皆さま御無沙汰しております。
おそらく二ヶ月も更新の間隔が開いたのは初めてじゃないかと思います。
御心配されておられる方がいらっしゃったら申し訳ありません。
(いたかどうかは判りませんが・・)
実は先日、母が亡くなりました。
突然の話ではなく、約2年前から徐々に病気が悪化した結果であり、我々にはすでに覚悟ができておりましたのでそれほどショックを受けたとかいうわけではありません。
しかし、病気の母の世話から葬儀までバタバタと過ぎていきましたので少々疲れてしまい、ブログを書く気力が失われていました。
3週間ほど経って少し余裕が出てきましたので、この場でご報告をさせていただきたいと思います。
これまで母に関わった皆様方、誠に有難うございました。
さて、ここから先は私と家族のために、これまでの闘病生活を記録として書きとめようと思います。
少々重い話になりますので、読みたくない方はパスしてくださって結構です。
2年前の夏、母はお腹の調子が悪くなりました。
単なる食あたりかなんかだろうと思ったようですが、いつもより少々しんどかったので行きつけのO医院を受診しました。
お腹の張りが強いため念のため超音波検査をしたところ、お腹の中のリンパ節が沢山腫れている事が判りました。
詳しい検査をするために近くの総合病院を紹介していただき、胃内視鏡とCT検査を行いました。
数日後、ここまでのことを母から電話で知らされました。
そして後日一緒に結果を聞きに行くことにいたしました。
結果は・・
胃癌でした。
もちろん早期癌ではなく、進行癌です。
内視鏡で採取した細胞は印環細胞癌という診断で、非常に悪性度の高いタイプでした。
CTでは腹腔内に無数かつかなり大きくなったリンパ節転移が確認されました。
胃癌の進行度はStage Ⅳと一番悪いものとなります。
対応された先生は非常に気の毒そうな顔をしながら、
「手術は出来ません、抗がん剤治療しか手はありません。」
と、仰いました。
その診断書を持ってO医院に行くとかなり驚いた表情をされていました。
O先生は悪性リンパ腫ではないかと思っていたそうです。
悪性リンパ腫なら化学療法が良く効くので希望が持てると思っていたそうです。
O先生の紹介で神戸の某病院で抗がん剤治療をしていただくことになりました。
そこでティーエスワン及びシスプラチンという薬を始める事になりました。
副作用は食欲不振、腎機能低下、貧血、白血球減少ということでした。
正直なところ、私は抗癌剤なんて焼け石に水だろうと思っておりました。
はたしてそれをするのが本人のためなんだろうかと、悩んだりもしていました。
抗癌剤を投与して、完全に治る可能性が高いならやる意味はある。
でも、ここまで進行した癌が完治する可能性は限りなくゼロに近い。
副作用に悩みながら、ほんの少し寿命が延びてもなんになるんだろう。
自然に任せる方が幸せなんじゃないか?
そう考えたりもしました。
もし、自分が同じ状況に置かれたら・・・
本人のいないところで主治医の先生にどのくらい生きられるか聞いてみました。
長くても1年はもたないだろうということでした。
私は半年ぐらいだろうと予想しました。
正直、正月を越すのは無理かもな・・と思っておりました。
そして抗がん剤治療は続きました。
確かに食欲不振はありましたが、痩せるほどではなく、なんとか乗り切っていけました。
定期的にCT、および採血検査が行われました。
すると腫瘍マーカーの値はぐんぐん下がり、CTでも腫瘍の縮小が見られました。
抗がん剤が良く効いたようです。
でも、貧血は結構きつく、母は少し歩いただけで息切れしておりました。
主治医は肺への影響を心配していましたが、それは問題なかったようです。
無事その年は正月を迎えられました。
我が家に来てもらい、新しく来たてのニャンコ×3匹の相手をして、とても楽しそうにしていました。
春になっても調子は良いので、今のうちだ!と思い、母を旅行に連れて行くことにしました。
母はどこでも良いと言ったので、私が行きたかったイタリアに行く事にしました。
母はあとになっても
「あれは行って良かった」と、何度も言っていました。
その後も、本人の自覚症状は落ち着いていたんですが、白血球が低くなりすぎて感染症の恐れがあるということで、次の抗がん剤に変更しようという事になりました。
その際に母の家の近くのS病院に紹介されることになり、イリノテカンという抗がん剤が投与されました。
ここでも副作用が心配されましたが、特に大きな自覚症状はありませんでした。
母が最も恐れていたのは脱毛でした。
かつらも購入していましたが、髪の毛は最期まで保たれていました。
そしてまた正月を迎えました。
また我が家に来てもらい、楽しく過ごしてもらいました。
その後長男の大学合格、嫁の大学卒業を兼ねて、母の誕生会を三宮の炉辺焼き屋さんでお祝いしました。
なんと二次会には家族でカラオケに!
母は孫達の歌声を聴いて大満足でした。
イリノテカンの副作用は一見ないように見えていましたが、また白血球が下がりなかなか戻らなくなりました。
CTでも腫瘍マーカーでも腫瘍が大きくなっているのが確認されました、
主治医のH先生から次の抗癌剤タキソール(パクリタキセル)に変えましょうという話が出ました。
そうこうするうちに6月になって何度か吐くようになったと母が言いました。
検査したところ胃の出口のところに出来ている腫瘍が大きくなり、食べ物が通りにくくなっているという事でした。
またお腹にかなり水が溜まってきた(腹水)事が判りました。
そこで狭くなったところを広げる「ステント」を入れることになり、6月末から入院することになりました。
調子がよければ入院中にタキソールも始めようという事になりました。
手術は順調に終わりました。
手術といってもお腹は切らず胃カメラでステントを挿入するものなので、体にかかる負担は少ないからすぐに回復するだろうと思われておりました。
しかし翌日から何度か吐いて苦しそうにしておりました。
おかげで食事も喉を通らず点滴のみで過ごしていました。
一度私と一緒に家にモノを取りに帰りましたが、かなりしんどそうにしていました。
そうこうしていたら職場に主治医から電話がかかってきました。
「脳梗塞になってしまいました。」
仕事を切り上げてすぐに飛んでいくと手が上手く動きにくくなったということでした。
抗癌剤は延期となり、脳梗塞の治療に切り替わりました。
その後脳梗塞は改善しましたが、全身倦怠感と呼吸苦が強くなってきました。
食欲は無く、高カロリー輸液が行われていました。
なにか食べれる物はあるかと聞くと、
「シャーベットが食べたい」
近くのコンビニに行くとシャーベットはありませんでしたが、クーリッシュ レモンソーダ味というのがあり、これならシャーベットに近いかな?と思い買っていきました。
母はあまり動ける状態ではなくなってきていましたから、チューチュー吸うことは不可能と判断し、一口ずつスプーンにとって口に運びました。
母は「おいしぃ」と、小さな声でなんどもつぶやきました。
そんな頃、たまたま徹子の部屋を見ました。
ゲストはお笑い芸人の
小藪さんでした。
小藪さんは最近お母さんを亡くされたそうで、そのときの話をしておられました。
かなり病状が悪くなった時、お母さんがなにか小さな声で言うのでよくよく聞くと
「プリン食べたい・・」
小藪さんは、以前お母さんが有名なケーキ屋さんのプリンを美味しい美味しいと気に入って食べていたのを思い出しました。
すぐにバイクをとばして閉店間際のデパートで無理を言って売ってもらい、急いで帰ってきたのですが、お母さんは既に食べられる状態ではなくなっていました。間もなく、お母さんはお亡くなりになったんだそうです。
小藪さんは「プリン一つ食べさせてやる事が出来なかった・・」と後悔されておられました。
その話を聞いて、私は母にシャーベットを食べさせてあげる事ができて、幾分かは幸せなんだなと思いました。
有名店のものではなく、コンビニで買ったものではありましたが・・
いよいよ危なそうだということで、遠くの大学に行っている長男の顔を見せようということになりました。
長男は試験中でしたが、土日なら帰ることが出来るということで呼びよせました。
土曜日長男を空港に迎えに行き、その足で病院に向かいました。
母は痛み止めを使っている事もあり、かなり意識が不明瞭になっていたんですが、その日は特に朦朧としていました。
「○○(長男)が帰ってきたよっ!」
呼吸も苦しく、かなり辛そうでしたが、うんうんとうなずくのが判りました。
そしてその夜、我々家族に見守られて母は旅立っていきました。
母の葬儀は父と同様身内のみ(しかもかなり近しい親戚のみ)で行いました。
父は「坊さんも戒名もいらん!」と言っていたので無宗教で行いましたが、母は父と違って特に意思表示はなかったので、お坊さんをお呼びして仏式で行いました。
それはどちらかというと私の意志でもありました。
母は父と較べてそれほど心が強くはないので、御仏のお力にすがったほうが良いように思ったのです。
こういうことは残された者の自己満足であると、改めて考えた次第です。
最期に遺影にはこの写真を使いました。
フィレンツェのミケランジェロの丘で撮った写真です。
満面の笑顔!
これを見る度、少しは親孝行できたかな? と、それこそ自己満足しております。
抗癌剤を初めてから2年近くも生きました。
予想より1年近く長生きできたという事です。
それが意味があったのかは私には判断できません。
しかし母はその一年の間にいろいろな事が出来たようです。
もっと長生きしたいというのが母の意志でした。
母にとっては意味のあることだったのかもしれません。
物事には絶対的な正解は無いということを、また知ったような気がいたします。
皆さま、長々と失礼致しました。