海洋天堂(2010年 中国 シュエ・シャオルー)於.銀座シネスイッチ1

ネタバレしています。未見の方はご注意を。
自分がこの世を去る前に、子どもに生きる術を教えたい、自分の死後も幸せに生きてほしい、
親ならそのような願いを持つものだと思います。
でも、どんなにがんばっても自分の死後、それを自分の目で確認することはできません。
ただ信じて祈るだけ。
この映画は、その実際に目にできない光景を疑似体験させてくれます。
末期癌の父が、重度の自閉症の21歳の息子に、
自分の死後息子が生きて行く場所を探したり、身辺の自立を教え込んだりするために奮闘する様子を
情感も込めながらも抑制のきいた美しいエピソードで描いています。
2人の日常のひとつひとつのエピソードに心があたたまります。
自分より丈の大きい息子を抱えるように寄り添う父、小柄なジェット・リーが演じることで
彼の精一杯さが余計に伝わってきます。
息子に対してなんて優しい笑顔をするんだろう、と思いましたが、息子の大福くんが本当に可愛い。
ひとつひとつのしぐさも、澄んだ眼も。
こんな可愛い子を残して逝くなんて、さぞや・・・と思わせる愛らしさです。
命を削りながら息子に思いを託そうとする父の姿、
命はとても大切なものだけれど、それよりもっと大切なものが持てるって得難いことである、と感じました。
居場所が出来て、うまく身の回りのことができるようになったとしても、心配は残ります。
それは息子がひとりぼっちになって感じるであろう寂しさ。
「いつも見守っているよ、ずっと一緒に居るよ」
という言葉だけでは、自閉症の息子にしっかり伝わるかどうかわからない。
だから、大福くんの一番好きな水の中で、「海亀になって見ているよ」と、体感させながら伝えたのでしょう。
他人からみたら滑稽にさえ見える格好かも知れないけれど。
わからない人は笑いたければ笑うがいい。
父の死後の場面で、彼の教えたことひとつひとつを大福が実践している姿を辿って行きます。
はたして大福が本当に覚えたのか?反応がわかりにくい子どもだけに、父は祈るような気持であったと想像します。
いや、子どもが自閉症でなくても、自分の教えを、思いを、子どもがどれだけ理解してくれたか?
親というものはなかなか確信が持てないものでしょう。
彼の祈りが実を結んで行く場面は、やはり同じ親として嬉しく希望を与えられました。
そして、大福くんが幼い頃死別した母、
彼女はどうやら息子の障害のため自責の念にかられ、自ら命を絶ったようです。
それは悲しい別れではあるけれど、彼女の存在も息子の中に生きています。
大福くんの生きる喜びのひとつ、水の中を自在に泳ぐこと、
彼がこの喜びを見つけるきっかけを作ったのが彼女です。
命を絶った彼女を悲しい存在としてではなく、子に喜びを与えた存在としてしっかり描いているところが
この作品の本質を表しています。
おだやかな海、水の光景は心を癒すものですね。
冒頭から随所に描かれる海や水のゆらめきは、本作で大きな役割を果たしています。
(自閉症の人に限らず、視覚から受ける影響って小さくないなって思います)
監督は「現実はもっと厳しいものだと知っている」そうですが
「自閉症児の親に希望を与えたかった」そうです。
虚構ではなく、現実の優しいもの、美しいものによって編まれた作品だと思います。

ネタバレしています。未見の方はご注意を。
自分がこの世を去る前に、子どもに生きる術を教えたい、自分の死後も幸せに生きてほしい、
親ならそのような願いを持つものだと思います。
でも、どんなにがんばっても自分の死後、それを自分の目で確認することはできません。
ただ信じて祈るだけ。
この映画は、その実際に目にできない光景を疑似体験させてくれます。
末期癌の父が、重度の自閉症の21歳の息子に、
自分の死後息子が生きて行く場所を探したり、身辺の自立を教え込んだりするために奮闘する様子を
情感も込めながらも抑制のきいた美しいエピソードで描いています。
2人の日常のひとつひとつのエピソードに心があたたまります。
自分より丈の大きい息子を抱えるように寄り添う父、小柄なジェット・リーが演じることで
彼の精一杯さが余計に伝わってきます。
息子に対してなんて優しい笑顔をするんだろう、と思いましたが、息子の大福くんが本当に可愛い。
ひとつひとつのしぐさも、澄んだ眼も。
こんな可愛い子を残して逝くなんて、さぞや・・・と思わせる愛らしさです。
命を削りながら息子に思いを託そうとする父の姿、
命はとても大切なものだけれど、それよりもっと大切なものが持てるって得難いことである、と感じました。
居場所が出来て、うまく身の回りのことができるようになったとしても、心配は残ります。
それは息子がひとりぼっちになって感じるであろう寂しさ。
「いつも見守っているよ、ずっと一緒に居るよ」
という言葉だけでは、自閉症の息子にしっかり伝わるかどうかわからない。
だから、大福くんの一番好きな水の中で、「海亀になって見ているよ」と、体感させながら伝えたのでしょう。
他人からみたら滑稽にさえ見える格好かも知れないけれど。
わからない人は笑いたければ笑うがいい。
父の死後の場面で、彼の教えたことひとつひとつを大福が実践している姿を辿って行きます。
はたして大福が本当に覚えたのか?反応がわかりにくい子どもだけに、父は祈るような気持であったと想像します。
いや、子どもが自閉症でなくても、自分の教えを、思いを、子どもがどれだけ理解してくれたか?
親というものはなかなか確信が持てないものでしょう。
彼の祈りが実を結んで行く場面は、やはり同じ親として嬉しく希望を与えられました。
そして、大福くんが幼い頃死別した母、
彼女はどうやら息子の障害のため自責の念にかられ、自ら命を絶ったようです。
それは悲しい別れではあるけれど、彼女の存在も息子の中に生きています。
大福くんの生きる喜びのひとつ、水の中を自在に泳ぐこと、
彼がこの喜びを見つけるきっかけを作ったのが彼女です。
命を絶った彼女を悲しい存在としてではなく、子に喜びを与えた存在としてしっかり描いているところが
この作品の本質を表しています。
おだやかな海、水の光景は心を癒すものですね。
冒頭から随所に描かれる海や水のゆらめきは、本作で大きな役割を果たしています。
(自閉症の人に限らず、視覚から受ける影響って小さくないなって思います)
監督は「現実はもっと厳しいものだと知っている」そうですが
「自閉症児の親に希望を与えたかった」そうです。
虚構ではなく、現実の優しいもの、美しいものによって編まれた作品だと思います。
相手がのおとなであれ日本人であれ、親であれ子供であれ、こちらの思いが伝わるのは稀だと最近つくづく思います。
もちろん一般的には、母国語だったり共通言語がある方が便利とかありますが連絡とは違うレベルの「思い」とか「願い」はまた違いますし
ただ何かを伝えようとする親の表情やその他の色々な物事から子供はこちらの想定外のキャッチ行ってるのかもしれないなとも思いま
す
伝えたくなくても伝わってしまうこともあるし
育児ってまるで壮大な伝言ゲームのようだなあと思いますね~
受ける側の関心によってセンサーがピピピッとはたらいて
何をキャッチするかが決まるんでしょうね。
親子間だと、親の思い入れが強いだけに
そのズレが余計にはがゆく思えたりするのかな。
ミノさんとこはもうお子さんの方も大きくて色々なな思考もするだろうから、
親子間のコミュニケーションも複雑になってきているんでしょうね。
うちはまだ小動物を相手にしているようなもんですが(笑)
ただ子どもって、よく見てますね。
ふっと相手をみると、こっちの方ジ~ッと見ていることがあります。感受性は高い。
なのに、こっちが「こりゃ~っ!注視せんか~いっ!!!」
と声を大にして言うことに関しては
さっぱり反応しないのは何故なのだろ?
観られたらぜひ観てください。