(昨年のお話(^^ゞ)
今年は中之島公園から。
東会場 希望に満ちあふれる光の海
食博覧会・大阪「フッピー」オブジェ
あ!これは御堂筋イルミネーションでやっていた Wish Rabbit !?
使いまわし?いやいや、評判が良かったのでこちらでもってことだろう。
難波橋から八軒家浜を見る。
天神橋
橋の下の屋台
シャイニングリバー 雄大に流れ行く光の河
中央公会堂
月
大阪市役所
シャイニングゲート 光り輝く水の結晶
玄関前に置いてあったのも確か御堂筋で使ったものだった。
右:OSAKAあかるクロスツリー
「「OSAKAあかるクラブ」はやしき○かじん氏が理事長を務める、大阪をもっと明るく盛り上げよう!というクラブ。
その名の通り、温かみのあるデコレーションが見る人を元気にしてくれそうな、OSAKAあかるクラブの見事なツリー。」
シャイニング・オアシス わきあがる生命の泉
冬の風物詩
Mameshiba 春だよ。
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まいど、ミナミ散歩。
中座くいだおれビル1Fにある、無料で休めるスペース(たぶん)。
大阪の資料が少し置いてある。内側のシャッターなのに落書きが
珈琲の青山
田舎から大阪に就職した私には夜遅くまでネオンギンギラギンの明るさが嬉しくて、
同じく田舎から出てきた同僚と夜遅くまであてもなくブラブラ歩いて、
この喫茶店で時間をつぶしたのを思い出すな~。
だから若い子達が「何か起こるかもしれない」と夜の街をうろつく気持ちはすごくよくわかる。
もちろん実はとっても危険なことなんだけど。
戎橋の街灯はこんなにきれいだったのか。
グリコの並びのネオン、ちゃんと見たことなかった。
バックには大阪の名所が。
クルーズ船が。
赤い灯~青い灯~♪
左:大阪松竹座 右:曾我廼家喜劇発祥之地
あ!真実の口!
主人が手を入れた。手を抜くと・・・
ああああっ!ないっ!!
あ、あった~ ・・・・・ てなことやりながら散歩は続く・・・
Mameshiba
(春のお話(^^ゞ)
まいど、ミナミを散歩。
つりぼりはつりぼりでも、うなぎのつりぼり。 チョウザメも釣れる!!
大阪新名所ですよ!
うなぎつり堀 ココよ
いったんは失業したけど、また忙しくなったのか。
新戎橋
えらいおしゃれになってた。
あ!春バージョン!!
別の日
お気に入りの「たこ坊」だけど・・・
あ~あ
法善寺横町
いつもこれ何かな~と思ってたので、今回は写真を撮っておいて調べてみた。
MEOUTOビルのシンボル「宴の塔」
「景徳鎮千年際の記念プロジェクトとして二基製作されたもので、
もう一基は関西国際空港の国内出発ロビーに展示されています。」
景徳鎮て? 道頓堀との関係は?
主人と付き合ってた頃、法善寺のこのビルの2Fにあるバーによく行った。
落ち着いた雰囲気で好きだったけど、女性が接客でつくようになったので行かなくなった。
いつの間にか閉店して、シャッターも閉まったまま。テナントも入らない。寂しいなあ。
このビルにあったスナックにもよく行ったが今はもうない。
床に、食べた落花生の殻を落として敷き詰めてあって、それがママの夢?だったらしい。
でもゴキブリが出る!と、他のお店から苦情が出てやめた。考えたらそらそうやねー。衛生的にもちょっとね
Mameshiba
私の好きな御迎え人形を今年も見て歩く。
天満宮内
お迎え人形 しじみの藤棚
蜆の貝を藤の花に見立てた、造り物「しじみの藤棚」
江戸時代の大坂町人たちは、社寺の祭礼などの賑わい行事として、
趣向を凝らした人形や動物、静物を造りました。
日常的な器物や食物などの風合いに着目して、それを意外な別物に見立て、
見物の人々を楽しませたのです。これを「造り物」といい、大阪では「つくりもん」と発音します
「お迎え人形」(大阪府有形民俗文化財)
元禄期になると、氏子たちは町ごとに豪華絢爛の大型風流人形を造り、御迎船に飾りました。
これを「御迎人形」といいます。人形は当時流行の文楽や歌舞伎の登場人物をモデルに造られ、
幕末の最盛期には五十体を越えましたが、現在は十六体を残すだけです。
安倍保名(あべのやすな)
竹田出雲作の浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑」の作中人物。
1734年(享保19)年に初演、翌年には歌舞伎化もされました。
信太森(現・和泉市)の白狐の化身である「葛の葉」と契りを交わして生まれたのが、
平安時代の陰陽師・阿倍清明だと伝えられています。
数ある人形の中でもその美しい容姿が評判となり、江戸時代後期には、
天満青果物市場の銭屋孫兵衛の娘「おさわ」が、
この人形の妖艶な容姿に恋焦がれて、病に臥したという伝承も生まれました。
私の一番好きな御迎え人形
美しいお顔をされています。
これは再現されたばかりの写真だろうか。着物がすごくきれい(ネットより拝借)。
与勘平(よかんべえ)
竹田出雲作の浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑」の作中人物。
安倍の保名に忠実に仕える奴(やっこ=家来)として登場する。
鬼若丸
平安時代の僧で、武蔵坊弁慶の幼名。比叡山で修行の後、牛若丸(源義経の幼名)に仕えた。
文楽や歌舞伎の「鬼一法眼三略之巻」に登場する。
OAP内
八幡太郎義家
平安後期の武将、源義家。男山にある岩清水八幡宮において元服したため、八幡太郎と号す。
前九年の役(1051~62)、後三年の役(1083~7)を鎮圧し、東国に源氏の基礎を築いた。
帝国ホテル内
「木津勘助(きづのかんすけ)」
江戸初期の侠客。本名は中村勘助。木津川の開削や勘助島の開発にあたった。
寛永十八年の米飢饉の際、幕府の米蔵(黒田藩の米蔵とも)を打ち破って、
庶民に施したため、島流しになったと伝えられる。
天神橋筋商店街の御迎え人形
あ!そういえば今回は船渡御を一隻も見ていない!チキンラーメン船も!
ま、ええか
Mameshiba
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私にはひじょーに珍しく、ホヤホヤの記事です(^^ゞ
今年も大阪の夏を満喫するため、天神祭に行って来た。
昨年、花火の行われる25日に行って大混雑に巻き込まれ散々だったので、
今年は宵宮の24日に、日がすっかり暮れてからぶらっと散歩。
京阪電車「天満橋」で降りて天満宮を目指して歩く。
天神橋の下で龍踊り。なぜ天神祭りが「龍」にしたかというと、「狐踊り」や「狸踊り」は地味で、
天神祭りの華やかさに合っていないことから、大阪の商売繁盛の「昇り龍」を表した派手な「龍踊り」が出来たそうです。
遅いバージョン(38秒) ゆっくりとテンポから速いテンポに変わる瞬間が快感なんだけど、待てず(^^ゞ
速いバージョン(33秒)
あ!今年もちゃんと「お化け屋敷」の小屋が出てるよ~。
人ごみは出来る限り避けたいので、残念だけど今回は遠くから。
屋台で人気があったのは、カニ釣り、うなぎ釣り、ネーム入りべっこうあめ、などなど。
水煎包も行列。
あ!獅子舞! 天神講獅子の獅子舞
日本の古式豊かな伝統って素晴らしいなあ。
時代はスマホ
天満宮への出入りは一方通行になぅているので注意。
本社
催し太鼓
龍踊り
じとじとと肌にまつわりつくような蒸し暑さのなか、一杯ひっかけて、また歩く。
大川沿いの屋形船 中はまだ宴会中のようだ。
源八橋が見えてきた。
源八橋からOAP、遠くに大阪城を見る。
最近こればっかり言ってるけど、歳とともに暑さが体にこたえるようになってきた。
蒸し暑い中、人ごみにまぎれて歩くのはもう無理かも
それでもどうしようもなくまぎれこんでしまうことはあり、気分が悪くなる
Mameshibaあきまへんな~
(昨年のお話(^^ゞ)
堺市にある千利休屋敷跡。
「堺でうまれ、わび茶を大成した千利休。天下一の茶匠として権勢を振るい茶道千家の始祖・茶聖と称されています。
屋敷跡には椿の井戸と利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材で建てられた井戸屋形があります。」
千利休屋敷跡碑
夜だったので暗いですが(^^ゞ
そしてすぐ近くにある与謝野晶子生家跡
「堺に生まれ明治・大正・昭和を短歌とともに生きた情熱の歌人。みだれ髪はその代表作。
甲斐町の生家跡には「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」の歌碑があります。」
「歌碑周辺の石組みは碑に刻まれている歌にちなみ、海の波をイメージして高低に配し、
所々のの青色のタイルは光る水面を表現しています。」
暗くてわかりませんね
実は主人のおばあちゃんの友達のお姉さんが与謝野晶子だったらしく、
その友達の家に遊びに行くと、晶子がいたとか。ふーん
Mameshiba
(昨年のお話(^^ゞ)
堺市にある日本最大の古墳、 仁徳天皇陵古墳 を見てきた。
古墳の外周は1718m。 前方後円墳。
円形と四角形を組み合わせてカギ穴の形に作った日本独特の形をした古墳。
上から見ることができたらな~。
奈良に住んでいると古墳はあちこちにあって珍しくもなくて、
小学校のときから高校になっても遠足で行ったりするし、
子供の時はさほど興味もなかったし、貴重なものだとも思わなかった(^^ゞ仁徳天皇陵古墳について(堺市のHP)
Mameshiba