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平方録

海蔵寺のシオン

光則寺を出て甘縄神社や川端さん(康成)と吉屋さん(信子)の旧宅前を通り、御成通り商店街を抜けて鎌倉駅の裏駅に出る。

そこから横須賀線の線路沿いに北に向かい、北条政子開基の寿福寺、徳川家康の側室だったお勝の方(のちの英勝院)を開山とする英勝寺の前を通って谷戸のどん詰まりにある海蔵寺まで行く。

略縁起によれば元は真言宗の寺だったが、鎌倉幕府滅(1333年)の際、兵火により焼失。1394年に第二代鎌倉公方足利氏満の命によって上杉氏定が禅宗寺院として再建したとあり、開山は謡曲「殺生石」で有名な心昭和空外(源翁禅師)で、今に続いているという。

門前には「底脱ノ井」、境内南の小さなトンネルを抜けた先の岩窟には「十六ノ井」があり、それぞれエピソードを湛えている。
花の寺として知られるが、知る人ぞ知る存在で、観光バスは入ってこれないし、足の便が悪いせいか、ここが大勢の観光客でにぎわうことはまずないといっていい。
鎌倉の禅寺らしい静かな佇まいの落ち着いた雰囲気の寺である。
 

海蔵寺は臨済宗建長寺派の禅寺
鎌倉駅の裏駅(西口)を出て、真っすぐ進み信号を右折してそのまま一本道をずんずん進む
寿福寺を越え、英勝寺を過ぎ、横須賀線の線路と離れても道なりにずんずん進むとやがてこの門が見えて来る
徒歩20分余りくらいか


山門への階段の両脇にはハギが覆いかぶさるが、花はまだ早かった


階段を上ると両肩にハギが触れる


咲いていたのはこの2,3輪


山門をくぐると目の前に本堂が現れる 手前には紅い和傘が…(以前はもっと鮮やかな深紅でよく目立ったが、年月を経て色あせてきた)
拝観料はこの和傘の下に置かれた小さな台上の木箱に納める方式で金100円ナリ
「扇谷山海蔵寺寺略縁記」と書かれた小さな冊子をもらえる


本堂の右手には(隠れて見にくいが)茅葺屋根の庫裏、そして鐘堂が建つ


背丈2mほどのシオンがポツリポツリ咲き始めていた


背が高すぎて花そのものを真上から撮るのはなかなか難しい
シオンはまとめてたくさん植えられていて、毎年秋は見事な景観を生み出す
これだけたくさんのシオンを咲かせる寺は鎌倉でもここだけだろう


茎は一直線に空目指して伸びるため、1本1本に支柱が添えられて倒れたり寝たりしないように手厚く守られている
 

シオンとは正反対に地べたを這うように伸びる紫色の花(奥の建物は本堂)


多分、バーベナだと思う


キキョウが咲き出していた


ヤマブキだろうか? それにしても季節外れ


本堂脇の山はきれいに整備されている


本堂裏手には心字池を配した回遊式庭園(残念ながら非公開)が広がり、一角には書院が建つ


本堂横の玄関から奥の庭園と書院がのぞめる


大きな茅葺屋根が目を引く堂々たる庫裏
この広い所で写真を撮っていると、ハチが飛んできて右手の甲にとまった!
それも大きなハチで、ビックリして慌てて大きく手を振って振り落としたが、ここに来る前に立寄った光則寺でスズメバチの大きな巣を見たばかりだったので、少し肝を冷やした
ホントに大きなハチで全身黄色いで腹に焦げ茶色の縞模様があった
スズメバチだったかどうか知らないが、振り払った後に襲われないで本当に良かった クワバラクワバラ
 
庫裏の屋根とフヨウ
 

庫裏とノウゼン
う~ん、それにしても花が少なくて寂しい…


庫裏と鐘堂の周囲には出番を待つ大きなモミジの木が何本か繁っている
 

鐘堂の鐘と和傘、その奥の仏殿を見る
12月になれば和傘の上のモミジが真っ赤に色づくことだろう




 
 
 
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