はじめに
昆布は不思議な食品です。北の海(北海道と東北の一部)でしか採れないのに、日本全国で食べられ、様々に加工され利用されています。一人あたりの消費量は富山県と沖縄県が一位二位を争い、日本の最も北でしか採れない昆布が、一番南の沖縄で毎日の食卓に欠かせない食材となっています。昆布の食べ方にも、各地でいろいろあって面白いものです。
海に生えている昆布をそのまま食べるのは、貝類や往古の海牛(デスモチルス)をはじめとする哺乳類ですが、人は採取した昆布を干して乾燥させてから食べることを思いつきました。浜に打ち上げられた昆布が自然乾燥し、それを食べたところから昆布を干すすべに思い当たったのでしょう。
海から揚げたばかりの濡れた昆布を、北海道辺りの原始の人々は食べたのでしょうか? しかし、魚介類が豊富にある時にはほとんど無視されたと思われます。
干して乾燥した昆布を食べるのが、昆布食のはじまりのようです。乾燥していれば保存が効きます。昆布は人類最初の保存食として、厳寒期に食されたのでしょう。また、乾燥した昆布は移送がたやすい。昆布は最初の長距離交易食品であったかも知れません。
出し汁をとって、あとは捨ててしまう使い方があれば、昆布を煮込んで食べる所も多くあります。さらに昆布は、様々に加工できます。
まず、形を変えます。細かく切ったり、あるいは酢で柔らかくして薄く削ったりします。調味料と共に煮込んで、味や歯ごたえを楽しむのにも色々な種類があります。お菓子として加工するのも古くから行われています。
昆布は採れる所が遠く北に限定されていますので、古くは貴重品として神や仏に供えられ、大切に利用されました。
後に、海運が盛んになると大量の昆布が北から移送され、庶民の食卓へも上るようになり、日本の一般的な食品となったのです。
特に戦時中、昆布は統制の対象になり、需要の有無にかかわらず全国一律に配給され、食料の不足した頃ですからそれまで昆布を食べなかった所でも食べるようになりました。
昆布は、日本の食文化を代表する食品であるばかりでなく、借金国だった薩摩藩を清国への昆布輸出で儲けさせ、近代兵器を備えた強国へと転換させ、それによって幕府を転覆させて日本の近代化を決定づけた、政治的にも大きな役割を果たした史上希な食品でもあります。
したがって、昆布に関する全貌を知ることは、日本のはじまりからの全てを知ることと同様に、その広がりも深さも大きく、わずかの知識や労力では追いつきません。それで、以下では、昆布と敦賀の結びつきにしぼり、簡略に述べるにとどめます。
昆布が特殊な食品であるように、敦賀も特殊な地勢の町として位置づけられます。敦賀の昆布との出逢いも、その特殊性によるものです。昆布が敦賀を変え、敦賀も昆布を変えて共存を計って来ました。そのパートナーシップに光をあてることが出来れば幸いです。
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