全ての扉は開け放たれて外気が室内に入り込んできているとはいえ、大勢の人が集まった室内でもあるし、コロナもインフルエンザも要警戒なので、マスクはしていた。
だから、冷たい外気はシャットアウトできていたはずなのだが、高性能? なわが鼻腔は幽かに入り込む外気に反応してしまい、坐禅開始から7~8分もすると、マスクの中で鼻水を垂らし始めた。
それだけなら少しは我慢できるのだが、鼻腔がムズムズしてきて、くしゃみを連発しかねない状況にいささか困惑せざるを得なかった。
そのまま放置しておけば、いずれはマスクがグショグショに濡れてしまうだろうし、何より、シィ~ンと静まり返った方丈内に突然大音響のクシャミを爆発させるなどという無作法は万難を排して避けなければいけない。
そのための方法はただ一つ。
鼻をかむことである。
しかし、ノー天気に鼻をかめばそれなりの大きな音を伴う。
余計な音を出すことは避けなければならない。
どうしたらいいのか…
ボクが取った行動はポケットから静かにティッシュを取り出し、そっと鼻に当て、鼻の外側をしごくようにして内部に溜まった鼻水を絞る作戦だった。
しかし、この方法では当座は鼻腔内の鼻水が消えるが、マスクをするとまた直ぐにしみ出し、再び垂れ始めるから根本的な解決には程遠い。
しかも、こうした努力の甲斐もなく、突如、鼻腔がひくひくしたかと思うといきなりクシャミが飛び出しそうになって慌てた。
西洋流の"クシャミを飲み込む術"というのを身に付けていたお陰で大音響こそ防げたものの、咳払い程度の音は出してしまったのは未熟としか言いようがない。
そもそも、指導役の坊さんからは「坐禅中は出来るだけ身体を動かさないように」と言われているのに、ボクひとり鼻をかむためもぞもぞもぞもぞ…
穴があったら入りたい思いだった。
夏の暖かい空気が北の冷たい空気に入れ替わった途端、ボクの鼻腔は決まって敏感に反応し、寒冷アレルギーとも呼ぶべきアレルギー反応を引き起こす。
鼻水が際限なく垂れ、くしゃみを連発させるのである。
自分ではどうすることも出来ず、酷ければ涙までこぼれ、顔中がぐちゃぐちゃになり、人様にはとても見せられない様相を呈してしまう。
現役時代はそれでも人に合わなければいけないことがあり、事前に気付け薬と称してアルコール度数の高い強烈な酒を鼻腔の奥に流し込んで鼻腔内をマヒさせてから出掛けるということまでやったものである。
その名残は今でも続いていて、人に会う必要がなくなった今でも、寒冷アレルギー対策のアルコールはわが書斎の必需品として鎮座しているのである。
この日も周囲の真面目な人々の邪魔をしないよう、ポケットサイズの小瓶でも持ち込むべきだったのだ。
小瓶で済むかという懸念は別として…
円覚寺の坊主どもに見つからないように、見つかって咎められても「これは常備薬です」と言い張るだけの話ではないか。
匂いを嗅がれると少し困る部分もあるが…
境内・松嶺院のコスモス
松嶺院の本堂(左)と山門(右奥)
ムラサキシキブ
シロシキブ(松嶺院)
ウメモドキ(松嶺院)
マルバフジバカマ(松嶺院)
大方丈のスイフヨウ
妙香池のススキ 右奥はモミジ
黄梅院ではチャ(茶)の花が咲いていた
ヤブマメ(黄梅院)
ヤブマメとミズヒキ
黄梅院の聖観音堂前の行列とシュウメイギク
月替わりで掲げられる横田南嶺管長揮毫の坂本真民の詩(黄梅院門前)