平方録

身辺をつれずれに

また休みます

2018-12-11 06:21:28 | 随筆
白内障治療の右目に続いて左目の手術が迫ってきた。

午前9時半までに入院手続きを済ますように言われているので、これから横浜港に面した病院まで出かけるのだが、まだ通勤・通学のラッシュが残っている時間帯である。
ピークは過ぎているとはいえ、ぎゅう詰めにされて吊革にぶら下がるのはありがたいことではない。手術を受けるより大変である。
前回は入院の日付を間違えて病院からの催促電話に慌て、押っ取り刀で病院に駆け付けたのが午後のことだから空いている電車で行けたのだが、今回はそうはいかない。
意図して遅刻して行っちゃおうかな。いかんか……。そうだよな、やっぱり、そういうのはまずいよな。

白内障で濁ってしまったレンズを全く新しい人工のレンズと取り換えるのが手術の目的なのだが、その場合、遠くに焦点を合わせるかそれとも近くに焦点を合わせるかで手術後の見え方が変わってくる。
右目の手術でボクは、遠くに合わせることで近眼を解消するレンズを選択した。
まだ片方の手術が終わっただけだし、乱視も現れているようで見え方自体はまだ安定していないが、確かに遠くは良く見えるようになって、近眼とはおさらばできそうだ。

そして今度の左目の手術に際しては主治医の提案もあって思い切った決断をすることにした。
決断の中身はまだ内緒にしておくが、手術の結果待ちということになり、ボク自身も期待を抱いている所なのだ ♪
手術が成功して、光に満ち溢れた明るい新年が迎えられますように。

そんなわけで前回の手術の時と同様、12、13、14日の3日間、ブログは休みます。


昨日の夕食の後、山形の友人が送ってくれた渋を抜いた柿を冷蔵庫に保管しておいたものが相当トロトロになってきたので、そろそろ頃合いかと見定めて、食事の後のデザートにスプーンでしゃくりながら食べてみた。
こういう熟柿をスプーンで食べる場合、わが家のというか、ボクの定番としてトロトロになった実の上にシングルモルトウイスキーの良いヤツを数滴たらして食べるのを至福のひと時と心得ている。
そうしたら驚くなかれ、イタリアでもカキが栽培されていてボクと同じように(ただ彼の地ではウイスキーではなくブランデーのようだが)、やはり熟柿には酒を垂らして食べるのだそうだ。
酒飲みというのは実に単純に出来ていて、その「ひとっ垂らし」の手間をかける心根が大いに気に行って、伊太公にシンパシーを感じるようになったほどである。
この食べ方は案外知られていなくて、舌が肥えていると言われる日本人というのも守備範囲は結構狭いなぁと、今更ながらほくそ笑む思いである。

実はボクは、この「熟柿にウイスキーをひとっ垂らし」の食べ方を、今わの際に食べたい料理は何? と聞かれた時の候補の一つに挙げているのだ。
白内障の治療とは言え、これから入院して手術を受ける身にとって、思い残すことはないと言っておきたい ♪
では、行ってきま~す。
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ジングルベルが町から消えた ?

2018-12-10 06:43:33 | 随筆
「今年は街中でジングルベルを聞かない。どうしたのかしら?」と妻が言う。

かつてはどこの商店街でも、ターミナル駅前の繁華街などでも、人が集まるところはどこでも、師走の声を聞くか聞かないかのうちから威勢の良いジングルベルの曲が流れて歳末商戦をあおりにあおり、あぁもう年末かい!と急に急き立てられるような気分にさせられたものだ。
それが、ここ数年の現象だと思うのだが、確かに妻が言うように、あまり聞こえなくなってきているように感じられる。
今年はもう12月も中旬に差し掛かったというのにまだ一度も耳にしていない。

もっとも、最近は年末の繁華街などに出かける用事や興味はほとんどないので、そもそも〝ジングルベル環境〟から遠ざかっているのも事実だが、そういえばテレビからもまだ一度もジングルベルが流れるのを聞いていないのは、街から消えている現象と関係があるのかどうか。
そもそも、日本中のどこかに、今でもガンガンジングルベルの曲を流して歳末商戦を景気づけているようなところがあるんだろうか。
地方に行けば、シャッター通りになっているところが多いのだから、そんなところにジングルベルが流れるわけもないし…
どこぞで未だに流れているというのであれば、物見遊山に出かけてみたいものだ。

一方で、12月に入ると家でクリスマスに関する曲を集めたCDをかけていたのだが、今年はまだ一度も聞いていない。
不思議なことだが、そんな気持ちにならないのだ。
アメリカ製の2枚組のCDでビング・クロスビーの「ホワイトクリスマス」、フランク・シナトラの「ムストルトーエ&ホーリー」、ルイ・アームストロングの「ザット・ユー・サンタ・クロース」など50曲も収められていて、クリスチャンではないけれど、どれもいい曲ばかりなのだが…

ジングルベル同様に、やはりここ数年で影を潜めたもののうちにボージョレ―解禁日のバカ騒ぎがある。
11月の第3木曜日——それがボルドーワインの新酒の解禁日なのだが、日本は時差の関係で本国のフランスより8時間早く飲めるというので、バカ騒ぎに拍車がかかっていたようだが、それも今は昔である。
ボクが2度目に勤めた会社ではあろうことか会社のトップが言い出しっぺになって、社屋1階のオープンスペースを締めきって大ワインパーティーなどという、ボクに言わせれば「バカもいい加減にしろ!」というような、「ボージョレ―ヌーボーを飲む会」などという催しを一人3000円ふんだくって社員相手に開催していたのだ。

ボクはこういう訳の分からない便乗型のバカ騒ぎが大嫌いな人間で、一度も参加したことがない。
付和雷同の思考停止野郎どもの集まりだから盛り上がってはいたようだが、そんな軽薄野郎連中と酒を飲んだって楽しい訳もなく、そういう時は決まって赤提灯の縄のれんをくぐって湯豆腐で「ぬる燗」をちびちび舐めるようにしていた。
日本人は熱しやすく冷めやすいと言われるが、このボージョレ―狂騒曲は短かったように思う。

そしてボージョレ―の退潮に足並みをそろえるように鎌首をもたげてきたのがハローウィンなる騒ぎである。
東京・渋谷のバカ騒ぎは、あれは一種の「騒動」「暴動」の類で、大人しい子羊ちゃんの群れでいてもらいたい権力者たちの目には看過できない事態に写ったことだろう。
既に裏から手を回して、如何にも地元の人たちの主導のように見せかけて「規制」のタガをはめにかかっている。
区役所や地元商店街を組織してナントカ協議会を作らせたのも「子羊でいるなら大目に見ますよ。さもなくば…」路線に踏み出した何よりの証拠なのだ。

かくして付和雷同のバカ騒ぎ人間は気が付けば自縄自縛に追い込まれて行くのである。
なにも考えずに「ほかの政権より良さそうだから」などとあの傲慢で独裁的で憲法さえ眼中にないアベなんちゃら政権を支持し続けるようだと、いずれ自分自身や、あるいは子や孫が鉄砲を担がされて戦場に送られ、命を失うことになるのだ。
次に奪われるのは命ですよ、自分自身の命! そして自由も!
土壇場で気が付いて悔やんでみても、それでは遅すぎるのだよ。アウト!

ん? 何の話だったっけ…



ひと月ぶりに坐禅に参加してきた。例年なら紅葉のきれいな黄梅院の紅葉もご覧の通り


こちら居士林の脇もイチョウとモミジのコラボの見られるところだが、こちらもアウト。


アウトの原因は台風24号による塩害の影響


陽だまりの斜面ではもうスイセンが


黄梅院の掲示板には横田南嶺管長揮毫による今月の詩が(毎月、坂村真民詩集から選ばれる)
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「アノダ」

2018-12-09 06:20:34 | 随筆
先日、久しぶりにのぞいてみた横浜イングリッシュガーデンで見知らぬ花がたくさん咲いているのを見た。

背丈が40~70センチくらいもあり、薄紫色というか、薄い水色というか、とにかく淡い色をした直径5、6センチの5弁の花を沢山咲かせている。
株立ちのバラのそばで群落する下草のような具合で、豪華な秋バラと一緒に咲いているのだが、花の色合いに強烈な自己主張がないせいか、バラを引き立てこそすれ邪魔をすることがない。
いわば脇役的な存在なのだが、バラを引き立てるのに役立っているところを見れば「名」脇役と言ってもよいくらいだ。

はて、何という名前の花だろう。
どこかに花の名前が書いていないか探してみたが、バラの名札はたくさんあるが、この花のものは見つからない。
ガーデナーたちの部屋に立ち寄ったら運よく河合伸之スーパーバイザーがいたので聞いてみた。

花の名は「アノダ」というそうだ。
何とも特徴のない、花の名前とも思えない名前の上に、覚えにくい名前である。
色気がないというか、もう少し何とかならないものか―などと思うのはこちらの勝手な都合に過ぎないが、しっくりこない。

どこが原産地なのかと聞くと「僕にもよくわからないんです」という。
「出回り始めてまだ日が浅いから園芸店などではあまり見かけませんよね。でも花の期間が長いし、バラと一緒に植えておくのに都合がいいんです」と定番化を目論んでいるようである。
確かにネットで調べてみても扱っているところはあるものの、氏素性をきちんと説明したウィキペディアや植物図鑑の類はヒットしなかった。
それでもわずかに「アメリカ南西部から中央アメリカに分布し、高さは60~120センチになる。花は6月ごろから霜の降りるまで咲き続けるが、一日花である。アオイ科アノダ属の多年草」という記述を見かけた。

種が取れたら差し上げますよとは河合スーパーバイザーの弁。
フム、それは楽しみ ♪

一方、わが家では昨日一昨日とパンジーの苗の定植に精を出した。
両日とも午前中3時間、午後2時間の計10時間。
立ったりしゃがんだり、土の入った重いプランターを持ち上げたり、運んだり…
プランターの土を肥沃なものにするため、その手間が加わって時間がかかるのだ。

普段は使わない筋肉を使うことになったため、2日目にはもう足の付け根と尻の筋肉に痛みがあった。
痛みと言っても不快な感じのモノではもちろんなくて筋肉痛だから、ボクとしては好きな部類に入るし、それよりなにより、翌日に痛みを感じるなんて「若いなぁ!」と喜んだくらいだ。
ただ痛めている腰にも鈍痛は忘れずにやって来ていて、油断すると起き上がれなくなるほどの打撃をともなう一撃をくらわせられかねない。

120近い苗の8割の定植を終えたのでひと安心だ。残りは後日。
バラを植えてある庭の一角の下草の一部にチューリップなどと一緒に植えようと思っている。
雑草などが残っていて、そちらの下準備がまだ整っていないのだ。
今週は白内障の左目の手術で入院しなくてはならないから、作業は退院してきてからということになる。

例年に比べて作業は遅れているのだが、暖冬だから構わないだろうと思っている。



横浜イングリッシュガーデンの「アノダ」


こんな感じでバラと一緒に咲いている


こちらはブラッシング・アイスバーグの大株と一緒に


白花もあるのだ


せん定を待つ大アーチのつるバラ

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開戦日に何を思った?

2018-12-08 07:40:55 | 随筆
今日12月8日は日本軍によるハワイ奇襲攻撃によってアメリカとの戦争に突入した日。

そして、この無謀な戦いとその前から始まっていた中国に対する侵略戦争によって日本人だけで300万を超す人々が犠牲になった。
ボクの社会人生活におけるバックボーンは2度とこうした戦争を起こさせないために、自分の仕事の範囲で可能な限り抵抗することだった。
バトンを渡した後輩たちもよくやってくれているようだが、それでも気概は薄れてきているように思える時があるのが残念である。

今またアベなんちゃらが、不戦を誓ったはずの憲法9条を変えようと画策していることに大きな危惧を抱いている。
そして、こうした流れに日本国民の半数しか疑問を呈していないのが気にかかる。せめて7割ほどの人が疑問を呈するようになれば、こうした策動は自然と消滅するはずなのに…

「朝、目覚めると、戦争が始まっていました」(方丈社。2018年8月14日初版)という本を見つけた。
77年前の「あの日のこと」をどう感じ、何を考えたのか、当日の知識人・著名人の日記や回想録から「その箇所」が集められている。
あまり長くならないように、ちょこっとだけ紹介してみたい。

予想以上だったね。いよいよルーズベルトも失脚だね。(東条英機、首相、57歳)

今朝はハワイを奇襲した筈だ。僕の在任中山本五十六君を呼んで、日米戦についての意見を叩いたところ、彼は初めの一年はどうにか保ちこたえられるが、二年目からは全然勝算はない。故に軍人としては廟議一決し宣戦の大命降れば、ただ最善を尽くして御奉公するのみで、湊川出陣と同じだと、いっておったが、山本君の気持ちとしては緒戦に最大の勝利を挙げ、その後は政府の外交手腕発揮に待つというのが心底らしかった。それで山本君はそれとなくハワイ奇襲を仄めかしていたんですヨ。(東条の前の首相・近衛文麿、50歳。近衛が模索した日米首脳会談が行われていれば、あるいは開戦はまぬかれたかもしれない。会談がご破算になり総辞職する)

三国同盟の締結は、僕一生の不覚だったことを、今更ながら痛感する。……世間から僕は侵略戦争の片棒かつぎと誤解されている。僕の不徳の致すところとはいいながら、誠に遺憾だ。殊に三国同盟は、アメリカの参戦防止によって、世界戦争の再起を予防し、世界平和を回復し、国家を泰山の安きにおくことを目的としたのだが、事ことごとく志とちがい、今度のような不祥事件の遠因と考えられるに至った。これを思うと、死んでも死にきれない。(当時の外相・松岡洋右、61歳。この徹底的なポピュリストが三国同盟締結の首謀者であり、近衛がなんとか開戦を避けようと模索した日米首脳会談にひとり頑強に反対した男である。こいつが反対しなければ日本の運命はまた違ったものとなっていただろう)

ものすごく解放感がありました。パーッと天地が開けたほどの解放感でした。(吉本隆明、思想家、17歳。学生時代、こいつの本を沢山読んだ。こういう日記を残していたのを知っていたら読まなかっただろう。でも吉本1人が悪いのではなく、多くの知識人は戦後になって何食わぬ顔で反戦を唱え始めたのだから)

対米宣戦布告。昌信の今までのパパ、ママも今日からお父さん、お母さんにあらためさせる。(ピストン堀口・プロボクサー、27歳)

いよいよはじまったかと思った。何故か體ががくがく慄えた。ばんざあいと大聲で叫びながら駆け出したいやうな衝動も受けた。(新美南吉、児童文学者、28歳。「ごんぎつね」などの絵本の作者だというのが信じられない)

僕はラヂオのある床屋を探した。やがて、ニュースがある筈である。客は僕ひとり、頬ひげをあたっていると、大詔の奉読、つづいて、東条首相の謹話があった。涙が流れた。言葉のいらない時が来た。必要ならば、僕の命も捧げねばならぬ。一歩たりとも、敵をわが国土に入れてはならぬ。(坂口安吾・作家、35歳)

昨日、日曜ヨリ 帝国ハ米英二国ニタイシテ 戦闘ヲ開始シタ。 老生ノ紅血躍動!(斎藤茂吉、歌人、59歳)

以下はちょっと違う立場の人々の残した文章

一九四一年三月七日、夕食をとりに大学わきの食堂に行くと、客がまばらだった。誰も私に注目することもなく、いつものように私はピーマンの肉詰め(スタッフト・ペッパー)を食べて、倹約のためお茶は飲まず、まっすぐ下宿に帰った。
ところがその日、屋根裏まで戻ると、私の部屋にだれかいる気配がした。入ってみると、ミドルセックス校以来三年間つきあいのあるチャールズ・ヤングが、ひとりで椅子にすわっていた。
彼は立ち上がって私を迎えた。
「戦争が始まった。これからお互いを憎むことになるだろうが、私たちがそれを越えることを望みたい。」
私のほうには、彼に対する憎しみが湧いてこなかった。(鶴見俊輔、思想家、19歳)

そのとき、学生の一人が、本郷通りで手に入れた新聞の号外を読み上げた。すると私たちの間には、一種のざわめきが波のように拡がった。誰かが何かを言ったというのではなく、いわば言葉にならぬ反応が集まっておのずから一つの溜息のようなものになったのであろう。私たちは、そのとき太平洋戦争という事実と向き合っていた。
私は周囲の世界が、にわかに、見たこともない風景に変わるのを感じた。(加藤周一、評論家、22歳)

十二月八日の朝、日本が開戦したことを知った。
まさかーー私はガク然とした。日本は独伊と同盟を結んでいた。しかしそれは米英などとのさまざまの交渉を有利に展開するためのかけひきであって、強硬なのも結局ポーズだけかと思っていたのに。
もう入隊はきまっている。ああ、オレは間違いなく死ぬんだ。死んでやろう。私ははり裂ける思いで家の外に飛び出した。ふりあおいだ冬空は限りなく青かった・。(岡本太郎、画家、30歳)

いま、力足らず、敵の手に捕らえられて破滅的な戦争開始の報を、看守の好意によってきかされる不甲斐なさ! われわれの力がつよく、せめて労働者階級と青年たちの目だけでも開かせ、もっと強くこの戦争に反対することができていたならと、胸は傷んだ。明日の運命も知らずに宮城にむかう大群衆の足音、天地をゆすぶるような万歳の声、人びとの心をかりたてるような軍歌と軍楽隊のとどろきが地下室の留置場までひびいてくるのを、なすすべもなくじっときいているくやしさ。にじみでる涙もおさえきれなかった。(神山茂夫、社会運動家、36歳)

福井県の郷里で、父の葬式の後始末をしていた。支払いに町に出ていて、電柱に張ってあるビラをみて開戦を知った。別に感慨も無かったが、瞬間、うちに帰れば、特高が来ているだろうな、と思った。(中野重治、作家、39歳)

僕はアメリカとの戦争が始まったとき、二、三の客を前にしながら、不覚にも慎みを忘れ、「ばかやろう!」と大声でラジオにどなった。(金子光晴)、詩人、45歳)

清沢は「けさ開戦の知らせを聞いた時に、僕は自分達の責任を感じた。こういう事にならぬように僕達が努力しなかったのが悪かった」と、感慨を漏らした。(清沢洌、ジャーナリスト、51歳)


今朝は寝坊してしまった。気が付いて時計を見たらなんと1時間遅れの5時07分! このところ寝坊の気が出ているのだ。体調が元に戻って自家発電も活発になってきたようで、布団の中が極めてポカポカと心地よいのである。心せねば。



台風24号の塩害でダメージを受けて葉を落としてしまったクレマチスのアフロディーテ・エレガフミナに季節は連れの花が咲いた
えも初夏の最盛期には5弁の花を咲かせるのに、省エネなのか花びらが4弁しかない


こちらも塩害でダメージを受けていたブラッシング・アイスバーグだが、師走になって復活してきた
植物の持つしぶとさ、底力というものを感じさせるに十分である
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今冬一の〝寒波〟が来る前に

2018-12-07 06:13:00 | 随筆
今朝は眠かった。

午前4時にスイッチが入るようにしている枕元のラジオが律義に音を出し始めたのは意識していたが、気が付いた時には5分間のニュースは終わっていて次の番組が始まってしまっている。
布団の中はポカポカと暖かく、まるで冬将軍が撤退した後の春先のような感じで、このまま寝続けていたいという誘惑にかられる。
悩まされた風邪の症状に似たアレルギーはすっかり治まり、体調も元に戻ったようだ。
何より、食欲が戻ったし、酒の味も元通りに戻ってとてもおいしい。

お陰で、昨日の夕食時には赤ワインのボトルをほとんど空にしかけてしまった。
いつもなら酒飲みの意地汚さを地で行くように、最後の一滴まで飲み尽くそうとするのだが、まだ病み上がりではないかという声がどこからか聞こえて来て、瓶の底にほんの数センチ残したのだった。
せめてそのくらいの自制心も示した方が良かろうという、手前勝手な言い訳じみた発想である。

その久しぶりの心地よい酔いが全身に回っていたのだろう、午後10時前に床に入った後の記憶はないから、いつもの通り目を閉じれはほんの2、3分で眠りに落ちたようである。
次に記憶があるのはトイレに立った午前3時前だから、5時間ぐっすり寝入ったことになる。
そして1時間後にラジオのアナウンサーが読み合上げるニュースを聞きながら条件反射的に頭を覚醒させ、5分間のニュースが終わると同時にパッと起き出すところだが、ベッドのぬくもりが妙に心地よく、その心地よさから抜け出すのに苦労したという訳である。
食欲と酒飲みの意地汚さの復活に続いて、眠りに関しても完全に元気なころに戻ったようだ。

ベッドで煮え切らないでいると何度か睡魔に引きずり込まれそうになったが、これではイカンと渋々ベッドを抜け出したが危うい所だった。
起き出した後、パソコンの前に坐るまでに着替えを済ませ、顔を洗ったり歯を磨いたり、なんやかんやで少なくとも20分超は必要である。
これは眠気を払しょくするために必要なインターバルだと思っているし、あえて急ぐことも無いという理由でノロノロと時間をかけることにしている。
車でいえば暖機運転のようなものか。
この間に書きたいテーマが浮かんだりすることもあるし、意識しないながらも脳ミソが何がしかの活動を始めているようなのは、感心するほどのことではないにしろ健気なことだと思う。

今朝の場合はこの20数分に加え、起き出しの遅さの10分程度も加わり、なおかつパソコンを立ち上げてもしばらくはぼぉ~っとしていて、午前5時の時報でようやく我に帰るありさまである。
かくしてつらつらと、何の意味もないことを書き連ねるのは、たまにはこんな独り言のようなものが混じってもいいだろうという一種の開き直りなのだ。
この「かくして」のセンテンスで最近目安にしている1000字を超えた!

今日は19度にも気温が上がるそうだが、明日以降は冬型の気圧配置になるとかで、最低気温が3、4度の日が続きそうだという。
ボクはそんな寒さは真っ平ごめんだが、気象に対抗する手段は今のところ持ち合わせていないから耐えるだけだが、せめてその前に惰眠をむさぼりたい。

もう一度暖かいベッドに戻らせてもらいます。今ならまだ少しのぬくもりは残っているだろう。



2、3日前に秋バラを見に横浜イングリッシュガーデンに行ってきたが、案の定もう花の盛りは終わっていた
「ロータリー・サンライズ」


「ゴールド・メダル」


「田毎の月」


「ゴールデン・オールディー」
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