「長野県」で調べてわかった、
日本人に不足している「意外なもの」
微量元素はなぜ大切か
体内に占める割合がごく微量であっても、
その不足や欠損が重要な影響を健康に及ぼす例は少なくない。
たとえば、わが国の貧血症の患者数は
約1000万人にものぼるといわれている。
貧血症の種類にもいろいろあり、鉄欠乏性貧血(全体の60~80%)、
悪性貧血、溶血性貧血、再生不良性貧血、
続発性貧血など多様である。
どの貧血症も、基本的には赤血球中のヘモグロビンが不足している。
したがって、鉄剤を飲み、
鉄を多く含む食事をとるようにと勧められる。
しかし、鉄剤を与えても貧血が治らない場合がある。
そこで、実験用のラットに、動物の肝臓、レタス、
トウモロコシの乾燥物を鉄剤とともに与えたところ、
貧血が治ることが発見された。
これらの乾燥物に銅が含まれていることがその理由だった。
こうした実験から、銅は貧血治療に有効であることがわかったのだ。
その後、銅だけなく、亜鉛も必要であることがわかり、
銅や亜鉛が体内におけるヘモグロビンの合成や
輸送に関係することが明らかにされた。
さらに、悪性貧血には、
ビタミンB12 も関係していることがわかった。
ビタミンB12 は、コバルトを含む唯一のビタミンである。
ビタミンB12 が不足すると、
骨髄でつくられる赤血球の形が正常でなくなるが、
これらの結果は、ラットだけでなく、人でも同様だった。
貧血症は、鉄やヘモグロビンの不足と
簡単にとらえられることが多い。
しかし、実際には鉄に加え、銅や亜鉛、コバルトも関係しており、
これら各元素がヘモグロビンの合成や輸送に
複合的に働いていると理解されるようになった。
微量元素や超微量元素が不足しただけで、
大きな健康被害が出ることもあるのだということが、
おわかりいただけただろう。
もう一つの例を紹介しよう。 アメリカのプラサドは、
イランで顔つきや身長、体重、性的発育などが
10歳程度にしか見えない
21歳の患者(小人症)を診察したとき、当初は鉄不足ではと疑った。
だが、いろいろと調べるうちに不足しているのは
亜鉛であると考えた。亜鉛を投与したところ、
小人症の患者の肉体的・性的発育に改善が見られ、
不足していたのはやはり亜鉛だった。
亜鉛不足の原因は、パンにあった。彼らがイランで日ごろ食べていた
未発酵のパンには、フィチン酸という化合物が多く含まれており、
これが食品中やもともと体内にあった亜鉛と結合することで、
亜鉛の吸収を抑えている、あるいは亜鉛の体外への排出を促している
と理解されるようになった。
これは、人における亜鉛欠乏症を発見した最初の例であり、
この研究をきっかけとして、
亜鉛欠乏と食事の関係が注目されるようになった。
私たちの日常にひそむ「微量元素不足」の危険性
私たちの日常にも、微量元素不足の危険はひそんでいる。
倉澤隆平博士が長野県で調べた興味深い結果を紹介しよう。
約1400人の住民の血清中の亜鉛濃度を調べたところ、
血清亜鉛値80マイクログラム/デシリットルを基準にして考えると、
長野県の人びとは亜鉛欠乏の傾向にあることがわかった。
長野県の人びとだけが特殊な食事をしているわけではないので、
これは日本国民全体にも当てはまると考えられる。
老齢化ともに亜鉛が不足していくことは以前から指摘されていたが、
亜鉛が不足すると、食欲減退や生活活性の低下、抑うつ傾向、
味覚異常が現れ、長期に病床にある場合には褥瘡(じょくそう)
などが起こりやすくなると警告されている。
現在までに、人体からは亜鉛を含む
タンパク質や酵素が300種類以上発見され、
細胞への亜鉛の出し入れを調節しているトランスポーターも
約30種類ほど知られているが、これらと亜鉛欠乏との関わりは、
これからの研究を待たねばならない。
いずれにしても、健康を守るため、
あるいは病気の原因を探る方法の一つとして、
微量元素をよく考えることは大切だ。
健康診断のときに、血液中の微量元素濃度を
診断項目に加えることができれば、
原因不明の病気を含め、将来の健康を考える
重要な指標になると期待される。
元素は「友だち」
元素周期表。113番は2016年11月に「Nh」
つまり「ニホニウム」となった(Photo by iStock)
私たちは宇宙の星くずから生まれ、
地球に存在している多くの元素を利用して進化し、
いくつかの元素は私たちの生存や健康と深い関わりをもっている。
この地球に存在する多くの元素は、
ロシアの化学者メンデレーエフ(1837~1907年)が発明した
「元素周期表」にまとめられた。
中学生のころ、「すいへーりーべぼくのふね……」と唱えながら
元素の配列を覚えた、あの周期表である。
63種類の元素の整理からスタートした「元素周期表」は、
その後も発展を続け、現在では118種類の元素が収められている。
この周期表は、ダーウィンの進化論、アインシュタインの相対論
と並ぶ、人類の宝物といえる。
周期表に掲載されている118種類の元素のうち、
自然界に存在する約90種類の元素の一つひとつが
私たちの体をつくり、命を動かしている。
イギリスの哲学者ラッセル(1872~1970年)はかつて、
「ヨウ素が不足すると、賢者だった人がお馬鹿さんになる。
精神現象は物質的な構造と深く関係しているように思える」
といった。
現在では、ヨウ素だけでなく、ナトリウム、カリウム、
カルシウム、マグネシウム、鉄、銅、マンガンなどが、
神経や精神の働きに関係していることがわかってきている。
アメリカのサイエンス・ライターであるキーンは、
「私たちは頭のてっぺんからつまさきまで、
周期表に支配されている」と述べている。
私たちの体内で重要な役割を果たしている微量元素をはじめ、
個性豊かな118個の元素たち。彼らは私たちの生命と
毎日の生活にとってかけがえのない大切な友人たちだ。
たくさんの元素が並んでいる周期表は、
一見無味乾燥に見えるかもしれない。
けれどもそこは、命を、健康を、地球を、
宇宙を考えるための素敵なガーデンだ。
彼らに関する最新情報が詰まった『元素118の新知識〈第2版〉
引いて重宝、読んでおもしろい』を片手に、
このガーデンを巡り歩き、
元素たちと無二の親友になってください!
さらに続きとなる<ゴム手袋を装着して触ってもアウト…
殺人事件にも使われた「タリウム」の「致死量」と「特徴」>では、
殺人事件に使用され話題となっている
タリウムについて詳しく解説する。
桜井 弘(京都薬科大学名誉教授)