還暦を迎えた初老のつぶやきNO.2

人生を一回りして、ふと振り返ると・・・。
還暦を迎えて、再スタートかな?
感ずるままにつづってみようかなと・・・!

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申し上げます!

2011年03月15日 18時20分49秒 | 具申

東北地方太平洋沖地震災害!
連日マスコミで被災地の状況を流している。
今日で4日目なのに、まだ避難所には、不足だらけの状態である。
原発も大変であるが、今生きようとしている人が、最優先ではないか!
がれきの下で、かすかな息をして、助けを求めている人も必ずいる。
政府の体たらくは何事かと思うほどである。
国難であると首相は言う。ならば、もっと徹底せよと言いたくなる。
作業着を着ればいいと言うものではない。
範囲は広い。行き届かない所ばかりで、指揮官の指示が行き渡ってないのだろう。
自衛隊というしっかりした組織があるのに、なぜもっと利用しないのか?
指示系統が成っていないと感ずるのは、私だけであろうか?
今の政治家は、やっぱり政事屋である。くその役にもたたん。
地震という敵が東北に攻めてきたのだ。
敵を向かえ、国民をいかに守るか!これが自衛隊の本文ではなかろうか?
敵は地震であった。その地震が津波という援軍を得て、
東北地方の太平洋沿岸にに攻めた来たのである。
そして、国民の命を略奪していった。
その国民を守るのが自衛隊である。
攻められたら守る。
訓練されてきた自衛隊が中心になって、すべての被災地に全部隊を送れ。
役所関係は、自衛隊の組織化の元で、活動すればよい。
情報は、本部の自衛隊参謀に集約すればよい。
戦争である。手薄なところがないよう作戦を早急に練り、すぐ実践である。
そうでもしないと、国民の命は、一つ、又一つ消えていくことになる。
菅よ!おまえはわかっていない!
ぼんぼんだらけの政事屋では、女優まがいの政事屋では、この戦争に勝てないぞ!
戦争だと思って取り組め!
自衛隊にすべて、権限を与え、戦争に取り組め!
ゆうちょなことは言ってられないはずだ。総動員である!
被災者が求めているのは、迅速な救助である。
考える前に動かせ!動いている中で、次の手を打て!
2段、3段構えで、被災地に向かえ!
足らないものは、後続部隊が持っていけ!
道路でいけないところは、ばんばんヘリを飛ばせ!
足らなかったら、民間のヘリを使え!
命を救え!

コメント

みんなで助けなくては!

2011年03月13日 18時17分31秒 | 生活

大変なことになってしまった。
地震発生からテレビを見ていたが、だんだんと地震の脅威が伝えられた。
最初は、それほどと思っていたが、今日の災害の結果をみていると、言葉も出ない。
なんとかしなくては・・・・。
災害義捐金も、早々にあちこちで受付を始めている。
みんなの小さな援助が、災害地の人々を救う!
みんなで、参加しよう!出来ることから、気がつくことから・・・。
本当に、今更ながら津波の恐ろしさを知らされた感じだ。
幼少の頃、伊勢湾台風があったが、そのときに上流の堤防が決壊して、
母と兄たちと避難したのを思い出す。
父は一人の残って、上流から流れてくる漂流物が家に当たらないようにと、
一人で奮闘したということだった。お陰で我が家は床上浸水で難を逃れることができたと、
当時の父は語っていた。
翌朝になると、家の回りは、漂流物で一杯だったのを覚えている。
我が家は堤防から100m位離れていたが、裏の堤防付近には数戸の家があったように思う。
それらの家が流されたようで、フトンやら畳等、生活用品が散乱していた。
小さいながらもその当時の光景は、今も心に刻まれている。
消防署の人たちが戸板に、流されて言った人を運んでいることも、
この目に焼き付いている。
今回の地震も、行方不明者が把握できないとまで報道している。
町毎消え去っている。
被災者の談話に、疑獄絵図とまで言っているのが印象的だった。
帰る家がない、消息不明、死者が・・・・。
少しでもみんなの善意で、力付けてあげなくては・・・。

大変なことになってしまった。
地震発生からテレビを見ていたが、だんだんと地震の脅威が伝えられた。
最初は、それほどと思っていたが、今日の災害の結果をみていると、言葉も出ない。
なんとかしなくては・・・・。
災害義捐金も、早々にあちこちで受付を始めている。
みんなの小さな援助が、災害地の人々を救う!
みんなで、参加しよう!出来ることから、気がつくことから・・・。
本当に、今更ながら津波の恐ろしさを知らされた感じだ。
幼少の頃、伊勢湾台風があったが、そのときに上流の堤防が決壊して、
母と兄たちと避難したのを思い出す。
父は一人の残って、上流から流れてくる漂流物が家に当たらないようにと、
一人で奮闘したということだった。お陰で我が家は床上浸水で難を逃れることができたと、
当時の父は語っていた。
翌朝になると、家の回りは、漂流物で一杯だったのを覚えている。
我が家は堤防から100m位離れていたが、裏の堤防付近には数戸の家があったように思う。
それらの家が流されたようで、フトンやら畳等、生活用品が散乱していた。
小さいながらもその当時の光景は、今も心に刻まれている。
地元の消防団員の人たちが戸板に、流されて亡くなった人を運んでいる光景も、
この目に焼き付いている。
今回の地震も、行方不明者が把握できないとまで報道している。
町毎消え去っている。
被災者の談話に、疑獄絵図とまで言っていたのが印象的だった。
帰る家がない、消息不明、死者が・・・・。
少しでもみんなの善意で、力付けてあげなくては・・・。
 

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