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綱渡りの人生

2015-11-06 13:58:02 | 伝統的考え方
🌸🌸綱渡りの人生🌸🌸


昨年の春🌸以来、私は、諸君らに向かって、

たびたび
「一道をひらく☀️」
とか、
「一道を興す🌸」
というような

言葉🍀を使ってお話しをしてきましたが、

しかし、これは、

諸君らの眠っている魂💓を
ゆり動かし🌸、
これを燃え上がらせる☀️ための方便🍀であって、

実は、真実🌸の道🍀というものは、

自分がこれを興そうか✊、
あるいは
「自分がこれを開くんだ🌸」
と言うような考え🌀では、

真に開けるものではないようです。😄


実に大事な問題🌸だと思うのです。


では真実🌸の道🍀は、一体いかにして興るものでしょうか。

それには、

「自分が道をひらくのだ」

というような、

一切の野心🔥や、はからい💨が消え去って、

このわが身🌸わが心💓の一切を、

現在、

自分が当面しているつとめ🍀に向かって捧げ切る、
「誠☀️」によってのみ、

開かれるのであります。😄


が同時に、それだけに、

この誠☀️の境地には容易に至りがたく、
実に至難なことだと思うのです。☁️☁️


と申すのも、お互い人間🍀の誠☀️には

「もうこれでよい🎵」

ということはないからです。

すなわち、

「もうこれくらいならよかろう⛅️」

と腰を下ろしたんでは、

真🌸の誠☀️ではないからです。


真🌸の誠☀️こととは、

その時その時の自己の「精一杯💕」を尽くしながら、

しかも、常にその足らざることを歎く😵ものでなくてはならぬからです。🍀☀️


その意味🍀からは、

誠☀️は、また綱渡り🌸に喩えることもできましょう。

そもそも綱渡り🌸というものは、

決して途中でとどまる✋ことのできないものであります。🎵

つまり向こう側🎵にたどり着くまでは、
どうしても常に☀️進まねば➡️ならぬのです。

同時に、綱渡り🌸で向こう側へたどりついて
「やれやれ」とホッと💕するのは、

これを現実🍀の人生で申したら死ぬ時です。☁️☁️


すなわち、われわれが、

この肉体の束縛から解放せれられた時、
それが綱渡り🌸の終了した時です。🎵

そこで、

それまでの間、すなわち生きている間🍀は、
一瞬⚡️の油断😵もなく、進みに➡️進まねば➡️ならぬのです。✊


これ真実🍀の生活というものであり、

すなわちまた、誠☀️に外ならぬわけであります。😄


綱渡り🌸が喝采👏を受けるのは、

なるほど途中でも喝采👏は受けましょうが、

しかし
真🍀の喝采👏👏👏となると、
どうしても向こう側へ着いてからでないと、

真🍀の喝采👏👏👏とは言えないでしょう。😄

と言うのも、

もしも万一のことがあったならば、

途中での喝采👏はたちまち無効😵になるからです。☀️

そこで真🍀に間違いのない喝采👏となると、

やはり首尾よく綱を渡り終えてから💕でないといけないわけです。🌸


同様に今、一人の人間🍀の真価🌸が本当に認められるのも、

ーーーもちろん、生前に認められるということもないわけではありませんが、ーーー

しかし、どうしても動かのところ✊となれば、
やはり亡くなってからのことでしょう。☀️😄


ところでここに注意⚠️を要する点は、

なるほど綱渡り🌸で真🍀に喝采👏を受けるのは、
向こう側へ着いてからのことですが、😄

しかし、そのように喝采👏せられる内容🌸は、どこにあるかと言えば、

やはり綱を渡る🌸間の渡り方🍀にあるわけで、😄

決して向こうへ着いてからの態度🍀や状態🌸ではないはずです。😄


同様に
いま人間🍀の真価🌸が、本当に認められるのは、
その人の死後☁️☁️に相違ないですが、

しかもその真価🍀は、
死後🌸にあるのではなくて、

実に生前💓の生活🍀そのものにあることを忘れてはならぬのです。😄✨


(「終身教授録」森信三さんより)


綱渡り🌸の人生🍀。

いいですね。😄💕

いま生きる態度🌸が、やっぱり大事なんですね。☀️🎵

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