定めをなさるくらいの認識だったと思うんです。

私も既に75歳を過ぎていましたし、

この老人はボケていないかと(笑)。

熱心に応援してくださるようになったのは、

その3年後の平成27年に、当社の工場をご覧いただいてからでしたね。

北尾さんはとても高く評価してくださって、ご自身のブログでも紹介してくださいました。

🔹北尾、あの時は驚きました。

ベンチャー企業というのは工場まで十分に手が回らないところが多いんですが、

吉田さんは公開前にも関わらず、あれだけスケールの大きな工場をお建になっていた。

しかもレイアウトから何から、細部に至るまで、ものすごく考え抜かれている。

電池に全く縁のない製薬会社の方を役員に抜擢されてつくられたと伺って、

吉田さんという方は、ただ者ではないなと、改めて感銘を受けました。

🔸吉田、彼は副社長で、いまは特別顧問をやってもらっているんですが、

彼以外の若い人たちも同様で、電池の生産技術ゼロの人間で作った工場なんです。

要するに、成功体験が何もないところから新しいものをつくることにチャレンジしたわけです。

工場をつくる際に副社長に告げたのは、

「安全な電池をつくるために、フルオートの工場でなければ満足しないよ。

お金は、私がいくらでも集めてくるから」

ということでした。

コンセプトはいろいろ話し合うけれども、

細かなことは言わずに、彼にすべて任せたんです。

任された彼は、若い人を使って死に物狂いで期待に応えてくれました。

北尾さんにも感心していただきましたが、トイレ1つ取っても、

これが工場のトイレかというくらい立派で、細部まで行き届いたつくりになっています。

この設備で、いずれスタート時に描いていた売上高2兆円を実現しようということで、頑張っているんです。

🔹北尾、任用するのではなく信用し、

部下の方を信じて任せたわけですね。

御社を訪れた人は皆、あの工場を見てびっくりして

「この会社の電池なら大丈夫だ」

と納得される。

そういう意味では、吉田さんは偉大なショーケースを最初につくられたわけです。

普通はいい商品ができたら、それを集めてショーケースをつくろうかという順序になるんですが、

吉田さは全く逆をいかれて成功なさっています。

🔸吉田、人と違うことをやるというのが、私の生き方でしてね。

だから私みたいに凡庸な人間でもやっていけるんです。

銀行には「過大投資だ」と言われましたけれども、

工場を立派にして、それを見せれば、うちの電池に興味を持っていただけるんじゃないかと私は考えたわけです。

案の定、本田さん、セコムさんと、工場を見ていただいた方は皆さん

「よその電池メーカーより100年進んでいる」

とびっくりなさって、スムーズに契約に至りました。

北尾さんがおっしゃるとおり、工場がショールームの役割を果たしてくれているわけです。

🔹北尾、大きな投資をなさったわけですけれども、お金を集めて来られるのは大変だったと思います。

ほとんどのベンチャー企業は、それができなくて苦労する(笑)。

吉田さんは住友銀行で副頭取まで務められた方ですけれども、

それだけで、315億円ものお金は絶対に集めることはできません。

あの人は信用できる、あの人はなかなかの人物だと周りから思われていたから、成し得たことだと思うんです。


吉田さんの起業のきっかけは電気自動車だったわけですけれども、

そこで使われているリチウムイオン電池が、

自動車以外の産業や家庭で幅広く使われるようになることに気づかれたのは卓見です。

いま世界で注目されているのは、もっぱら電気自動車用の蓄電池ですが、

やっぱりもっと大事なのはインダストリーユース(産業利用)や家庭向けなど、

様々な用途に使われることだと思うんです。

最近は、太陽光パネルを設置する家庭が増えていますが、せっかく設置しても夜中には使えません。

昼間に発電した電気を蓄電池に安全に貯めておいて、

夜も使えるようにすることが求められてくるわけです。

それから、いまの公共の施設はどこも電池が必要です。

病院で心臓の動脈をモニターするのだって、全部電力でやってるわけで、

大事な手術中に停電になってしまったら大変なことになる。

電池の有無が人命を左右するわけです。

ですから、吉田さんはいずれ売上高2兆円とかおっしゃっていますが、

ちっとも不可能なことではない。

もっといくんじゃないかと私は思っていますよ。

🔸吉田、蓄電池と言い続け夢中で走ってきましたが、

この頃では、世の中が動いてきて蓄電ブームが到来しました。

マーケットができ上がり、これから何か始まるかというと、

安全性や機能面での選別です。

先日の新聞に

「リチウムイオン電池で発煙、発火が相次ぐ」

という記事が出ていましたが、

これから家庭やオフィスでの設置を進めていく上で、電池は絶対に安全でなければなりません。

品質に劣る電池は淘汰されていくでしょう。

🔹北尾、サムスンのスマホや、ボーイング787では、

リチウムイオン電池の発煙、発火事故が起きて、ずいぶん問題になりましたね。

しかし、御社の電池は、穴を開けても火を噴かない。

これには驚きました。


🔸吉田、米軍から銃弾で撃っても大丈夫かと聞かれ実験しましたが、

私どもの電池は銃弾で撃ち抜いても生きているんです。

それから、これは不幸な出来事なのであまりお話ししてこなかったんですけれども、

熊本地震の時に、うちの電池を設置した大和ハウス工業様の64戸の住宅でも、お役に立ったようです。

🔹北尾、そういうお話は、宣伝しなくても、どんどん広がっていくでしょうね。

🔸吉田、私どもの電池は、60℃から− 20℃まで充・放電できますし、

リチウムイオン電池というのは高温になると、ものすごく劣化するんですが、

私どもの電池は劣化も非常に少ない。

蓄電用として品質では、おそらく世界一だと自負していますし、

定置用の大型セルの量産を手がけたのも、世界で私どもが初めてだと思います。


(つづく)

(「致知」11月号 吉田博一さん北尾吉孝さん対談より)