詩が書かれた碑を写した写真である。
「青い黒板」
鉛筆が買えなくなっても
指で書くから いい
ノートブックがなくても
空に書くから いい
算数の式も 読本の字も
図画も綴方の文章も
みんな 指で空に書く
ぼくたちに鉛筆やノートブックの
買える日がくるまで
しずかに空の黒板に向かって
指のチョークで 勉強しよう
空の黒板はひろくて たのしい
日本中のぼくたちが書いても
書き切れないだろう
毎日 雲がまっさおに
それをぬぐってくれる
山形県西村山郡西川町岩根沢の廃校になって間もない岩根沢小学校の校庭に、青空を背景にしてこの詩が掲げられていた。
子どもたちを励まし、大らかな、希望を抱かせる詩である。
詩人の名前は丸山薫。
妻の祖母の弟である。
戦争末期の昭和20年4月に岩根沢に疎開し、3年間を過ごしている。このうち2年間、この岩根沢小学校で代用教員を務めたのである。
山形の友人と話している時、ひょんなことから丸山薫の名前が出た。妻の血筋なのだというと友人が驚いて、叔父に当たる人が丸山薫と親交があり、記念館の設立にも奔走したと聞いて、今度はこちらがびっくりした。
1昨年の6月、案内してもらって岩根沢を訪れた時に写したものの中の1枚に写っていた。
岩根沢は出羽三山の月山に続く山腹のへき地にあった。
山形県内でも有数の豪雪地帯であるらしい。
この小学校で丸山薫は児童たちに詩の楽しさを教えてゆく。
そして今でも心根が残されていて、丸山薫記念館が主催して詩のコンクールが行われていることを知った。
記念館に掲げられている詩の数々は、どれも瑞々しい感性に溢れたものばかりで、しかも純朴な様子がよく伝わってきて、素直な目で自然や世の中や周りの人々を描いている作品が多いのに目を見張らされた。
山里の子どもたちというのはかくも感性を磨かれて暮らしているのか、と驚かされたものである。
3年を過ごした岩根沢では「北国」「仙境」などの作品集を残している。
そのうち「北国」から「白い自由画」と題した作品。
「春」という題で
私は子供達に自由画を描かせる
子供達はてんでに絵具を溶くが
塗る色がなくて 途方に暮れる
ただ まっ白い山の幾重なりと
ただ まっ白い野の起伏と
うっすらした墨色の陰翳の所々に
突き刺したような疎林の枝先だけだ
私はその一枚の空を
淡いコバルト色に彩ってやる
そして 誤って まだ濡れている枝間に
ぽとり! と黄色の一と雫を滲ませる
私はすぐに後悔するが
子供達は却ってよろこぶのだ
「ああ まんさくの花が咲いた」と
子供達はよろこぶのだ
おそらく、今頃の時期の教室風景なんだろうなぁ。
山形県西川町の旧岩根沢小学校校庭に広がる「青い黒板」
校庭の片隅に詩の書かれた碑が建てられている
「青い黒板」の詩
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