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敦賀茶町台場物語 その13

2021年04月11日 | 小説

敦賀茶町台場物語 その13

 

奉行と肝煎が席に着くと、刑場役人二人に両側から腕を取られたお絹が、よろよろとした足取りで刑場の中程へと連れられてきた。背を屈め、下を向いたまま顔を上げようとせず、いまにも崩れ落ちそうな危うい歩き方だ。そんなお絹は見たことがない。お絹はいつも、自分の容姿に自信があるのか、顎を突き出すほど顔を上げて、人目を惹きつけるように思わせぶりに歩く。お絹のことを知らない者が見たなら、つい目を遣ってしまうこともあるようだ。年増だが、ちょっと気になる女といったところか。しかし、今朝のお絹にはそんな華やかさは微塵もない。過酷な拷問はお絹を生きたまま地獄に突き落とし、死んだ方がましだと思わせる責苦から逃れられるならば、たとえ刑場であっても極楽なのかもしれない。

刑場の周りは竹の柵で囲まれており、見届け衆は中へ入れない。それでも、思ったよりも近くに見えるものだなと、又吉は驚いた。知人だからそう思うのか。

厳しい取り調べにやつれたお絹は、小粋に結っていた髪が汚く解かれ、小生意気な顔は涙か汗か涎かが混ざり合ったもので濡れ、こけた頬にほつれた髪がへばり付いていた。三日三晩飯も食わされず、眠る間もなく拷問され続け、精根尽き果てて罪を認め、ようやく許されたのだ。近くに寄れば悪臭がするのではと思えるような、着物の汚れ具合だ。

お絹は両脇に立った男二人に、一枚しか着ていない薄い着物を剥がれ、うつ伏せに寝かせられた。地面に打ち込まれた四本の杭に、両手両足を拡げて括り付けられる。身動き一つもできないが、朦朧としているお絹には自分がどんな姿になっているのかすら分からないだろう。

敲き刑は、二人の敲き役が交互に五十ずつ、竹を割いて作った棒で背中や尻を敲く。もう一人、声に出して数を数える者がいるので、その声に合わせて敲く。賄賂をはずめば途中で数を飛び抜かしたり、敲く力加減を緩めたりと、融通が利いた。ただ、あまりにも世間から憎まれていると、金の力も通じないこともある。お絹の場合はどうだろうか。実家からかなりの賄賂が役人へ渡されているはずだが、はたしてどのくらい手加減があるだろうか。

お絹が敲かれるのが面白くて見に来た又吉ではない。お絹の亭主と顔を合わせるのは辛い。しかし、見に来なければ町内の隣人で作る五人組内で問題にされる。知り合いだからという理由でお上の仕置きを見に行かないと町役に密告でもされたら、今度は又吉が罰を受けることになる。それで、気が重いという妻のお美代と共に、子供三人を連れて歩いてきたのだ。上の子二人には、この咎人がどんな罪を犯したのかをきちんと教えるつもりだ。一番下の子はまだ幼いので、何が起きているのか分からないだろう。それでも、歩ける者は全員が見に来なければならないのだ。

又吉はふと、五、六人間を置いた右手に、船町に住む船大工の松五郎の女房、お八重が立っているのを見かけた。お八重は手拭いを頬かむりにし、端を銜えていた。強く噛み締めながら、睨みつけるようにお絹を見ていた。お八重にはお絹に大きな恨みがあることを、又吉は思い出した。

 

茶町台場の普請が始まって間もなく、石積みを進めていた時に、下の石のがたつきを直していた石工の重松の頭上で、左官の弟子たちがふざけて飛び跳ねていて、親方にどやされたことがある。ふざけていて石を落下させたら、下にいる者に当たって大怪我をする。その時も、左官の弟子たちが逃げようとして上の石を蹴ってしまった。「危ねえ!」と叫んで重松を突き飛ばしたのが松五郎だった。

重松は間一髪無事だったが、運悪く足を滑らせた松五郎のその足の上に石が落ちた。当たり具合も悪く、膝の下で骨が砕けて折れた。ぐにゃりと曲がって骨が突き出たところから血が噴き出した。その時、又吉は離れたところにいたが、騒ぎを聞いてすぐに駆け付けた。重松が松五郎の折れた足の膝の上をきつく縛り付けているところだった。直ぐに戸板が届き、松五郎を寝かせて一番近い茶町の玄庵という医者へ運んだ。

松五郎は奇跡的に一命をとりとめたものの、折れて裂けた傷口がなかなか塞がらず、砕けた骨の接合も難しかった。江戸や大坂では、手足を切断しても切口を腐らせずに治す蘭方医の新たな技が話題となったが、敦賀にそのような最先端の技術を持った医者はいない。重松は痛みに耐えて寝ている他に、どうしようもなかった。亭主が怪我で寝付いているだけで家計は逼迫する。松五郎の世話は上の娘のお鈴に任せて、お八重は造船場へ下働きに行った。それでもまだ足りなかった。お鈴の下には三人の兄弟がおり、さらに日頃から癪に苦しむ松五郎の母親が同居していたのだ。

お八重は、大家の紹介でお絹から金を借りた。高利だが背に腹は代えられなかった。

ひとまず医者への支払いは済ませてほっとしたが、松五郎の状態は好転しなかった。傷の化膿は治らず、痛みも続いていた。

一月ばかり治療で寝ていた松五郎だったが、痛みに耐えかねたのか、気弱になってもいただろう。大雨の夜、寝床から抜け出していなくなった。這って行ったらしい。

雨の上がった翌朝早く、近くの川に浮いている松五郎を見つけたが、もう息はなかった。葬式の日、お絹は使いの者を寄こしてお八重に借金の返済を迫った。払えないのなら娘のお鈴を身売りに出して金を作ればいいと、使いの男は冷酷に言い放って帰った。その夜、お鈴が唐仁橋町の船宿へ身売りすると、自分で言い出した。お八重は身を捩って泣いたが、お鈴は泣かなかった。父親の看病をしながら、ずっと考えていたのだろう。お鈴の立場では他に金を作る方法はなかった。お絹がお鈴の背を押したのではあるが、他に道は無かったのだ。

 



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