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敦賀茶町台場物語 その9

2021年04月07日 | 小説

敦賀茶町台場物語 その9

 

奉行所から町人たちへ伝えられた湊の防御についての心得は次のものだった。

 鎖国制度のもとでは、敦賀湊へはいかなる外国船も入港を認められないことは言うまでもない。もしもそのような船があれば町民総がかりでこれを撃破しなければならなかった。

 しかし世界の情勢が変わり、日本へ通商を求める国が増え、日本近海を航行する外国船の増加によって、難破遭難する事態の生ずる恐れが現実のものとなり、より柔軟な対応が必要となった。そこで幕府は、そのような救助を求める外国船には薪・水を与えよという薪水令を天保一三(一八四二)年に出したが、中には補給と偽って日本の国情を探ろうとする船もあったようだ。

 敦賀へはそのような外国船の寄港はなかったが、将来に備えて敦賀の奉行所は次の触れを嘉永四(一八五一)年に出したのである。

『近年異国船が日本の近所へ罷り来て、薪水など所望するに事寄せて、または鯨取りなどを申し立て、とかく日本の様子を伺う模様にて、陸に上がり田畑を乱暴する事も有ると聞くので、公儀もその手当をすることとなった。

全体日本は、神代以来独立の国にて、これまで外国の指図を請うことも無く、わずかの大地も外国に取られた事も無い。外国の騒動の様子をよそに聞くが、外国とは関わり無くも何一つ不自由もなく先祖以来子々孫々まで安穏に暮らしているという、世界中に類いもなき有難い事にて、莫大の御大恩は申す迄もなく、右のような事故、今日に至り異国人に乱暴されるような事が万々一にも有れば、日本国中の大なる恥にて、開闢以来の人に対しても、末世の人に対しても申しわけない事になる。

それゆえ恐れながら、上御壱人様より下末々まで心を合わせ、この国を守り、昔より無かった恥をかかないように骨を折るのが第一の心得で、さらに他国も同様に、日本国中一家内同様の心得にて、万々一異国船が来て不作法致す時は、上下男女の差別なく命を捨ててこの国を守る心得が第一の務めである。

異国人何程大勢来ても、船に乗るだけの人数ゆえ、たかの知れたもので、大筒の鉄砲を打つにしても、一人一人狙っているよりは、船を打ち砕き、陸に待ち居て討ち取って、一致して働けば、何程の大船が幾艘もやって来ても、恐れるにたらず。

ただ汚き異国人に神国を汚させじと励むように心得て、その働きによっては格段のご褒美も有る。めいめい心がけ次第にて、日本国に対する大なるご奉公であるから、このように申すので、よくよく心得て励むように。

嘉永四年六月』

 



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