癒(IYASHI)

徒然なるままに令和時代のニュースなどの種を拾い癒し求めて綴ります      

◆民主党の党大会は長妻がカギに?・・・・大学入試と同じか?

2015年01月16日 21時08分28秒 | コラム

 

民主党代表選は18日の臨時党大会で投開票される。細野豪志元幹事長(43)と岡田克也代表代行(61)が競り合う展開で、国会議員による決選投票をにらみ、長妻昭元厚生労働相(54)の陣営の対応に党内の関心が集まっている。

 代表選では、細野、岡田両氏のいずれも、1回目の投票で過半数を取れない可能性が高い。このため、長妻氏を支持する国会議員の動向が焦点となっており、細野陣営と岡田陣営は水面下で長妻陣営への働きかけを強めている。

 長妻陣営の中心で動く大畠章宏前幹事長のグループと赤松広隆前衆院副議長のグループは16日、東京都内のホテルと国会内でそれぞれ会合を開き、決選投票になった場合の対応を協議。いずれも大畠、赤松両氏への一任を決めた。両グループともに、選挙後の発言権確保のため「自主投票ではなく、一致結束して投票先を決めるべきだ」との声が出た。

 一方、3候補は同日、東京・新宿での集会にそろって出席し、全国11カ所での地方遊説を終えた。

 長妻氏は党再生策について「過去のマニフェストはわかりやすさを優先したが、信頼回復に向け、実現可能な政策を提示する」と公約のあり方を見直す考えを表明。細野氏は「次の総選挙で政権奪還の目標を掲げたい。シンクタンクを復活させ、党改革や地方を重視する」と語った。岡田氏は「格差是正策を掲げ、改革の旗も掲げる。首相と先頭で議論し、『戦う民主党』になる」と支持を訴えた。【毎日】


◆海江田党首落選までしての安倍首相の目標とするところはなにか……

2015年01月15日 18時41分36秒 | コラム

バランサーの公明は「改憲」で外されるか

海江田氏は経済評論家から政治家に転身した人物で、高い知名度を誇る。一方、選挙区の東京1区ではライバルだった与謝野馨氏にたびたび敗れていて、必ずしも強固な地盤をもつわけではなかった。そこで、自民党は「人物ブランド」において、海江田氏と差別化できる候補を立てた。候補者に選ばれた山田美樹氏は、40歳の女性で、経済産業省から外資系コンサルティング会社を経て、ファッションブランド勤務という人物。80年代に野末陳平氏の秘書として「税金党」の結党に関わり、地元の商店主などに経済通のビジネスマンとして知られてきた海江田氏のお株を、完全に奪うキャラクターである。結果、海江田氏は落選。民主党代表を辞任することになった。海江田氏は特に安全保障政策において左派と目されていたため、今後、民主党の右派がまとまりやすくなり、自民党としては改憲でのアライアンスがつくりやすくなるはずだ。

自民党はこの手の「人物ブランド」の差別化戦略を意識していると思われる。たとえば東大法学部卒で公募出身の中堅幹部には、同じ東大法学部卒の公募候補をぶつけている。前者は転勤族で都内の私立高校を出ているが、後者は高校まで地元だ。「落下傘」対「地元」という構図がつくられた結果、民主党の中でも選挙が強かったこの中堅幹部も最近は比例復活が精一杯である。安倍政権が憲法改正を目指すのであれば、今後も、政党レベルではなく、議員レベルでマーケティング戦略を立ててくるのではないかと予想される。

一方、将来、民主党とのアライアンスを視野に入れると、現在のパートナーである公明党の動きが重要である。公明党は様々な政策において安倍政権に対するバランサーというポジションをとっている。今回、公明党は議席数を増やしたほか、自民党への選挙協力にも応じ、要党としての存在感を高めた。その点で公明党の交渉力は上がったといえるだろう。しかしここに「戦略のパラドックス」がある。実は、アライアンスパートナーとして強くなりすぎるとアライアンス瓦解のリスクも高まるのである。


◆最年少17歳 女性の教育を訴えノーベル賞・・・ノーベル賞には未だ早いのでは?

2014年10月11日 10時57分06秒 | コラム

                   

マララ・ユスフザイさんは1997年、パキスタン北西部のスワート地区で生まれました。

父親は地元でみずから運営する私立学校の校長を務め、マララさんは幼い頃からさまざまな本や教材に囲まれ、充実した教育環境の下で育ちました。

ところが、故郷のスワート地区では2008年からイスラム過激派組織「パキスタン・タリバン運動」が影響力を広げ、2009年初めにはスワート地区を事実上の支配下に置き、女性たちの教育を禁じました。

こうしたなか、当時まだ10代前半だったマララさんは匿名でネット上にブログを掲載し、女性が教育を受ける権利を世界に向けて訴えました。ブログでは、女性の教育を否定し学校の爆破や脅迫を繰り返すイスラム過激派におびえながら通学する同級生たちの様子が記され、話題を呼びました。

2009年5月に始まった政府による軍事作戦で、イスラム過激派が撤退すると、マララさんは実名で欧米メディアに紹介され、イスラム過激派に立ち向かった少女として大きく取り上げられるようになり、3年前にはパキスタンの国民平和賞を受けました。

その一方で、イスラム過激派に狙われるようになり、おととし10月、通学バスでの下校中、オートバイに乗った2人組の男に襲われ、頭に銃弾を受けました。犯行を認めたのは、かつてスワート地区を支配下に置き、女性の教育を否定した「パキスタン・タリバン運動」でした。


この事件についてパキスタン軍が情報機関などと共同で捜査を続けてきましたが、先月、「パキスタン・タリバン運動」に所属するグループのメンバー合わせて10人について銃撃を実行したなどとして身柄を拘束しました。

一方、けがから回復したマララさんは、女性と子どもの権利を守り、ひとしく教育の機会が与えられるよう世界で広く訴えていて、去年7月にはニューヨークの国連本部で世界各地から集まった500人の若者を前に演説を行い、「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペンで世界を変えることができる。教育こそが解決の道です」と呼びかけていました。

また、マララさんはことし、アフリカのナイジェリアでイスラム過激派ボコ・ハラムが200人以上の女子生徒を連れ去った事件について“Bring Back Our Girls”「女の子たちを取り戻せ」を合い言葉に女子生徒たちを一刻も早く救出するよう呼びかける活動に参加しました。

7月には17歳のみずからの誕生日に合わせてナイジェリアを訪れて、女子生徒の家族らと面会し、「ことしの私の誕生日の願いは女の子たちが解放されることです」などと述べて、事件の早期解決を訴えていました。(つづく抜粋)

 
誕生して17年、一番若い平和賞と報道されているが、 教育の必要性は訴えているがこれと言って心打つ平和に貢献実績とは思われない・・・・・体を張って世界のために貢献している隠れた存在者は他に一杯いるような気がする・・・・・
裕福な家に生まれ教育を受け教育を取り上げられてから、教育の重要性を吹聴して歩いたにすぎないようなきがするが・・・・・

この程度であれば日本からわざわざ骨を埋める覚悟で出かけ、教育を植え付けを実践している人達に全員平和賞を与えてもよいだろう・・・・どういう付与基準か知らないが余りにも貢献期間が短いすぎる・・・・・・・

産まれたばかりの赤子にミルクをやるようなもの、これから与える機会がいくらでも与える機会があったのではないだろうか・・・・
・しかし、授与する理由が有ったのだろう!  おめでとうと言いたい

◆錦織圭は最初から対戦相手のメンタル出来なかった!・・・・:決勝まで上り詰め疲れだけを感じたか?

2014年09月10日 18時13分38秒 | コラム

 
8月25日~9月8日の日程で、アメリカ・ニューヨークで開催された全米オープン(グランドスラム/ハード)も幕を下ろした。

(動画)錦織 圭 vs マリン・チリッチ 男子シングルス決勝 全米オープンテニス2014

 錦織圭(日清食品)には、さらなる歴史をつくるための「足」がもう残っていなかった。

 アジア出身の選手として初となるグランドスラムの優勝を狙っていた錦織だったが、その快進撃も月曜日の決勝でマリン・チリッチ(クロアチア)に3-6 3-6 3-6での敗退でストップした。

 錦織は24歳。トップ5シードの選手のうち、3人を倒しての決勝進出だった。錦織は第5シードのミロシュ・ラオニッチ(カナダ)、第3シードのスタン・バブリンカ(スイス)を二人合わせて8時間半の試合で破り、そして第1シードのノバク・ジョコビッチ(セルビア)を4セットの試合で破って、アジア人選手として初となるグランドスラムのベスト4進出を果たしていた。

「僕が誰にでも勝てるポテンシャルを持っているということは見せられたと思う」と彼は話している。

 だが、チリッチ戦ではさすがに疲れの色が見えた。

「この2週間はテニスをやりすぎた感じがする」と錦織。「もう1試合は戦えなかった」。

 そもそも、錦織はこの全米には出るかどうかわからないという状態でスタートしていた。第10シードの錦織だったが、右足親指の部分の手術の影響で、前哨戦もスキップしていた。

 決勝では完敗してしまったが、彼はグランドスラムのベスト4に初めて進み、そしてその試合にも勝って決勝に進んだ。

「この2週間では、たくさんのポジティブな面があった」と錦織は話す。

 その中のひとつは、日本のテニス人気を高められたということも含まれる。錦織の故郷の島根県松江市では、800人以上の人々が公会堂に集まって、彼らのヒーローの活躍をパブリック・ビューイングで見つめていた。

 大きなバナーには、錦織への応援メッセージの寄せ書きが書かれていて、「錦織選手に幸運を、松江の星」という字が踊っていた。

 決勝がスタートしたのは日本時間で火曜日の午前6時10分。ファンの中には試合を見るために仕事を休んだ人たちもいた。

 59歳の会社員ヤマウチ・ミチヤさんは「私の人生の中でも松江で起きた最大の出来事ですよ」と言う。

 第2セットの最後のゲームを錦織が落としたときのホールは静まり返っていた。また、錦織が第3セットでブレークされ、試合をリードされると人々は徐々に減って行き、それぞれの仕事に向かっていった。

「彼の決意の強さは本当に印象的です。その気持ちは忘れないし、日本でのテニス人気ももっと盛り上がると思います」と話しているのは大学生のマルヤマ・ノゾミさんだ。

 月曜日のアーサー・アッシュ・スタジアムには、ヤンキースの田中将大の姿もあった。

 錦織は過去3試合のように、ストロークでポイントをコントロールできず、第14シードのチリッチの強烈なサービスに押し込まれた。

「チリッチは前に入ってプレーしてきていたし、圭は少し受け身になっていた。だから試合に入っていけなかったんだ」と錦織のコーチのダンテ・ボッティーニは言う。

 だが、錦織はまた今回のような快進撃を繰り返せると、すでに前向きになっていた。次のチャンスのときには、今大会のようにたくさんのフルセットマッチを戦わないようにしたいと彼は話している。

 錦織は準優勝プレートを受け取りつつ、彼のファンに向けて話しかけていた。「ごめんなさい。今日はトロフィーはゲットできませんでした。でも、次には必ず取りたいと思います」。(C)AP (テニスデイリー/THE TENNIS DAILY)

Photo:Kei Nishikori, of Japan, left, greets Marin Cilic, of Croatia, after Cilic won the championship match of the 2014 U.S. Open tennis tournament, Monday, Sept. 8, 2014, in New York. (AP Photo/Darron Cummings



   試合頭初から相手に負けていた?


◆日本人小学生の放った言葉に中国人家族が絶句、「われわれの愛国教育は間違っていた!」―中国メディア

2014年01月14日 16時44分29秒 | コラム

  

2014年1月8日、中国のゆがんだ愛国主義教育が、純粋な子供の心をねじ曲げてしまったことを如実に示すエピソードを、中国人ユーザーが軍事関連ネット掲示板・米尓社区に投稿した。以下はその内容。

日本人男性と結婚した従姉が、夫と彼の親戚の男の子を連れて中国に里帰りした。男の子は俊夫という名の小学校1年生。見知らぬ国で言葉の通じない人々に囲まれて、とても緊張している様子だったが、一生懸命カタコトの中国語で私たちに挨拶し、深々とお辞儀をした。その姿がとても愛らしく、私たちはいっぺんで俊夫のことが大好きになった。

だが、その従姉の一番上の姉の子、小学3年生の鵬鵬(ポンポン)だけは違った。最初から敵意むき出しの顔で俊夫をにらみつけ、こぶしを振り上げると「打倒小日本(ちっぽけな日本をやっつけろ)!」と叫んだのだ。これには俊夫も周りの大人もビックリ。鵬鵬の父親が彼を叱ると、「だって、日本人は中国人の敵じゃないか!学校の先生もそう言ってたもん。パパたちは中国を愛してないんだ!」と言って泣き出した。そこで、「先生が言っているのは歴史だ。今は日本と仲良くしなきゃ。それに俊夫は私たちの大切なお客さんなんだから」と言い聞かせると、「じゃあ、パパやママはなぜ毎日、日本が中国の土地を奪ったから日本製品をボイコットするなんて言ってるんだよ?学校で見せられた教育アニメでも、日本帝国主義を打倒しろって言ってたよ!」と反論した。

幸いなことに、中国語の分からない俊夫に鵬鵬と父親の会話の中身を知られることはなかった。俊夫は本当にいい子で、自分でできることは自分で全部する。礼儀正しく、大人を敬い、食事の際は全員が箸をとり、従姉が日本語で「いただきます」と言ってから、自分の箸をとる。それに比べて、鵬鵬はどうだ。部屋は汚い。自分では何もしない。食事は当然のように自分が好きな料理を一人占めし、彼を溺愛する大人たちもわざわざ好物を取り分けてやる。

私たちは「鵬鵬が俊夫みたいだったらいいのに」と心から思ったものだ。そんな鵬鵬もだんだん俊夫に打ち解け、2人で遊ぶことも多くなった。お互いに日本語や中国を教え合っている姿を見て、「やっぱり、子供は子供同士だ」と安心した。

最後の晩、従姉とその夫は買い物に出かけていて、私たちはみんなでテレビを見ていた。そこへ鵬鵬が得意げな顔で俊夫を連れてきて「俊夫がみんなに言いたいことがあるって」と言った。俊夫は顔を赤くしながら恥ずかしそうにほほ笑んで、たどたどしい中国語でこう言った。

「僕は死んで当然の日本人です。僕は中国人に謝ります」

俊夫のこの言葉にその場の大人たちは全員凍りついた。鵬鵬の父親はすぐさま彼をトイレに引きずって行き、中から「パン!」と引っぱたく大きな音が聞こえた。真相はこうだ。鵬鵬は俊夫に「みんなが喜ぶ言葉がある」とだまして、あの言葉を覚えさせたのだ。

こんな小さな子供がここまで日本を憎むとは、あまりにもおかしい。鵬鵬の愛国観はすでにゆがんでしまっている。善良で純粋で友好的な日本の子供を前にして、中国の子供がどれほど恐ろしい敵意と憎しみを日本に抱いているかを私たちは思い知らされた。中国の愛国教育はもっと客観的で冷静であるべきではないのか。(翻訳・編集/本郷)



中国の教育は日本を悪く・悪くち生まれると同時に教育しているようなものだ、日本からの客に遊びながら日本の事を洗脳するという恐ろしい国だ、、、、
こんな事は悪いからしないように様にと教えるのが教育というものだろう、書くことも馬鹿らしい・・・・これが大国のか・・・