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熊本お礼参り殺人事件(出所後にお礼参りで母娘殺害事件)再掲載

2021年12月31日 22時32分18秒 | ニュース

 今年の6月に掲載した記事ですが、アクセスが多かったので又掲載しました。痛ましい事件でした。

 先日、病院の放火事件がTVで報道されましたが、許されない殺人行為です。
人間が人間を殺すのはなぜでしょうか、世界中で絶えることがありません。

 人間の人間たる業でしょうか?


  熊本お礼参り殺人事件(出所後にお礼参りで母娘殺害事件)
    Web検索より引用(要約)

殺人犯森川哲行
 自分を刑務所に追い込んだとして親族を逆恨みし、仮出獄を待って復讐を実行して二人を惨殺した。
 森川は、執念深い性格で、最初の殺人事件を起こして服役中の刑務所内で復讐の炎を燃やし続けて、仮出獄になったときに、親族2名を包丁でめった切りにした。

忌まわしい、日本の怪事件である。

第1回目の殺人事件
 森川哲行は、昭和5年熊本県の有明町で生まれた。全国の工事現場を転々として、あちこちで傷害事件を起こしていた。根っからの粗暴犯である。
 昭和35年に、妻祥子(仮名)と見合い結婚をした。祥子は、森川の粗暴的性格は知らなかった。
 2名の子供を授かったが、森川は昼から焼酎を飲み、妻へ殴るけるの暴行を振るい、鉈で祥子の腕に骨まで達する傷を負わせたこともあった。

 森川の暴力で、妻祥子は離婚を決意して、親族を立てて離婚話をすることになる。昭和37年のことである。
 話し合いの場には、森川がこなかったので、妻祥子と祥子の実母のAが帰ろうとしてバス停にいたときに森川と会った。妻の祥子が「別れて下さい。」というと、森川は切り出しナイフで祥子の脇腹と胸を刺した。
 実母Aが駆け寄ると、森川は実母Aにナイフで胸や腹を刺した。祥子は命を取り留めたが、実母Aは出血多量で死亡した。

 同年熊本地方裁判所は、森川に対し尊属殺人並びに殺人未遂で無期懲役刑を言い渡した。

仮出獄
 刑務所に服役して14年後の昭和51年に、森川は仮出獄となり、叔母夫婦が身元引受人となった。しかし、森川は、昼から焼酎をあおる生活を続け、それを叱る叔母夫婦と口論になり、森川は包丁を持って叔母夫婦を追いかけたりした。

 それにより、森川の仮出獄が取り消され刑務所に戻った。
 それから5年余り経た昭和59年に、森川(当時54歳)は再び仮出獄した。

逆恨みの復讐ノートを綴る
 仮出獄の森川の身元引受けたのは、福岡県の保護観察施設「湧水寮」であった。
 ここで、森川は逆恨みの復讐ノートを綴っていく。元妻の祥子、世話になったはずの叔母夫婦、「死刑にしてくれ。」といった祥子の叔母など、その数は30人以上に上った。

第2回目の殺人事件
 祥子の居場所が分からずに、森川が狙いを付けたのは、自分が殺した祥子の実母Aの弟の妻Bだった。

 昭和60年7月20日午前2時過ぎに、森川は妻Bの自宅に押し入った。森川は「祥子がどこにいるか?」と尋ねると、妻Bは「知らんもんは知らん。」というと、森川は妻Bを包丁でめった刺しした。
 同じ部屋にいた妻Bの養女(当時22歳)が寝ていて起き上がろうとしたら、「お前もグルだろう。」と言って、刺身包丁で刺した。
 刺し傷は、二人合わせて計76個所という多さであった。

 逃げるときに、現金40万円を奪って逃げた。
 7月22日に、逃亡先の福島県の荒尾競馬場で刑事に逮捕された。

 取り調べの検事に対して、森川は「反省する位なら、こんな事件は起こしません。それより、2人を殺したぐらいではまだまだ足りない。それが正直な気持ちです。」と言ったそうです。

 平成4年9月24日、最高裁判所第2小法廷は、森川に死刑判決を言い渡した。
 平成11年9月10日、死刑が執行された。
 森川69歳でした。

まとめとして

 ① 復讐の炎を燃やし続けた男の執念深さ
   第1回目の殺人事件を起こして、刑務所に服役し、服役中に自分 
  を死刑にしてくれと言った親族などに復讐の炎を燃やし続けた執念深い男
  であり、その執念には恐怖心を覚える。
   刑務所での、森川の唯一の望みは、出所後に親族に復讐すること  
  であった。

 ② 母娘殺人事件では、包丁で二人に計78個所もめった刺ししてい
  る。
   いかに恨みが深かったか思い知らされる。 更に、検事に対し「反省は
  していない、もっと殺したかった。」とのべている異常性格者である。

 ③ 仮出獄制度について
   懲役または禁錮刑に処せられたものが、刑執行中に改悛したと認 
  められる場合、刑期の終了前に一定の条件を付けて釈放すること、有期刑
  では刑期の3分の1、無期刑では10年経過後、地方更生保護委員会の決定で
  許可される。
 
  仮出所

   森川は、無期懲役刑だったが14年後に仮出獄が許可されている。
   刑務所では、復讐の炎を燃やし続けたのだがそれは隠して、真面
  目な受刑者として服役していたのだろう?

 ④ この事件は今でも鮮明に覚えている
   約30年前、私が熊本地方裁判所の刑事部に勤務しているときにこ
  の事件を知りました。そのときに、事件の凄まじさ、森川の異常な性格、
  執念深い復讐心に驚愕しました。
   さらに、殺害された母娘の悲惨さを目のあたりにして、背筋が寒くなっ
  た記憶があります。
   養女さん(当時22歳)は近所で評判の美人でした。森川とは何の関係も
  なく、恨まれる理由もないのにたまたままその場にいて巻き添えになりま
  した。
   森川は、自分の復讐のために、若い女性の人生を奪ったのです。

   なぜ一回目の殺人事件で死刑にならなかったのか?
   一般的には、2人以上を殺さないと死刑にならないのです。

  森川がなぜ仮出獄になったのか?
   刑務所では模範囚だったので、地方保護更生委員会も許可したの 
  だと思います。

   疑問に思うのは、仮出獄が取り消された後5年後に又仮出獄にな
  ったことです。
   これは、結果的には完全に間違った許可だったと思います。これが許可
  されなかったら、第2の母娘殺人事件は起こらなかったからです。
   行政上許可せざるを得なかったのか、そのあたりは分かりません。
  しかし、この事件を振り返ると許可の判断を厳しくすべきでした。

    仮出獄(仮出所)の受刑者が、再犯を犯す危険があっても認めら 
  れるのか?
   難しい問題です。


 





 








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