癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

■「被災地より政局」の小沢一郎の1年 岩手選出2議員に見る“政治家”と“政治屋”の分岐点

2012年03月20日 18時53分27秒 | 災  害


        

東日本大震災から1年が経過した。この間、筆者の故郷である岩手県など被災地に何度も足を運んできたが、うず高く積もったままの瓦礫の山や、土地利用計画すら固まっていない沿岸周辺地域の現状を見るにつけ、復興という言葉が上滑りしたものであると痛感させられる。

 様々な真実が見えた1年でもあった。日本が大規模な自然災害に直面するリスクを抱えた国であること、原子力発電が安全という神話の崩壊…。そして、戦後最大の危機対応を迫られた状況下にもかかわらず、この国の政治が「政局」を優先し、物事を決められない。そんな深刻な機能不全状態にある実態もあらわになった。

復興を阻んだ「政治の怠慢」

 復興が遅れている大きな要因が、政治の怠慢や対応のまずさだったことは間違いない。特に、識者や自治体関係者などが異口同音に指摘するのが、本格的な復興予算となる2011年度第3次補正予算の成立が昨年11月までずれ込んだこと。不毛な与野党対立と、菅直人前首相の退陣に伴う政治空白がその理由だ。 

 未曾有の危機的状況で、国民が政治に求めたのは、大胆かつ迅速なリーダーシップの発揮と国内外への明確なメッセージの発信だったはずだ。肝心要の首相官邸に危機対応能力が備わっていなかったのが最大の誤算だが、それでも、経験不足の民主党政権内で、国民の思いに少しでも応えようと、もがき続けた政治家は少なくない。

 その一方で、与野党問わず、政権の追い落としや自らの影響力の維持を最優先に行動する“政治屋”が跋扈したのも確かだ。その様に国民の多くはあきれ、失望したことだろう。政治不信が極まった1年と言ってもいい、惨憺たる状況だ。

 震災後、誰が政治家たらんともがき、誰が政治屋としての本性をさらけ出したのか。その典型例を、被災地、岩手県選出の2人の国会議員に見ることができる。前者が平野達男・復興相、後者が小沢一郎・民主党元代表。 【日経ビジネス】

確かに岩手県の選出議員である小沢氏は、地元であるにも関わらず一回も震災地に足を踏み入れた事がないと言う事で反感を買っている、一番震災対策に入らないければと思うのだが・・・


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