マララ・ユスフザイさんは1997年、パキスタン北西部のスワート地区で生まれました。
父親は地元でみずから運営する私立学校の校長を務め、マララさんは幼い頃からさまざまな本や教材に囲まれ、充実した教育環境の下で育ちました。
ところが、故郷のスワート地区では2008年からイスラム過激派組織「パキスタン・タリバン運動」が影響力を広げ、2009年初めにはスワート地区を事実上の支配下に置き、女性たちの教育を禁じました。
こうしたなか、当時まだ10代前半だったマララさんは匿名でネット上にブログを掲載し、女性が教育を受ける権利を世界に向けて訴えました。ブログでは、女性の教育を否定し学校の爆破や脅迫を繰り返すイスラム過激派におびえながら通学する同級生たちの様子が記され、話題を呼びました。
2009年5月に始まった政府による軍事作戦で、イスラム過激派が撤退すると、マララさんは実名で欧米メディアに紹介され、イスラム過激派に立ち向かった少女として大きく取り上げられるようになり、3年前にはパキスタンの国民平和賞を受けました。
その一方で、イスラム過激派に狙われるようになり、おととし10月、通学バスでの下校中、オートバイに乗った2人組の男に襲われ、頭に銃弾を受けました。犯行を認めたのは、かつてスワート地区を支配下に置き、女性の教育を否定した「パキスタン・タリバン運動」でした。
この事件についてパキスタン軍が情報機関などと共同で捜査を続けてきましたが、先月、「パキスタン・タリバン運動」に所属するグループのメンバー合わせて10人について銃撃を実行したなどとして身柄を拘束しました。
一方、けがから回復したマララさんは、女性と子どもの権利を守り、ひとしく教育の機会が与えられるよう世界で広く訴えていて、去年7月にはニューヨークの国連本部で世界各地から集まった500人の若者を前に演説を行い、「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペンで世界を変えることができる。教育こそが解決の道です」と呼びかけていました。
また、マララさんはことし、アフリカのナイジェリアでイスラム過激派ボコ・ハラムが200人以上の女子生徒を連れ去った事件について“Bring Back Our Girls”「女の子たちを取り戻せ」を合い言葉に女子生徒たちを一刻も早く救出するよう呼びかける活動に参加しました。
7月には17歳のみずからの誕生日に合わせてナイジェリアを訪れて、女子生徒の家族らと面会し、「ことしの私の誕生日の願いは女の子たちが解放されることです」などと述べて、事件の早期解決を訴えていました。(つづく抜粋)
誕生して17年、一番若い平和賞と報道されているが、 教育の必要性は訴えているがこれと言って心打つ平和に貢献実績とは思われない・・・・・体を張って世界のために貢献している隠れた存在者は他に一杯いるような気がする・・・・・
裕福な家に生まれ教育を受け教育を取り上げられてから、教育の重要性を吹聴して歩いたにすぎないようなきがするが・・・・・
この程度であれば日本からわざわざ骨を埋める覚悟で出かけ、教育を植え付けを実践している人達に全員平和賞を与えてもよいだろう・・・・どういう付与基準か知らないが余りにも貢献期間が短いすぎる・・・・・・・
産まれたばかりの赤子にミルクをやるようなもの、これから与える機会がいくらでも与える機会があったのではないだろうか・・・・
・しかし、授与する理由が有ったのだろう! おめでとうと言いたい