「私には、お金と時間とそして何でも遣りぬく健康な体がある。」と言う一説に出会いこれまで行動してきた。しかし、健康が伴わないと何もできない。今その健康が脅かされているのだ。
教師として定年まで走り続けてきた。60,5歳で定年。超超過勤務。過労死どころの勤務ではなかった。とても口に出して言えることではなく、それでもとても充実していた天職だと思って一日としてい辛いと思ったことはなかった。実に幸せな日々だった。定年後、○○センターや公民館や会館へ出向せず、定年退職1ケ月後、ロンドンへ半年間。これも海外実習だったので、過酷だった。朝5時起床午後10時ごろまで日本語授業。ロンドンの春夏は夜10時ごろまでは明るいのだ。その後、大学や教育委員会や国際交流団体に関わり数年。その後も教室設立や団体活動で数年。走りっぱなしであったように思う。
「もういいよ。そんなに動かなくては・・」と誰かが、いや、誰もが言っているではないか。自分だけが、いや、駄目。そんなことは・・・と反論しても、もう体が痛むのである。
健康生活というフォルダがある。定年後から月ごとに区切って記録してきた。10年来である。改めて、詳細な記録を執っていこうと思う。何処の施行者も「睡眠休養・水分・運動」と言っている。どれも駄目だった。時折反省し、駄目ではないが、50点くらいだろうか。半分反省がいつも付き纏っていたからー
日本語の授業開始に「お元気ですか。」と言ってスタートする。先生は?「実は、体調が悪いんです。」ということで、先週は、20分くらい病院・病気の症状についての会話となったので、「場面シラバスで病院」を扱うことにした。ちょうど、半年を迎えるお子様がよく病院へ出かけるようなので、機会を捉えての指導となろう。病院関係の用語は難しいので、平易な言葉に置き換えたりして取り組む。
午後は暖かくなるということであったが、出かける正午、雨也。