わたしの随筆  雪  地  風

心に浮かんだことを気ままに

新しい時代の兆候

2012年07月30日 | 随筆
 猛暑の日が続く。また、南には台風があるようで、ちょっと九州旅行が心配だ。昨日は、暑い中、原発再稼動に反対して、20万人近い人々が国会議事堂を包囲したようだ。こんなことは、60年安保以来のことらしい。声のあげ方などが、今、世の中では大きく変化し始めてきたのだろう。政、官、財への不信は深まるばかりだ。あれだけの事故と被害を引き起こしてさえ、まだ、様々な情報隠蔽がなされているようだし、それは、原子ムラを中心とする既得権益に、未だにこっそりすがり続ける利権者の体質と思惑の延長ではないのかと。TV、新聞、雑誌などのマスメディアもその片棒を都合よく担いでいる面も確かにあるようだし。みんな、ツィッターやフェイスブックなどで得る情報の方が、直接的で、ずっと信頼がおける時代がきたんだと思い始めたのだ。確かに、集会の現場に行くと、若者を中心に情報端末機を使って、盛んに情報を同時発信している。生の現場の情報がリアルに届くのだ。体制への不信感から、もう彼らには任せられないという気持ちが動き始めてきたんだろう。福島から、東京から、日本の各地から、世界から。



  最低賃金が低い地方で時給645円の現代。健康で、文化的な最低限度の生活保護水準より低い最低限の賃金だ。学歴も実力もありながら、一生懸命働いても、年収200万円以下のワーキングプアと呼ばれる労働者が一千万人を越えて、増えるばかりの状況だ。派遣労働は減ることもなく、非正規社員は増えていく。賃金未払い残業も、不当労働なども手伝い、生活設計もたてにくく、夢ももてない社会。身の回りに最新式の機器は増えたが、それと逆行するような過酷な労働。けっして、働く者が提供した時間と労力に見合う賃金ではない。でも、要求を出すと、いつでも辞めていいんだよとの回答だったり・・。さまざまな労働基準法違反も実態では多いに違いない。一方、野村証券などの、インサイダー取引疑惑。英国金融業界の不正騒動。以前から米国をはじめとする、デリバティブ(金融派生商品)不正問題は周知のことだった。とにかく、資本の利潤追求の裏で一番犠牲を強いられるのは、いつも労働者たちだろう。投機、投資、不動産・・巨万の富を貪り取る輩たち。その雲泥の差。その構造が、労働者のわずかな格差にも反映されての分断。中国のいつかあった、都合の悪い新幹線事故車輛の突然の埋め込み・もみ消し作業。それとあまり変わりもしない、原発事故現場の隠蔽と下請け作業員の被曝などの数々。まだまだ平等社会ではなさそうだ。




  時代はいつも、弱いところにしわ寄せがくる。使用者側は、末端は抗議しにくいはずだと高を括る。かっては、庶民も、少しは高度成長、好景気で生活も今より相対的には良かった。三流の政治家に任せていても、まあ大丈夫だった。でも、もう、現代では、そんなかっての、幾分は良かった時代の統治体制では通用しない。欺瞞、偽善がすぐさま、あぶりだされる時代になってきた。駄目な議員には期待しなくなった。それが、支持政党なし層増加の背景にあるんだろう。もう、がまんにはほどがあると、勤勉な人々も、声を上げ始めだした。生活のために、もっと幸せに生きるためにだ。闘い方もかっての、命を賭けるというやり方ではなく、それより、ゆるく、みんなで共に、もっと科学的に、よりよい社会形成はできないのかと、工夫し始めたのだ。老若男女、柔軟な知恵を出し合って。それは、一歩、以前より進んだ闘いだろう。それぞれ自分のできる範囲でいいし、直ぐに終わる闘いではないのだし。根本の有り様を正していく新しい流れだ。そして、もっと、もっと自分たちの力で日本の社会はよりよくできるはずなんだと。その過程で、より知見に富んだ、新しい時代の理想の政治家たちが生まれ出てくるのだろうか。あるいは、行く行くは、別の理想の形態の政治体制が生まれるのだろうか。



   日本も長い歴史の中で、一歩一歩、たくさんの犠牲を出しながらも、よりよい生活を目指して歩んできた。逆行もしたこともあろう。でも、以前より、もっとよくなろうとしてきたはずだ。これからは犠牲の少ない、闘い方もある。一歩、時代の先をいく、民主的な変革ができそうに思う。もう、不条理で、不当な犠牲はいらない。先史の時代じゃない。きっと、今より労働者の守られる時代がくる。来ないとおかしい。世界は日に日に、成長へと変化しているのだ。日本は成熟社会のはずだ・・。



  去っていった時代への追憶。時代が大きく変わる兆候の時、もうこれからは、少なくなっていくだろう、昔の貴重だった物事への懐かしさが浮かび上がる。一期一会だと思ったりする。新しい時代に戸惑う。でも、それも受け入れるだろう。新しい時代にずっと生きる人々たち。ただ、自分は、そんな過去の時代にも、当時の限界とまだまだ未知の領域がいろいろあったことは歴史認識として忘れないでいようという、謙虚で寛容な態度を持ちたいと思う。みんな、それぞれに、自分の信じる道に進めるのが、基本的人権の保障された社会と確信するのだから。五輪選手も、まずは、自分の目標達成のためにも、がんばってるはずだ。その、素晴らしい努力に対して拍手で応援したいものだ。暑い夏はいろんなところで続いている。






  


  

夏祭り

2012年07月29日 | 随筆
  エイヤサー、ソヤサー、エイヤサー、ソヤサー 、となりの街の神輿担ぎの掛け声だ。山車も出ての、暑い中での恒例の祭り。これに続いて八月の初旬には、七夕祭りにつながっていく。自分の住んでる、こちらの街でも、昨日から夏祭りが始まった。夕方、見に行ってみると一万人以上はいるだろうと思われる人混み。駅前から大通りは車進入禁止になっていて、たくさんの出店に人だかりができて元気いっぱいの声。近くの市や町からも来ている大勢の観客。


  歌謡曲、ポップ、ロックなどを、あちこちのコーナーに設けられた舞台で歌ったり、演奏したりしている。大通りを、町内会の民謡踊りの人や、囃子の山車などが次から次に通っ行く。車道も歩道も人でいっぱい。人いきれで、しばし酒場に入って、飲食して休憩。さっき、祭りのコーナーの一角でやっていた三鷹連の阿波踊りが、本部前で再度、踊ると放送していたので、見ることに。7時頃に、大通りを四十人位の、踊り手と鳴り物組の一団が賑やかにやってきた。粋な笠を被った着物姿の女踊り手と浴衣姿の男衆中心の男踊り手たち。後方には、太鼓や三味線、鉦、篠笛みたいなものを鳴らし続ける一団。そんな阿波踊りの連。



 本部前で、阿波踊りが始まった。上手な、赤い着物姿の子どもも何人か混じっている。黒い下駄を履き、若い女踊り手に負けずに上手に踊る。女踊りは腰をぴんと伸ばして、踵を上げて、右、左とぱっぱとつま先から機敏に足を進めていく。同時に、頭の上に上げた両手を左右にねじるように繰り出す。女若衆の着物は裾がオレンジ色で上の方は白色。オレンジの帯留に黒帯。白足袋に黒下駄。笠を被った、すらりとした粋な姿。男衆は緑帯の者や黒の帯の者たち。白っぽい浴衣にねじり鉢巻き姿。鼻の先に手ぬぐいを引っかけて踊る者もいる。膝をぐっと広げて曲げ、腰を地面に着く位に落としてる。きついスタイルだ。両手を広げるように上げたり、右手を上げると、左手を下げたりと、蛸のような、柔軟な感じ。それでいて、一気に、ぱっと、回転みたいに、とび跳ねたりする。器用で、若くないとできないような軽業だ。自由自在の感じだ。汗をいっぱいかいて、激しく踊る。男踊り、女踊り、どちらにも感動。鳴り物もエネルギッシュで最高。さすが、阿波踊りは日本三大踊り(郡上、花笠、阿波)の一つだ。



 昨年は、駅東口のコーナーの一角で歌っていた、若い二人組の歌い手。あれから、次第に名が出始めて、時たま、テレビに出ることもあるらしい彼ら。今年は、駅西口のコーナーの舞台で歌っていて、盛んな拍手をもらい、「明日は、本部前の舞台で歌うのでよろしく」と叫んでいた。今日も夕方、また行くことにしよう。すぐ近くだし、浅草や学生のサンバの踊りや、フラメンコ舞踊やロックバンドや歌謡やなんだかんだの催しがあり、わいわいと騒がしく夏の夜が暮れていくのもいい。少しは、涼しくなってくれれば、納涼夏祭りなんだが。でも、毎年のように、土砂降りの夕立ちの中を、キャーキャー叫んで、雨宿りするのも大変だが。



 東京の人も、やはり祭り好きだ。神田明神祭だ、三社祭りだ、桜祭りだ、秋祭りだ・・。ねぶた祭りをはじめとする東北の祭りの数々。京都の祇園祭り。賀茂祭・・。寒い冬から暑い夏へ。一度に陽気に騒ぐ夏祭り。やぐらに集う盆踊りもその一つ。大きいものから小さいものまで、さまざまな日本の祭り。

 
  喧嘩だ、喧嘩だ。火事だ、火事だ。宵越しの銭はもたねーじゃないが、どこか、そんな昔ながらの、歯切れよさと、気風よさが東京の人の血にまだ、少し残っているんだろうと、人混みの中で見ている。任侠と東男の気質もあるのかな。こんな浮世の祭りも、こういう時代にこそ、いい催しなんだろうと思いながら・・。



 寅さんの、「 負けてたまるか 」の、小気味よい 啖呵が夏の夜にちょっとだけ聞こえた気がした。





  

子どもの夏休みとは

2012年07月25日 | 随筆
 この数日、暑い日が続き、夏本番となってきたようだ。学校も夏休みには入ったようだが、近くの小学校は朝から普段と変わらず、子どもたちが、毎日、授業に通っているようで、かわいそうにも思うことがある。ゆとり教育からの反省で、勉強、勉強と変わってきたのだろう。高学年の子は夕方、重そうなランドセルをしょって下校している昨今だ。学期も前期、後期と二期制に変わったようで、夏休み直前でも期末と呼ばないのだろう。ずっと三学期制でやってきた自分には、そのへんの変わりようが実感できない。しかも、公立での小・中一貫教育となるともっとわからない・・。



  子どもの成長には、季節の変化を考慮した環境が大切だろう。人は春夏秋冬の中で生きていく。また、直に自然環境に接して生きていくことも重要だろう。でも、最近は、そんな環境も失われて、身の回りは溢れかえる、人工的な視聴覚情報ばかりだ。自分は以前から写真が好きなので、時々、大きな電気器具販売店に行くことがある。各階を回ると、時代の進歩、発展に驚く。ゲームコーナーなんか、もう別世界のように感じてしまう。煩さすぎるので、逃げるように別の階へ。いろんなカメラももう、最近は、ドキドキ感をもってみることもなくなった。どうせ、最新式のミラーレスカメラだとか、新開発の何だかんだと思ってしまうのだ。そして、あまり夢もないカメラのようで。失礼。いわゆる最新式で、高画質で、デジタルで、多機能で・・もう素晴らし過ぎるカメラなんだろが。でも、自分はあまり、使いたいとは思わない、高すぎる家電製品だ。



 子どもも、そんな、情報時代に生きている。ケイタイ、パソコン、DVD、デジタルゲーム機器・・。それを、自在に操作していく。子どもたちは、成長時期だから、すぐにマスターしていく。そう、鉄は熱いうちに打たねばならない。いつの時代にも、その時代の烙印を押されもするのだろう。銃を持たされた少年兵の時代もあった。でもなー・・。便利だが、よくわからない時代のように今を思う。本当に、今の子どもたちは、昔の子どもより幸せなんだろうか?


  アナログだけの昔の時代。その時代であっても、ランプが灯り、また電気が普及していく中で、生活も以前より、よくなって幸せ感でいっぱいの家庭もあっただろう。夜も明るくて、ラジオが聞け、水道の水が使えて、トイレも厠(川の近く)でなく、家の中にあって。そして、洗濯機、炊飯器、冷蔵庫・・日々、便利になっていった。明日へ希望をもった。そして、現代は?


 よくわからいのだが、どこかで立ち切れて、生活感が違う感じがする。足がしっかり地面についていないような。必要からというより、売らんが為の市場での競争。それが、政治、経済、文化あらゆる面に出てきて、広がり、混乱しているように思う。それは、教育にもあてはまりそうだ。だから、ちょっと、振り返って、この道はどこへ続いていくのだろうかと、この歳で、考えてみたりする始末なんだ。それが、現代にあっては、無益な取越し苦労なことでもかまわない。現代に巧く生きれなくてもいい。昔は昔で、それでも、それなりに生きてこれたのだし。時代に振り回されたりはしたくない。時代遅れを、笑わば笑えだ。でも、けっこう、ちゃっかりと現代の利便性は使わしてもらうのだが。そうでもしなきゃ、あまり面白い時代ではないようだし。しかも、国家なんて、怪しいもので、いきなり牙をむいたりしかねない。庶民の味方とは、到底、今でも思えそうにない。上手に距離を置いておく方が賢明だ。


   現代は、アンチエイジング、多重人格、均質化、幼返り、かわいさ志向、遅くなった自立、うつ病激増、少子化、高齢化、グローバル化、晩婚化、離職増、就職難、学生の知識・教養・体力不足、政治不信、混沌の経済・・・。最近、新聞、書籍などで目にした気になる用語の一部だ。


 
  いつも、勉強や仕事や家事・育児で多忙な人々。昔から、そうかもしれないが、これだけ技術も進んできたので、ここいらで、ちょっと一休みして、そして、また、未来へ、人間らしく生きていけたらいいように思う。でも、なかなか、そういかないのだろう・・。急げ!急げ!働け!働け!休むな!進歩!効率!発展!・・・。どこからか、また、いつか来た道に逆戻りして、威勢よく、国威発揚のカラ元気で、道を<想定外>に踏み外したりして。尖閣、普天間、オスプレイ、再稼動、維新の会・・などとかまびすしい時代になってきたようだ。危ない、危ない・・。



 今日も、朝はいい天気で始まり、昼には猛暑になり、夕には、遠雷が聞こえるという文月の下旬の一日である。あらためて、破滅へ危機一髪みたいな原発事故を思う。謙虚な気持ちになって、ちょっとばかり不便でも、未来が、また希望と夢で生き生きと溢れるといい。子どもが楽しいと思える夏休みであってほしいものだ。もちろん、大人たちも、ちょっとだけでも、そうなれたら尚更いいのだが・・。暑さにめげずにやっていこう。



 

赤い ソテツの・・

2012年07月22日 | 随筆
 大暑というのに涼しい日だ。でも、数日前の猛暑を考えると、このような天気の方が過ごしやすくて楽である。ちょっと、夏らしい感じではないのだが。年をとってくると、余り暑いと、きついところがある。寒い方がまだこらえられるようにも思う。若い時は暑くても、それほど気にならなかったが、最近は、ちょっと用心するようになってきた。冬、よく東北などに旅行することが多く、少々の寒さには、慣れてきたのかなと思う。きっと東北の人は、猛暑の夏には閉口するのだろう。


 でも、夏は、やはり夏らしい暑さの方がいい。寒い夏に、おろおろと歩いていたら寂しい感じだ。それより気分を変えよう。夏には九州へ行くんだし。
    ♪  赤いソテツの   実も熟れる頃     加那も年頃   加那も年頃    大島育ち
      黒潮(くるしゅ)黒髪  女身愛(うなぐみかな)しゃ  想い真胸に  想い真胸に  織る島紬
      朝はにし風   夜は南風  ・・・・

  この<島育ち>を田端義夫が歌う。いい歌だと聞く度に思う。聞いていると、暖かい情景が浮かんでくるようだ。大島だけでなく、海があればどこでもいい。ただ、暖かい海だ。厳寒の海は<石狩挽歌>のようなニシンの色だが、この歌は、青い海だ。青色に蘇鉄の赤い実。そして、あの大島紬の織り模様が控え目でまたよく合う。のんびりとした気持ちになり、ゆらゆらとした木漏れ日の中で、うたた寝しそうだ。そんな気持ちになれる昔から奄美大島で愛唱されていた歌で、その歌謡曲なんだろう。夏にぴったりの歌だ。


 夏は花火大会もいい。大会という言葉も面白い。よく、子どもの頃、川原の方へ家族で花火大会を見に行った。人混みの中で、父たちを見失わないように気をつけながら、真上近くに、シュルシュルと上がって行く夜空の花火を見上げた。パーッと光る花火と同時にドーンと腹に響くような大きな音をたて、パチパチパチという音と共に、燃えかすがちょっと見え、あの火薬の臭いがしてた・・。ワーという歓声。大人になっても、そんな花火大会に子どもを連れて行って見たり、また、遠く長岡の花火を見に行ったりと。そこでは、金さん、銀さんなんていう大きな尺玉花火なんかあったりして・・。そんな大きな花火の上がる夏の夜。また、線香花火もいい。パッパッと小さく光る火花。浴衣と花火。そして縁台に団扇。夏の風物だ。


 花火。迎え火。お盆。兄が団子をこねて、丸めて、母が茹でて、あんこと一緒にみんなで頂いて・・。そーめんをつるつる。そして、送り火。16日の早朝に精霊流し。いろんな供え物がろうそくの火を灯しながら、朝焼けの海を目指して流れて行く。


 夏。すいか。おば鯨、冷や汁。蚊帳。井戸。蝉・・。いろんなことが思い出される。やはり、夏は特に南国がいいな。ランニングシャツの子ども。短パン姿にセミ取り網。ミンミンミン。ワシワシワシと蝉が鳴く。



 カナカナカナ、 ツクツクボーシ ツクツクボーシと鳴きは始める前に、暑い夏を迎えるのがいい。元気を出して、暑い夏よ来いと言おう。そんな暑い夏であればと思う。




 * 歌手、三沢あけみの <島のブルース>も、とてもいい曲で、口笛が入ってて、聞いてると楽しくなってくる。




海の日に

2012年07月16日 | 随筆
 ワシワシワシワシと隣の公園の林からクマゼミの賑やかな鳴き声が始まった。まだ朝の八時前だというのに。この二、三日、接近した台風のため延期になり、待ちに待ってた子どもたちは、青島の海水浴が待ち遠しくてたまらないのだ。今日は、電車で行くことになった。

  母の作ってくれた弁当は、いつも旨くて、白ゴマのついたおにぎり、砂糖醤油煮のニンジン・小ネギ入り牛肉、玉子焼き、梅干し、昆布などだ。浮輪、水中メガネ、バスタオルなんかを、それぞれビニールバッグに詰め、ビーチサンダルを履いて、いそいそと出発だ。駅には三輛位のローカル電車が停まってる。向き合った四人掛けの紺色の椅子に適当に座る。電車は大きな川を渡り、そのうち田んぼの中を走りだした。早場米の刈り取り中の田んぼもいくつかある。その向うに、松林が見え、ちらちらと青い海がのぞく。白い波がたっているようだ。台風の後なので、ちょっと波も高い気がする。


 高床の海の家に荷物をおいて、着替えだ。子どもたちは、もうとっくに家を出る前から服の下に水着をつけている。じゃ、軽く体操をして入るとしよう。もー、朝から海辺は海水浴客で混んでいる。薄緑色の見張り台には<太陽とあそぼう>と大きく書いてある。その上のスピーカーから、ハワイアンの曲が流れている。沖の方を眺めると、随分大きな波が立ってるようだ。体操もすんだし、さー、海に入ろう。みんな、ぴちゃぴちゃと水しぶきを上げて駆けていく。青空には大きな入道雲が上がっている。ザブーン、ザー、ザブーンと打ち寄せる波の音。みんな、日に焼けた顔。にこにこ顔。近くで、普段着姿のおばあさんが濡れないように裾を上げて、小さな子の手をとってにこにこ顔。歓声と波の音と流れる音楽が混じった海水浴場。砂浜も、ビーチバレーボールに興じる若者や甲羅干しの人々でいっぱいだ。潮の香りがする。右手に青島が見える。                                                                                                                                                                                                             
  おおよそこんな感じの、三十年位前の海の思い出だ。今日は、海の日だ。近くの市営プールもこの数日、多くの客で賑わっている。三時頃には、気温が35度との予報も出ていて、本当に暑い日だ。でも、まー寒い感じより暑い方が海の日には似合ってる。窓から見える空は青く、白い雲がほんわか停まってるようにも見える。いよいよ夏だ。天気もいろいろ変化もするだろうが、暑いのが夏だ。今年は九州宮崎の青島と伊豆の白浜でも見に行こうかと考えている。どんな風になってるんだろうとちょっと楽しみだ。今の時代も海水浴風景は変わらないんだろう。それでいい。海辺のハマヒルガオ、はまゆう、カンナ、キョウチクトウの花もいい。ビロウやフェニックスがあれば、もっと贅沢な趣だ。



 子どもたちが、いじめの世界なんかに決して入らず、元気に、のびのびと生きれる時代であって欲しいと思う。子どもの心に、いじけすぎないで、ゆったりと、自由で海のような何かが残れたら本当にいい。日本中、いや世界中の子どもたちに。そんな大切な海の日を願って・・。




反原発集会に参加して

2012年07月13日 | 随筆
 今夜、議事堂前の原発再稼働反対の集会に参加した。老若男女の人々でいっぱいだった。議事堂前で訴えたことは。

 大飯を止めろ!今すぐ止めろ!福島返せ!田んぼを返せ!魚を返せ!大地を返せ!原発いらない!子供を守れ!ドジョウはやめろ!今すぐ辞めろ!ドジョウよ出てこい!自然を返せ!などだった。

  福島の被災者たちも怒ってた。疲れたが、参加して、気が少し晴れた。やはり、原発は止めるべきだとつくづく思う。本当に高くつく代物だ。

  事故の悲惨さも、喉元過ぎたら、また忘れるみたいじゃ、罰あたりだぞー。

                                  (ケイタイから)

情報過多の時代に

2012年07月13日 | 随筆
 九州の熊本、大分などに梅雨前線での大雨が降り、大きな被害が出てるようで心配である。梅雨の末期に局地的豪雨が襲ったようだ。被災された人々も本当に大変だろうと思う。


 よく、子どもの頃、台風の情報をラジオで聞いた。夜の台風接近を一番不安に感じた。家族そろって真空管ラジオからのアナウンサーの言葉に耳をすました。今よりもっと雨も暴風も強くなるのだろうかと子ども心に心配だった。家の外は、電線がうなり、雨が激しく打ちつけている。寝ていても、ドキドキとする不安な気持ちと、ちょっとスリリングな気持ちとかがないまぜになってるようだった。



 ラジオからテレビに変わっていく時代だった。耳だけで情報を得ていたのが、目でも情報をとるとなると、体がテレビに釘付けになった。メディア側は<聞いて、見ているはずだ>という視聴者を想定しての報道だったし。だから、当時、テレビばっかり見ていると、目も悪くなり、しっかり聞けない人間になって、馬鹿になるようなことを言う人もいたものだ。ちょっと当たっていたのかも。でも、今のインターネット社会じゃないが、テレビが普及したために、より多くの情報を当時、得れるようになったということは間違いないだろう。ただ、今も、必要ない情報までもが、ごちゃごちゃと一方的に流される短所もあるだろう。それゆえ、一層、様々な情報網の中から、正しい選択をしていく必要性がでてきたようだ。



 情報過多。真実と虚偽の混ぜっ返し。大切な情報を得れなかったことによる失敗。利益誘導への情報操作。情報社会での、新たな、いろんな問題が山積みの昨今だろう。情報隠蔽。後だし情報などと様々だ・・。今も原発関係での情報は不明な点が多い。日米軍事機密に至っては、民主党政権誕生の頃は、ちょっと明らかになりそうだったが、もう今では、それもお蔵入りの状態だろう。マスコミも怪しい情報を流す時も随分ありそうだ。逆に、ミニコミの方が、個人の責任感に支えられた、信頼できる情報であることが多いものだ。つまり、原子力村じゃないが、それに似た、マスメディア村と言ってよさそうな面があるに違いない。これは明らかに、視聴者操作みたいなトリックまがいの報道だと思うことも多い。メディアの横暴とも言えそうなこともいっぱいなので、手放しで即信用するのではなく、十分情報把握には、注意する必要がある時代だ。また一方、当事者の、損得によらない勇気ある、きちんとした情報公開も大切になってくるだろう。


 
   また昨今、いろいろなことへのクレームみたいなものがやたらと多くなったように思う。文句を言ってのなんぼみたいな社会になってきたんだと思うことさえある。少ない情報で、まだよく把握できないてないのに、勘でやっつけるみたいなのは無責任で困る。後で間違っていても、すーっとこっそり消える。そして、挙句、間違われるようなことをしたのが悪いと開きな直って責任転嫁したりする・・。これも、拙速で、しかも情報不足と情報認識能力欠如のためだったりする。そんな、せぬがましの反応では回りも迷惑だ。随分、そんなメディアの横暴などによって犠牲になった人たちが、たくさん泣き寝入りしていることだろう。訴えても、時間も資金も労力もかかるし。ちょうど、突然の痴漢の濡れ衣を着せられた人がいるように。


  日に日に、複雑になってきた超情報現代社会。多様な情報が消化不良のまま、受けとめられて、勝手にひとり歩きもする。噂が噂を呼び、真実と偽りがとんちんかんになったりもする。一度、ついたレッテルが、個人から離れてしまう。刹那主義ではないが、昨日のフィーバーが明日は、天国から地獄の無視へと・・。そんな、怖い時代でもるようだ。こんな情報過多と混乱の時代の中で、ちょっと、情報社会と距離を置き、過去を振り返り、懐かしさの中で、随筆でもなさそうなことをつれづれに書いている。やはり、自分には、少年の頃の、自由な時代を書いてる時が一番幸せだ。今度、故郷の夏の海の思い出でも書こう。また、ベンチャーズや加山雄三やグループ・サウンズや美空ひばりの「真っ赤な太陽」などの歌や曲が、海水浴場に鳴り響いていた時代を、<太陽とあそぼう>というキャッチフレーズに合わせて、楽しく思い出しながら・・。



  白鳥は 悲しからずや  空の青  海の青にも 染まず漂う    


  幾山河  越え去りゆかば  淋しさの  果てなん国ぞ  今日も旅ゆく  ( 牧水 )
  

 












子どもの頃の海水浴

2012年07月09日 | 随筆
  梅雨も明けそうな感じのいい天気で気持ち良い。六月を水無月とも呼んで、梅雨時期なのに変だなーと思ってたら、こんな記事が先日載ってて、納得。つまり、旧暦の水無月六月は新暦では、ほぼ七月に当たり、この時期は炎暑で、よく水が涸れて無くなりやすいので水無月と呼ぶようになったという説。だから、これからが、水不足にもなりやすい時期と考えてもよさそうだ。度を過ぎたた節水で熱中症になっては元も子もないが、水も大切にしたい。

 
 今年の夏は暑くなるようなことを予報でも言ってた。節電で大変な面もあるが、能率よい生活ペースは崩さない程度の節電も大切だろう。まー、過ぎたるは及ばざるが如しではないが、ほどほどのやり方で、無理し過ぎず、上手な節電で、健康にも十分気をつけて、暑い夏を過ごしたい。


  大切な水と思って、子どもの頃のプールを振り返った。今のこの時期、中学なども期末試験のようで、テスト後、早い下校をしてるようだ。彼らも、夏休みなどの水泳を楽しみにしてるのだろうか?いや、いろいろあって忙しく、そうでもないのだろうか。よく分からない。自分が小学生の頃の水泳を思い返してみた。七月になってからだっただろうか、学校から貸し切りバスに乗って海へ出かけた。三日位連続で先生に引率されて、学校から毎日バスに揺られて出かけた。学校一斉だったか、いくつかに分かれて行ったか、行くのが嬉しかったのであまり、そのへんは思い出せない。とにかく、毎日連続で四十分ばかりかけて、よく青島の海水浴場に学校からみんなと泳ぎに行ったものだ。


  砂浜の上で、先生の号令に合わせて、オイチニー オイチニー と体操をした。そして、海におそる、おそる入り、そのうち、キャー  キャーとみんな大騒ぎ。楽しかったー。バスに揺られて帰る頃には、連日の泳ぎで、眠気もでてきてたのかなー。青い青い 海だった。ザブーンと波頭が泡をたてて崩れる。しょっぱい塩水が鼻や口にはいった。ちっちゃな水着がゆらゆらと水の中で揺れた。先生の黒い水泳帽が眩しく見えた。何本も白い線が入っていたから・・。先生は泳ぎが上手だなーと思った。ピチャピチャと海辺を歩いて、また整理体操をした・・。




  当時は、しばらくは、学校にプールはなかった。だから、近くの大学のプールを借りて、泳いだりした。とても深くて、必死でプールサイドからサイドへと泳いだものだ。水中での石拾いは殆んど取れなかった。深く沈めなかった。痩せすぎていたし、体力不足だ。当時の水着も今考えると愉快だった。まー、普通の水着みたいなのが多かったが、大人で、時々、白ふんどしとか、赤ふんどしをつけてる人もみた。縞の、チャップリンの着てるような水着もたまに見た。それは、肩までかける水着で男も女も着ていた。また、小さな、黒猫と呼ばれた水着?で泳ぐ大胆な大人も子どももいっぱいいた。今で言う、Tバックみたいなもんかな。とにかく、あまり物もない時代だから、自由で、あっけらかんとして爽やかなんだ。おおらかな時代だった。


  家の近くの広場にある、半円型のコンクリート造りの池でよく泳いだ。ひざ小僧位までの浅さなので安心して、泳いだり、遊んだりした。底で腹が擦れたりした。でも、日暮れまで、いっぱい遊んだ。さるまたの子も裸の子もシャツ一枚の子もいた。キャッキャ キャッキャと水しぶきを上げて・・。


  暑い季節になると、小さな頃の楽しかった水遊びや臨海学校(日帰り海水浴)を思い出すことがある。家でも、父が夏休みに、時たま、家族を青島海水浴場に連れて行ってくれた。松林にゴザを敷き、おにぎりなどを置いてから、父たちと泳いだりした。ちょっと教わったりもした。父の腕に支えられて、バタ足練習をしながら海水も飲んだ・・。立派な体つきの父が、松の木陰で笑っているセピア色になりそうな小さな写真が今でも目に浮かぶ。あの写真は、どこに行ったのだろう・・。過ぎ去った、遠い遠い思い出だ。




 今年の夏は、その海を見ようと思う。小さい頃からの、たくさんの思い出の詰まった海なんだから。




七夕の日に思う

2012年07月07日 | 随筆
 今日は七夕だ。今年もまた、笹竹に短冊なんかを飾ったなー。ずーっと、自分の年中行事の一つになってる。アカシアの雨ではなく、アジサイの雨がやむ頃には、青空が見え始め、いよいよ暑い夏がやってくるぞ。何日かしたら、もう梅雨も明けるにちがいない。それまで、空気の重たい感じもするが、このしっとりした水の季節を、どうにか楽しんでいよう。きっと、ギラギラと暑い夏には涼しさが恋しくなるに違いないのだから。


 歳のせいもあるのだろうが、どうも最近の世相に好感がもてない。民主党のドタバタも困ったものだし、また大阪、東京などの自治体首長による、国への度を過ぎた干渉も厭なもんだ。地方への権限移譲等のもくろみなどから、盛んに政策を打ち出すんだろうが、納得できない。尖閣なんかにしろ、国会議員になってから言えよと思ったりもする。都が買うなどと。また消費税の地方税化などと勝手気ままに・・。マスコミもマスコミで無責任に、後押ししてる感じもあったりして、メチャクチャ・・。首長たちを支えるブレーンもブレーンだ。やはり、そういうやり方じゃ、支持する気にもなれないなー。


  どこで、時代がここまで変になってきたのだろう。今も、民主主義でもなさそうだ。怒られるかも知れないが、愚民主義?文学でも、やはり昔の文人達の作品の方が好きだ。最近のは、あまり読まないが、読んでも、その場限りで、ふーんで、直ぐ忘れてしまう。写真、絵画、歌、演劇、映画・・いろんな文化的なものでも、今一つ、主張するものがわからないのだ。主張でもないのか。それなりの、現代性とか、機知、軽妙さ、日常性、奇抜さ、雰囲気、技術なんかが展開されているようなのだが、それを何度も味わいたいとは思わないのだ。昔のものでも、深く、感動をもたらすものは、やはり、時代の波をも乗り越え、耐えぬく力強さ、純粋さなどが、そこにあるんだろうか。善し悪しは別として、その作品には、生命を賭けたもののように感じることが多い。とことん、追求して止まない玄人のようで。憧れもしてしまうなー。爪の垢を煎じてみたいというのだろうか。偉大なり!立派!



  現代人はこんな多様な時代を生きるために、多重人格じゃなかった、多様な能力が必要になるんだろうか。いろんなことを器用にやってのける資質というか・・。タレントで政治家。歌手やプロレスラーや医者や弁護士やモデルやなんでもいいんだけれど、それで、あたりのよい、見たくれの政治家・・。政治家に限らず、いろんな職業が、兼業みたいになってて、この人は、いったいどんな職業の人なんだろうか?と思ったりすることが多い。それなりの情報が、一応、簡単に入る時代になったので、<何々もどき>みたいに、簡単にその職業になったり、なりすました感じなのだ。でもなー、なんてその言動を疑問に思ったり。そうなると、どうでもいいから、適当に流したりして対応するしかない時代のようだ。短絡的で、ペテンも多い、困った時代だー。政治家もプロというか、もうちょっと専門家か職人肌の人物がたくさんいる方がいいのになー。でも、こんな時代だからこそ、随分無責任なところもあるだろうが、一人一人が、勝手に、ばんばん意見を出した方がいいというのだろうか?でも、正直、自分はそうなってきた現代の政治環境がそんなにいいとは決して思わない。昨今、いろんな生活の面でも、昔より便利にはなってきたのだろうが、だからといって、本当に庶民は幸せになってきたとは到底思えないのだ。映画なんか、見ていたら、ずっと、昔の方が、生き生きと人間的に生きているように思えて仕方ない・・。現代は、ツイッターとかでつぶやけるからといってもなー・・。プライバシー尊重といいつつ、街には監視カメラが氾濫する矛盾だらけの超管理社会。差別社会で、不自由で、変な、斑状の安全社会という現代なのだ。真実を突くと、かえって反撃されたりもする。それより和が一番と・・。


 人生も時代も、二度あればー♪ なんて思うことも、ちょっとあったりして。でも、人生がもし、二度あったりしても、そう変わらないのかなーと思ったりする。こんな職業に就きたい、こんな生き方をしてみたい・・なんて思っても、やはり、当の人間が変わらない限り、そう変わらないのではと思う。夢がないから、そう思うのかなー。言いたいことは、つまり、同じ性格や能力や好みでは、生きることでは、それほど、変わらないのではないかということ。あとは、人それぞれだし。難しい、そのへんのことは置いといて、とにかく、回りの事態、物事へ、自分に正直に関わって生きていくしかない。人と比較しても始まらないものだ。みじめであろうと、勇気を出して、一度しかない人生を、胸を張って、堂々と自分で生きるしかない。



 上野動物園でパンダの赤ちゃんが誕生した。嬉しく思った。正直な子どもたちの喜ぶ姿が浮かぶ。いいニュースは気持ちを晴れ晴れとさせる。子どもは、そんな気持ちで いっぱいになることも大切だ。あんな、楽しい、愉快な<時代>だったと思える時代であって欲しい。いじめや非難や諦めや逃避や拒否なんかで一杯の、いじけた世界では、輝く若さは萎れるばかりだから。さー、七夕様に願いをかけよう。元気を出して生きよう。


                                                                                        
  昨日は巣立ったはずの、ヒヨドリらしい鳥が、椿の樹にとまって盛んに囀り、そのあとしばらくして、また、遠くの樹から同じような囀りが聞こえていた。そして、囀ることもない、しとしとと雨の降る、ひんやりした七夕の日の夕に、さまざまに思うのだが・・。












誇りに思える故郷とは

2012年07月01日 | 随筆
  わが心 なぐさめかねつ  更科や   おばすて山に 照る月を見て  ( 読人知らず )

  また、先日、長野の姨捨山を通った。今度は車だったので高速道の姨捨サービスエリアにちょっと寄った。先にも書いたが、ここから見える景色は、とてもいい。平日の午前中のせいか、空いてて、立ち寄ってる人たちも年配の方が随分と多い。おじいさん、おばあさんたちが中心で、それこそ姨捨山なんだと、勝手に思って見ていた。もちろん、自分もそうだろうと認識しながら・・。そのうち、若者たちの小グループがやってきた。


  そこから、また小布施の方へと足を伸ばした。ここは、とても静かな町だ。葛飾北斎が晩年に逗留し、画業の集大成をはかった地でもある。以前、職員旅行で訪れたことがあり、北斎による祭り屋台の天井絵や彫刻、肉筆画、版画の多さなどにびっくりしたことがあり、もう一度、じっくり見てみたかったわけだ。やはり、今回も、自ら、画狂人と名のった、北斎に感動。九十年の生涯を、青年、壮年、老年期とたどる展示内容もいい。生き生きとした人物や動物たちの作品などは、多くの西洋の画家たちに称賛され、また影響を及ぼした。本当に、北斎のエネルギーには驚くばかり。写狂人と自らを北斎にまねて名のる、世界的な写真家、アラーキー(荒木経惟)の気持ちもわかる気がした。


  山の内の町中をぬけ、志賀高原に行ってみる。樹の間からちらちら池が見える。いくつかある大きなホテルも、ほとんど客はいないようだ。草の生えたスキーゲレンデがあちこちに見える。シーズンオフのゲレンデはどこか間が抜けた感じがするものだ。でも、シーズン中は志賀高原は、とてもいいスキー場なのだ。となりのゲレンデとどこまでも繋がって乗り継ぎができ、滑れる、実に広いスキー場だ。滑った後の、疲れた体にもってこいの温泉もあるし。


   志賀高原から、草津方面にはぬけずに、ターンして、地獄谷温泉に行ってみることに。ここは、野猿が温泉につかるので名高い温泉。でも、寒い時期ではないので、猿たちは、温泉の辺りをぶらぶら歩いてるだけ。ここも、ちょっと季節的に違うなーと思いながら、また、山を下る。

  客の少なそうな平日の、ぼんやりした感じの渋温泉郷から湯田中とぬけて、信州中野から再度高速に入り、また姨捨SAに寄り松本へ戻る。翌日、安曇野のアヤメ祭りをみる。犀川の畔の、別の流れの前川沿いに、たくさん出店が出ている。その前川では子どもたちも混じって、カヌー競技をしている。すぐ傍の流れでは、虹鱒のつかみどりで、大勢の子どもたちが奮闘中だ。犀川の先の雪の残る雄大な常念岳を眺めていたら、自分と同じ位の歳の男性が声をかけてきた。< やっぱりきれいですよねー。富士山とそんなに高さの変わらない山々が連なり、いいですよねー。私も、東京の板橋でずっと働いていたんですが、退職して、やはり故郷、安曇野に帰って来たんです。それで、やはり、よかったなーなんて思ってるところなんです。まだ、よくわからない、こんなアヤメ祭りなんですがねー、見て行って下さい・・。> そんな親切な言葉を語った。故郷を誇りに思ってる方だなーと思った。その方は、<あずみ野>という名前の響きがとても好きなんですとも語っていた。


  故郷を誇りに思えることは幸せだ。自分だけの故郷。心の中の故郷。思い出の中の故郷。今ある故郷。失われた故郷。消えゆく故郷。夢のふる里・・。いろんな故郷がそれぞれにあるはずだ。


  福島の人々。沖縄の人々。パレスチナの人々・・。祖国、郷里・・。土、山、海、川、空・・。人々の体、心すべてを、きびしくも、やわらかく包む自然。そんな、かけがえのないものが失われる時代であってはならないと強く思いながら、また東京へ向かった。いろんなことを考えさせられた、そんな、梅雨の合間の爽やかな長野での四日だったのだ。


   
・・・日本、いや、世界すべての故郷はそれだけで、素晴らしい。でも余りに、はかない存在なのだから・・・