いい覚悟で生きる・言葉の処方箋(世田谷深沢カフェ)

無理せずに、言葉による処方箋からいただいた「がんは病でも病人ではない」ことの思いを中心に語ります。

「日めくり」 人生を変える言葉の処方箋・・・・・・・2020年4月25日 ㈯

2020年04月25日 | 日記
☆☆☆器を空っぽにすると、新しい水が満たされる☆☆☆

人生とは、空っぽの器に水が入っても穴が開かないように、頑丈にしていく訓練であり、空っぽの器に水を入れてもらうことです。
最近は自分でせっせと水を入れて、満足している人が多いように思いますが、ふとしたきっかけで、例えばがんと宣告されたり、会社を解雇されたりしたときなどに、簡単に器に穴が開いてしまいます。
そうならないためには、濁った水は潔く捨て、新しい頑丈な器を持つことです。

樋野興夫(順天堂大学名誉教授・医学博士)著書より

先週のブログにて、私が50歳で会社を辞めたことをの綴りました。父の死で、今まで働いていなかった母が、N着付け教室に通い、デパートの着物売り場や、美容室の着付けなどの仕事を、末っ子の私を高校から大学へといかせると背中を見たとき、大学進学を断念し、社会人野球で有名な企業に勤めました。
それからは、紆余曲折を味会い、組合活動から、中間管理職に転じて、自分がやってるんだとの「うぬぼれ」が大きくなって、仲間や部下に対しても、自己の考え方と、会社の方針を一方通行で語っていました。人に負けたくない、後ろ指をさされたくないと、、朝は始発から終電で、任された営業所を守りとおすとの気持ちばかりで、会社はもちろん家庭でも自己中心的にふるまっていました、、、48歳の時、3回ばかり、ホームで電車が入ってくるときに、無意識に吸い込まれて歩き出し、側にいた方に後ろから羽交い絞めされて命を保つことが出来ました。
それから、1年休職し心療治療を受けて、あるとき、会社からの退職を強要?(退職勧奨)。私の心身(器)に、人との対話も、聞き手にもなれなく「濁りきっていた」と述懐します。
やはり、自分の器である心身の穴を開けないようにしながら、濁り水を捨てて、きれいな水である「双方向の対話のコミニケーション」を大切にしていくと決心し、高校野球の指導にかかわることができ、選手や指導者とも常に、自分のプライドなど捨てて、野球を上手くなることより、好きで続けられるとの思いを「ツーウェイコミ」でしていられることに、一つの喜びを感じています。
人間関係の中では、多様な性格を尊重して、聞き手となり対話することが、人としての愛で「寄り添い合う・支えあう」ということになると理解してきました。

写真は・・・・母の好きな花が、今年も植木鉢に咲き始めました。


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