還暦を迎えた初老のつぶやきNO.2

人生を一回りして、ふと振り返ると・・・。
還暦を迎えて、再スタートかな?
感ずるままにつづってみようかなと・・・!

後生こそ一大事

2012年06月08日 17時56分40秒 | 信仰
一帖目第十通
 そもそも吉崎の当山において、
多屋の坊主達の内方とならんひとは、
まことに先世の宿縁あさからぬゆえとおもいはんべるべきなり。
それも後生を一大事とおもい
信心も決定したらん身にとりてのうえのことなり。
しかれば内方とならんひとびとは、
あいかまえて信心をよくよくとらるべし。
それまず当流の安心ともうすことは、
おおよそ浄土一家のうちにおいて、
あいかわりてことにすぐれたるいわれあるがゆえに、
他力の大信心ともうすなり。
さればこの信心をえたるひとは、
十人は十人ながら百人は百人ながら、
今度の往生は一定なりとこころうべきものなり。
「その安心ともうすは、いかようにこころうべきことやらん、
くわしくもしりはんべらざるなり。」
 こたえていわく、
「まことにこの不審肝要のことなり。
おおよそ当流の信心をとるべきおもむきは、
まずわが身は女人なれば、
つみふかき五障・三従とてあさましき身にて、
すでに十方の如来も、三世の諸仏にも、
すてられたる女人なりけるを、かたじけなくも弥陀如来ひとり、
かかる機をすくわんとちかいたまいて、
すでに 四十八願をおこしたまえり。
そのうち第十八の願において、
一切の悪人・女人をたすけたまえるうえに、
なお女人はつみふかくうたがいのこころふかきによりて、
またかさねて第三十五の願になお女人を
たすけんといえる願をおこしたまえるなり。
かかる弥陀如来の御苦労ありつる御恩の
かたじけなさよと、ふかくおもうべきなり。」
 問うていわく、
「さて、かように弥陀如来の、われらごときのものをすくわんと、
たびたび願をおこしたまえることのありがたさを、
こころえわけまいらせそうらいぬるについて、
なにとように機をもちて、
弥陀をたのみまいらせそうらわんずるやらん、
くわしくしめしたまうべきなり。」
 こたえていわく、
「信心をとり弥陀をたのまんとおもいたまわば、
まず人間はただゆめまぼろしのあいだのことなり、
後生こそまことに永生の楽果なりと、おもいとりて、
人間は五十年百年のうちのたのしみなり、
後生こそ一大事なりとおもいて、
もろもろの雑行をこのむこころをすて、あるいはまた、
もののいまわしくおもうこころをもすて、
一心一向に弥陀をたのみたてまつりて、
そのほか余の仏菩薩諸神等にもこころをかけずして、
ただひとすじに弥陀に帰して、
このたびの往生は治定なるべしとおもわば、
そのありがたさのあまり、念仏をもうして、
弥陀如来のわれらをたすけたまう御恩を報じたてまつるべきなり。
これを信心をえたる多屋の坊主達の内方のすがたとはもうすべきものなり。
あなかしこ、あなかしこ。
   文明五年九月十一日
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この御文章を読む女性にとっては、
えっ?そんなに女って悪い人間なん?と思う人が
いるだろうな・・・。
(女人なれば、つみふかき五障・三従とてあさましき身にて、
すでに十方の如来も、三世の諸仏にも、すてられたる女人)
なんとかわいそぉーな人間に生まれてしまったのだろう。
お悔やみ申す。なむあみだぶつ・・・・。
そんな女性でも救われるとあるから、感謝!感謝!だな。
後生は永遠に楽果なりと、人間世界はつかの間の
苦楽半ばの世界、長くて八十年?
でも死後は、永遠だという。
それも楽しみだらけ?あはははは
となると、やっぱり後生こそ一大事だ!
 なむあみだぶつ まぬあみだぶつ・・・・。合掌


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