(1)
子どもの頃、田舎にはたくさんの鳥がいた。よくメジロが群れをなして、木々の間を飛び交っていた。くるくると白く縁取られた目をしてほんとにかわいい薄緑色の小鳥だと思った。石叩きと呼んだセキレイは畑などを滑るようにリズムカルに、休み休み飛んだ。地面に下りると長い尾羽を上下にゆっくり叩いた。たくさんのスズメが落ち穂を啄ばんでいた。ヒバリが空高く囀っていた、雲雀と書くように、春、高い高いところでいつまでも鳴きつづけた。おしゃべり鳥というはずだ。友だちとレンゲや菜の花などが咲く畑の中の巣を探し続けたが、見つけられなかった。ヒバリは利巧だから巣に戻ろうとする時も、そのまま巣のところに直接は戻らないと聞いていた。用心深く、巣から離れたところに一度降りて、そこからぴょんぴょんと警戒しながら巣に戻るのだと。地面に降りたヒバリを追うことは到底できなかった。巣を見つけることも無理であった。たまたま農家の人が仕事をしてて雛の入った巣を見つけること位であった。子どもの頃、ヒバリをもらい、飼ったこともある。スズメより大きくて、ちょっと鋭い感じの褐色の鳥だ。
畑などに仕掛けを作って鳥を捕まえたりもした。竹やゴムを使った仕掛けで、鳥はバネに挟まり死んでしまう。餌を取ろうとしたときストッパーが外れ、ゴムで引っ張られていた竹でバチンと鳥を一瞬にして挟む仕掛けなのだ。何羽か捕ったのは主にムクドリだったかなー。食べはしなかった。また、笊を細長い棒で支え、笊の下の米粒などを食べようとした時に捕まえる方法もあった。凧糸を長く引っ張って、鳥が笊の下に入った時をねらって一気に引いて捕ることもした。あまり成功することは少なかったが、ときたま成功した。東京でも、自分の子どもにも教えて、空き地でハトを捕ったこともあるが、かわいそうだしすぐ逃がさせたこともある。
子どもの頃は、まだ野鳥保護とかあまり言われないない時代だった。でも、やはりかわいそうだなーと思ったりしたことは度々ある。こんなことがあった。寒い季節だったと思う。まだ成鳥になりきっていないスズメの幼鳥をゴム銃を手に追いかけた。何羽かが杉の樹だったと思うが、そこに逃げた。下から様子を覗うと、二羽の幼鳥が目白押しではないが、押し合うように横に伸びた枝にじっと止まっていた。どこか震えているようにも思えた。チャンスとばかり、ゴム銃に小さな石の玉を挟み、真下から真上の二羽のスズメの真ん中をねらって打った。一羽狙うか、押し合ってる間を狙うか迷ったのだ。真ん中の方が当たる確率が高いと思ったに違いない。とにかく引っ張って打った。と、二羽のスズメが同時に目の前に落ちてきた。何か不思議な感じがした。二羽ともぐったりとしていた。二羽とも暖かった。でも、ほとんど死にそうであった。傷もなかった。後はあまり覚えていない。どこか悪い気持ちがしていた。寂しい気持ちもしていた。ずっと後から、一石二鳥という言葉を知った時、そのことを思い出した。本当だとよく思った。少年の頃の小鳥の思い出だかどこか寂しい感じで思い出すのだ。
(2)
田んぼのそばには、用水路があった。稲刈りも終わった後などは一面広々としているから草木が茂っている用水路はよくわかった。今のようにコンクリートでできているわけではなく、地面が大きく深く掘り返されて、どこかのんびりした感じの小川みたいなものだった。そこには、魚や貝、カニ、ヤゴ、カエル、ヘビ、ドジョウなど、時にはウナギさえいたものだ。夏などよくそこで網を使って虫捕りやフナなどの魚とりもした。友人が霞網を持っていた。これは目に見えないほど細い糸で編んだ網で小鳥を捕獲するのに使われていた。
友人は用水路の両側のちょっとした木々の茂みをみつけると、そこに降りて行って霞網を仕掛けた。両側の高い部分の木の枝に網の端を結んだ。網はやっと見分けられる位でまっすぐに張られていたが、風にひらひら揺れた。やさしい感じがした。そこの用水路を自分たちは離れ、どれ位歩くいただろうか。また、さっきの用水路の別の地点にぐるっと回って出た。そこでしばらく休み、いよいよ鳥を追い込むことにした。自分らは用水路の両側の土手のようなところを進んだ。オーオーとか声を出したり、パチパチと手を打ちながら鳥を追うように、普通の足どりで網の張られている方へ歩いた。用水路の中を見ると、野鳥がヒューヒューと軽やかに飛んでいるのが見えた。時々、木の茂みの中に入るようだ。でも、パチパチ鳴らす手の音に驚いたようで一、二羽は茂みから出て、また先へと飛んでいく。少しずつ歩きを速め、網の方へ急ぐ感じで進んだ。飛んでる小鳥はヒワだ。友人は網の方へ駆け始めた。自分も後を追った。網には三羽ばかりの野鳥がぶら下がっていた。薄いひらひらした霞のような網の穴に首を突っ込み、あまり動いていない。白っぽい羽毛の混じったスズメに似た小鳥だった。友人が網から外す時、小鳥は少し動いた。
他にもいろんな鳥捕りをしたのを思い出す。霞網もきっと大人たちから教わったに違いない。自分は以前にも書いたが、いろんなことを友だちがするのを見てほとんど学んだ。祖父が若い頃、鉄砲撃をやってたので猟の話を聞いたりしていた。ツルを捕って、そのあと怖く感じた話。結局、剥製にしたらしいが。キジ、ウズラ、カモ、ヒワ・・。それから猟犬、銃、料理の仕方等いろんなことを聞いた。聞きながらドキドキもした。江戸時代生まれの祖父の話はいつまでも忘れことはない。母も懐かしかったのか、その後もよく祖父の猟のことを詳しく私に話してくれた。
そして、今思う。随分生き物の命を奪ってきたんだと。食べるというのでなくて、ただそんなことを夢中にやってたまでなのだが。当時、生き物の生命の大切さなんてあまり考えもしなかった。 朝から晩まで外で遊んだ。生きてた。大人も子供も今みたいに、そんなに区別なんかなかった。大人も子どもみたいな心だったのかもしれない。話しは変わるが、懐かしくて今回、二度も見た映画「三丁目の夕日」 中での大人の振る舞いも当時に似てると思った。感情がそのままなんだ。純粋なんだ。喜怒哀楽が素直なんだ。ちょうど、途上国の人々の目が輝いているように。
でも、どこか小鳥や昆虫、魚といろんなものを捕り、それが死んでいくとかなしい気持ちになった。たくさん墓を作って埋めた。埋めて棒を立てて拝んだ。もう捕るのをやめようかともよく思った。少しずつ大きくなっていく中で遊びも変わっていった。上京して、しばらくして祖父が亡くなったことも知った。でも、帰ることなんてできもしない時代だった。
鳥追いというのではなく、霞網で鳥を捕った田園での遠い思い出や祖父の素晴らしい話はいつまでも忘れることはない。江戸、明治、大正、昭和とつづく中で、みんな笑って、泣いて、怒って、楽しんで生きていた。いろんな商売の人がいた。いろんな職業の人がいた。均質でなく個性的な人々であふれてた。でも折り合えた。怒られもした。助けてくれた。やさしかった。しっかりしろと言われた。心配するなと言われた。頑固だが、本当は今よりずっとやさしい魅力のある人々の多かった時代だったとつくづく思う。
去っていったたくさんの人の顔が今日もまた浮かぶのだ・・。