ミケランジェロカフェ番外地

tickle of the original feeling

アメリカの夜

2011-08-23 18:24:41 | 映画
アメリカの夜 (1973年 フランス/イタリア フランソワ・トリュフォー)於.シネマシティ h

“映画撮影現場の映画”を撮影している現場はどんな風だったんだろう?
「はいカット」の声がかかった後、一同ホーッと息をつく場面があるけれど、
それを撮り続けている本当のスタッフ。
劇中でセットを撮るカメラの後に居る本当のカメラ。
生々しい男女関係のやりとりに、スタッフたちは苦笑いしていたのかな。

時代は’70年代初頭、スタジオシステムが崩壊しつつある頃。
劇中で制作されている『パメラ』も、スターを集めて、セットを組んで長期の撮影、といった風でしたが
「『パメラ』のような映画が作られる事はもうないだろう」という台詞がありましたね。
ヌーヴェルバーグの旗手であった人なのに、
崩壊しつつある古き良き製作システムを惜しむかの様な台詞。
古典映画をこよなく愛した人らしく。

映画の現場が主題の映画だけれど、女性観、男性観、人生観を感じさせるような箇所が
端々にありました。
ドワネル君がそのまま飛び出した=監督のある部分を体現していると思われるアルフォンソ。
男は子どもで、嫉妬深くて、エゴイストである、と。
実際そばに居たら付き合ってられないでしょうけれど、
監督自身がここまで分析して表現できるのだから、男のエゴイズムを冷静に見つめているのね、
見つめた上で、やっぱりそれはそういうものなのだ、と。
『恋のエチュード』のジャン=ピエール・レオ演じる大陸くんもまさにそういう男であったし
その他の映画でも、男性のそういう部分を一貫して描いているように思います。

一方女性には「様々な個性を持った人が居て、皆、見ていて飽きない、手強く、脆く、魅力的」という考えが現れていた気がする。
魔物だろうが、慈母愛に溢れていようが、盛りを過ぎていようが、尻軽だろうが、女性万歳・・・なのですね。

監督が夜ごとうなされるくらいの産みの苦しみ、
その先にあるのはやはり映画を愛して止まない心、と明かされる夢の場面、
なんだかストレートすぎるけど、まさに“映画に愛をこめて”なんですね。

映画に携わる1人1人に人生があって、いろんなことを抱えていて、
それでもそれぞれの役割を演じ切って(裏方さんも役割を演じ切るのよね)撮影は進められて行く。
映画の現場じゃなくても、
私たちの周囲でだってきっと、いろんなことを抱えた人が、平静を装って集っているのでしょう。
終わればそれぞれ散り散りになって行くであろうひと時の祭りにてんやわんやする姿が
なんだか愛おしく見えるのでした。


“アメリカの夜”=疑似夜景っておなじみの用語ですが、
夫から前にきいたところでは
アメリカのどこか特定の映画会社(フォックスって言ってたかな?)が得意としていた手法、だそうです。
その昔、映画会社によってお得意の撮影手法がそれぞれあったそうで。
昔、映画撮影に関するドキュメンタリー映画で観たそうで、
夫から、その映画で観た疑似夜景の具体的な撮影のやり方まできいたような気がするけど、
詳しく覚えていません(^^;


最新の画像もっと見る

コメントを投稿