作家 氷室 瑠璃 

ひまわり畑は脱原発の象徴 。
世界中の核廃絶を願い執筆活動中!
リアル瑠璃をツイートしています。

絵とあらすじで綴る戦禍の子。第1話 ウサギノサンダル  (今思う事…)

2013-09-24 20:18:49 | ブログ小説「戦禍の子」


絵とあらすじで綴る 戦禍の子              
 
第1話   *ウサギのサンダル*

あらすじ

1945年、一発の原子爆弾がヒロシマに投下された。

巨大なきのこ雲の下に「原爆地獄」が出現した。

あたしは自分の身体を見下ろしたまま、じっと宙に浮かんでいる… 

その時、無残な姿で横たわるあたしの体の中から、白い靄が流れ出し

 
見る間に人の形になりどこかへ消えてしまった…

あたしはその後を追いかけ不思議な世界に迷い込んでしまった。

 気がつくと、強い風が吹き付ける小高い丘の上に一人立っていた。

全く見知らぬ場所だ…

真っ白いワンピースにウサギのサンダル腰までとどく長い髪。それがあたしを語るすべて

あたしが最後に見たビジョン… 原爆地獄の壮絶な記憶が甦る… 

記憶の中に深く刻み込まれた恐怖が黒い影となって追いかけてくる…

            
  概要  時代背景       話の舞台  広島 比治山

比治山(ひじやま)は、広島市の南に位置する標高およそ70mの小高い丘です。ここが第

1話 ウサギのサンダルの舞台です。

少女の身体を抜け出した魂は、原爆投下直後のヒロシマの街を通り抜け、

比治山に向かい飛んでゆきました。そして不思議な世界に迷い込みます。

そこには緑豊かな比治山の姿がありました。

しかし、全ての記憶を失った少女には、全く見知らぬ場所に見えたのです。

少女の心象風景が映し出した幻なのか…

1945年人類初の原子爆弾がヒロシマに投下された。

人類と「核」のカルマの渦に巻き込まれてゆく…

死んだらそれであたしは消えたのか?終わりなのか…

ここから「戦禍の子」の物語が始まります。


「戦禍の子」1話 本編
http://blogs.yahoo.co.jp/jycdd435/folder/329700.html


【今思う事…】

原発の様々な問題3.11(原発震災の被害)に及ぶまでの原発の歴史を、原発発祥の原点に帰り

『原発の真実』をおさらいしてみたいと思います。


1945年 ヒロシマ、ナガサキに原子爆弾が投下され終戦を迎えました。

日本は敗戦後、憲法7条を高らかに掲げ、非核三原則を宣言しました。

しかし現実には、国策の庇護の下〔核の平和利用〕=〔原発開発〕として、国民の目を欺

き続け、しらぬ間に商業原発は増殖し続けてきました。


知らない方が多いのですが、、岡山、鳥取の県境 「人形峠」から原発の歴史が始まった

のです。


1954年日本の原子力開発が始まり、岡山、鳥取の県境『人形峠』に最初の施設が作

られました。動燃の前身である原燃です。

1955年ウラン鉱床が発見され、採掘が始まり、1967年膨大な放射性ウラン残土を野ざ

らしにしたまま閉山。

閉山後、わずか二十世帯、100人の村人のうち、11人が癌で死亡(全国平均の約26  
倍)にものぼる。

ただ、放射能が原因であるとはまだ誰も考えていなかったのだ。

そこでのウラン鉱石の採掘により、1958年 人形峠で、鉱山の抗夫、原燃職員が、  

放射能汚染を訴える。


 その後、1988年『人形峠ウラン残土問題発覚』、1989年『ウラン残土全面撤去』を

求める訴訟を起こす。2004年結審。榎本さん勝訴

      参考書籍 『人形峠ウラン公害ドキュメント』

           榎本益美/著 小出裕章=解説 北斗出版 1995年


           『人形峠、人類の未来』 

           土井淑平/著 図書新聞 1990年
                           
そして(2010年)『高レベル放射性廃棄物の地層処分場候補地』として 

「人形峠」に白羽の矢が立ちました。

2011年3月11日 東日本大震災が起き、原発から日々流出する放射性物質の被害が

拡大。原発震災となった。

その当時既に放射能の被害者がいて、放射能の被害を訴え訴訟を起こした勇敢な男がいた。

しかし、当時原発を誘致に加担した当時の人々は、このことを知っていたのか?

日本の片田舎で起きた事件の事など、誰が知ろうか… 知っていても誘致したのかもしれ

ない…
 
人類は何故「核」を手放す事はできないのだろうか…

何を怖れているのだろうか…











    

氷室瑠璃 ブログ小説 「戦禍の子」あらすじ(加筆修正)戦禍の子…それから

2013-09-20 22:39:22 | ブログ小説「戦禍の子」
「戦禍の子」


あらすじ
    
2010年、地上は増殖し続ける核の脅威に晒されていた。「原爆」が「原発」に姿を変えて地上に蔓延する世界だった。

あたし(戦禍の子)の望んだ未来は、商業至上主義のどこにも無かった。

1945年、史上初の原子爆弾がヒロシマに投下された日、あたしはこの世から消された。

その時僅か10歳、あたしの肉体は死んだのだ。

身体から離れたあたしの意識は、二つに分離してしまった。

片方は死を受け入れ魂の帰るべき場所へと地上を去ろうとした。もう片方は死を受け入れられずその現実の場から逃げ出してしまった。


 そして… あたしは不思議なセカイに迷い込んだ


そこでは、魂の記憶した過去、未来に繋がる世界のビジョンを垣間見た。「あたしの生まれ変わるはずの未来」を魂の世界で体験したのだ。

過去とは、未来とは…… 輪廻転生、因果応報、シンプルな絶対法則の中に生かされ、学び続ける魂の真実。

自分が誰で、どこから来て何処へ向かうのか?


私たちが生きる「日本」の向かった先は…


戦後65年余、核の脅威は私たちのかけがえの無い地球を、一瞬にして滅ぼしてしまうほどの数に膨れ上がった。

日々地球環境と人類を汚染し続けています。

そして、原発震災と呼ばれる未曾有の大災害を引き起こしてしまいました。

日本は敗戦後、憲法7条を高らかに掲げ、非核三原則を宣言しました。

しかし現実には、国策の庇護の下〔核の平和利用〕=〔原発開発〕国民の目を欺き続け、しらぬ間に商業原発は増殖し続けてきました。

2011年(現在は2013年)を生きている未来の私たちに、少女は警告してきました。


 「あたしたちの転生する未来に、原発は要らない!」


もう二度と戦争や核で、尊い命が奪われることの無い未来。人々が望んだ未来は、一人一人の命が尊ばれる当たり前の世界。

終戦後の日本はそんな世界を夢見たはずだ。平和な世界を思い描いたはずだ。

しかし…現実はそうはならなかった。第二フクシマ、そして第三の悲劇を孕んだまま突き進もうとしている…

この現実を変える力は私たちには無いのか? 私たちの未来は私たちの創造物だ。

「もう一度本当に望む未来を描き直そう」 あたしは呼びかけた。「未来の世界を愛で描こう。」数多の魂がその呼びかけに答えた。


あの日、一発の原子爆弾で突然消されてしまったあたしの未来を再び手に入れる。

フクシマの悲劇を我が事と受け止め、共に未来を築いてゆこう。

あたしたちは未来(2011年~を含む現在)に転生する事を決めたから。

平和な世界を願って止まないあまたの魂たちと再び出会うために…


パンドラの箱は開き地上に災いや悪が広がった。怖くて箱を閉じた…

勇気をもって箱を開けた!

その中に 最後に残ったものは希望……  あたしの中に見つけたものは、「希望」

人を信じ、明日を信じる希望… 


以上が【戦禍の子】のあらすじです。

今、改めて読み返しながら…

「パンドラの箱は開き…」が、何のことなのか今もってわかりません。

箱の中から出てきた物は、原子力か、人類が制御しきれない放射能と言う魔物なのか…他に意味があるのか?

 
 もう一つは、戦禍の子と同じ体験をした魂が、私たちの生きている未来へ生まれ変わる決意をした事です。

何故、今なのか… 本当に「核の脅威」が無くなって、平和になってから生まれ変わって来ないのか…

そこにはカルマの清算という命題がかかわっているようです。


 広島に投下された一発の原子力爆弾で、一瞬にして命を失った。肉体を失ったあまたの魂はどこへいったのか…

輪廻転生での強烈な体験は、カルマとして、次の人生に持ち越されると言う…

原爆のカルマは、そのまま原発のカルマとして再生された。同じ過ちを違う形で繰り返してしまう…

 日本と、原爆、原発のカルマ、人類と核のカルマ…

そんなものが、果たしてあるのか無いのか…


 戦禍の子は、3月11日の未明、再び夢枕に立ち、「瑠璃、ごめん…あたし行かなきゃ…ほおっておけない…」

その瞬間、突然息苦しさに襲われ、ゴボゴボと水の中で息ができずもがき苦しむ私… 

その背筋が寒くなるビジョンから逃れようと、恐怖に怯えながら必死で主人の手を握りしめて…。

目をつむる事もできず。じっと息を殺して夜明けを待ちました…

 戦禍の子は、フクシマへ魂のまま飛んでいったのだと思います。勇敢な魂たちの許へ…

過酷な体験に身を置き、カルマの清算の先陣を切る勇敢な魂たちの許へ…

「戦禍の子の新たな物語」は、私たちと共にあります。

過去の事は未来に繋がっていると思います。瑠璃




氷室瑠璃 ブログ小説 「戦禍の子」あらすじ(加筆修正)戦禍の子…それから

2013-09-20 21:27:17 | ブログ小説「戦禍の子」
「戦禍の子」


あらすじ
    
2010年、地上は増殖し続ける核の脅威に晒されていた。「原爆」が「原発」に姿を変えて地上に蔓延する世界だった。

あたし(戦禍の子)の望んだ未来は、商業至上主義のどこにも無かった。

1945年、史上初の原子爆弾がヒロシマに投下された日、あたしはこの世から消された。

その時僅か10歳、あたしの肉体は死んだのだ。

身体から離れたあたしの意識は、二つに分離してしまった。

片方は死を受け入れ魂の帰るべき場所へと地上を去ろうとした。もう片方は死を受け入れられずその現実の場から逃げ出してしまった。


 そして… あたしは不思議なセカイに迷い込んだ


そこでは、魂の記憶した過去、未来に繋がる世界のビジョンを垣間見た。「あたしの生まれ変わるはずの未来」を魂の世界で体験したのだ。

過去とは、未来とは…… 輪廻転生、因果応報、シンプルな絶対法則の中に生かされ、学び続ける魂の真実。

自分が誰で、どこから来て何処へ向かうのか?


私たちが生きる「日本」の向かった先は…


戦後65年余、核の脅威は私たちのかけがえの無い地球を、一瞬にして滅ぼしてしまうほどの数に膨れ上がった。

日々地球環境と人類を汚染し続けています。

そして、原発震災と呼ばれる未曾有の大災害を引き起こしてしまいました。

日本は敗戦後、憲法7条を高らかに掲げ、非核三原則を宣言しました。

しかし現実には、国策の庇護の下〔核の平和利用〕=〔原発開発〕国民の目を欺き続け、しらぬ間に商業原発は増殖し続けてきました。

2011年(現在は2013年)を生きている未来の私たちに、少女は警告してきました。


 「あたしたちの転生する未来に、原発は要らない!」


もう二度と戦争や核で、尊い命が奪われることの無い未来。人々が望んだ未来は、一人一人の命が尊ばれる当たり前の世界。

終戦後の日本はそんな世界を夢見たはずだ。平和な世界を思い描いたはずだ。

しかし…現実はそうはならなかった。第二フクシマ、そして第三の悲劇を孕んだまま突き進もうとしている…

この現実を変える力は私たちには無いのか? 私たちの未来は私たちの創造物だ。

「もう一度本当に望む未来を描き直そう」 あたしは呼びかけた。「未来の世界を愛で描こう。」数多の魂がその呼びかけに答えた。


あの日、一発の原子爆弾で突然消されてしまったあたしの未来を再び手に入れる。

フクシマの悲劇を我が事と受け止め、共に未来を築いてゆこう。

あたしたちは未来(2011年~を含む現在)に転生する事を決めたから。

平和な世界を願って止まないあまたの魂たちと再び出会うために…


パンドラの箱は開き地上に災いや悪が広がった。怖くて箱を閉じた…

勇気をもって箱を開けた!

その中に 最後に残ったものは希望……  あたしの中に見つけたものは、「希望」

人を信じ、明日を信じる希望… 


以上が【戦禍の子】のあらすじです。

今、改めて読み返しながら…

「パンドラの箱は開き…」が、何のことなのか今もってわかりません。

箱の中から出てきた物は、原子力か、人類が制御しきれない放射能と言う魔物なのか…他に意味があるのか?

 
 もう一つは、戦禍の子と同じ体験をした魂が、私たちの生きている未来へ生まれ変わる決意をした事です。

何故、今なのか… 本当に「核の脅威」が無くなって、平和になってから生まれ変わって来ないのか…

そこにはカルマの清算という命題がかかわっているようです。


 広島に投下された一発の原子力爆弾で、一瞬にして命を失った。肉体を失ったあまたの魂はどこへいったのか…

輪廻転生での強烈な体験は、カルマとして、次の人生に持ち越されると言う…

原爆のカルマは、そのまま原発のカルマとして再生された。同じ過ちを違う形で繰り返してしまう…

 日本と、原爆、原発のカルマ、人類と核のカルマ…

そんなものが、果たしてあるのか無いのか…


 戦禍の子は、3月11日の未明、再び夢枕に立ち、「瑠璃、ごめん…あたし行かなきゃ…ほおっておけない…」

その瞬間、突然息苦しさに襲われ、ゴボゴボと水の中で息ができずもがき苦しむ私… 

その背筋が寒くなるビジョンから逃れようと、恐怖に怯えながら必死で主人の手を握りしめて…。

目をつむる事もできず。じっと息を殺して夜明けを待ちました…

 戦禍の子は、フクシマへ魂のまま飛んでいったのだと思います。勇敢な魂たちの許へ…

過酷な体験に身を置き、カルマの清算の先陣を切る勇敢な魂たちの許へ…

「戦禍の子の新たな物語」は、私たちと共にあります。

過去の事は未来に繋がっていると思います。瑠璃




氷室瑠璃 ブログ小説 「戦禍の子」誕生秘話 (加筆修正) 過去の体験と今思う事…

2013-09-19 14:24:03 | ブログ小説「戦禍の子」
氷室瑠璃 ブログ小説 「戦禍の子」誕生秘話 (加筆修正)

戦禍の子概要 

【戦禍の子】

 この物語は、原爆で幼い命を奪われた少女の魂が語る物語です。

私がまだ独身の頃…

1999年ノストラダムスの預言が秒読みの頃に、夢で見た事を書き残したものです。ずいぶん前のことになります…


 ある晴れた朝ベットから起き上がり、まだ夢心地のまま手元にあった画用紙の裏面に、夢の残骸にしては余りにもリアルな記憶を、

つらつらと書き始め、あとは何かに急かされるように書き上げました。

 映画のコマ割りのようなそれぞれの場面のイラストと、物語のように進んでゆく話を書きました。


 一夜の夢物語にしては、細部まで記憶している…でも…

「原爆って…? 原発って何だろう?どうしてこんな夢を見たのだろう?」

その時は、何も考えず机の引き出しにしまいました。

そして、

「物語の事」は煩雑な日常の中に埋没して、すっかり忘れ去っていたのです。


やがて、抗いがたい力に翻弄されるような人生の転機を迎え、住み慣れた故郷を離れ岡山へ…

原発の発祥の地が、ここ岡山と鳥取の県境「人形峠」だと言う事を知ったのは随分後のことになります。


【原子力発電所 見学ツアー】旅行費、食事代、四国電力が負担。


美容師だった時、組合の慰安旅行で物見遊山のように「伊方原発ツアー」へ出かけた事があります。

原子力発電所の内部を案内され、「すごいなー!(怖いな…)」と、一同でただ感心したものでした。

制御棒や、原始炉等も見た覚えが有ります。今考えるとぞっとします。

誰もが、原発の安全性に疑問も、疑いも持たず、「接待」を受け昼食に舌鼓をうっていた時代です。

無知な小市民を抱きこむことがいかに簡単か… 知らない、考えない事は原発に消極的に加担した事かも知れません…


「何の疑問も持たず…」 

その結果、日本国中の海岸線を埋め尽くすほどの原発が作られてしまいました。

その背景には、地方自治体とお原発交付金の魔力がありました。

背に腹は変えられぬ台所事情をもつ地域に、白羽の矢が…

「原発特需に沸きかえる過疎の町から…」

国を挙げての原発推進!推進派の戦略。あっという間に所得番付けのトップに!


濁流に揉まれる木の葉のように、逃れられない奔流に巻き込まれてゆく町や村…

しかし、この時既に、原発推進派、原発反対派、に分断された(町民、村民)は、

今に続く争いの火種を抱え込んでしまったのです。


 フクシマ原発の事故で、火種は全国民へと燃え広がりました。

そして、国民を巻き込んで、原発推進派、原発反対派、日和見派に分かれ、

それぞれの主義主張で戦っています。


 私は、人道的な立場から「原発反対、脱原発」を強く望んでいます。

人間が、人間らしく生きてゆくのに原発はもはや無用の長物です。

本当は、この国にも世界にも原発など一基たりとも必要なかったのかもしれません。

ただ、利権を手にしたい者達のために「無知」が利用され、だまされ続けてきたような気がします。

岡山への避難、移住希望者は年々増加しています。市町村は、民間ボランティアに遅れを取ながらも、

本格的な移住支援の整備に着手し始めました。目的は紛れも無く放射能の被害、危機を回避するためです。

国民が騒然としているのは、震災被害ではないのです。原発災害なのです。


もう…目を覚まさなくては… 


ブログを再開した理由は、目を覚ますためです。私自身が…

そして、脱原発を表明して、皆さんと共に生きている今を生きたい。

この三日間、ケムトレールのつける筋雲一つ無い澄みきった青空を見上げ

地球の意思を感じました。顔をあげてちゃんと生きてゆく…

本当に望む未来を心に思い描いて!。


【お知らせ】

「戦禍の子の物語」は、原爆を体験していない私たちが、原爆で命を落とした少女の物語を

追体験しながら、共に心の旅、魂の旅をしてゆきます。1話ずつがオムニバスストーリーに

なっています。それが繋がって2011年以降の未来の日本に転生(生まれ変わる)までを

描いたお話です。

ヤフーブログに7話まで残してあります。よろしければ、ご一読くださいね!瑠璃



http://blogs.yahoo.co.jp/jycdd435/folder/332020.html




  
  

ようこそ瑠璃のブログへ

2013-09-12 16:33:43 | ブログ小説「戦禍の子」
(2011年掲載 原文を転載しています。) 

ようこそ瑠璃のブログへ 


こんにちは、ブログ小説「戦禍の子」作者 氷室瑠璃 (ひむろるり)です。

ようこそおこしくださいました。本当にありがとうございます。

この度の震災で被災された皆様に、心からお見舞い申し上げます。そして、皆様に一日も早い平安が訪れますようにお祈り申し上げます。

瑠璃のブログのコンセプトは PEACEFUL DAYS COMMUNICATION  (平和な日々の語らい)
           
平和な日々の尊さを語り合い、新しい世界への希望をみんなではぐくんでゆければ、きっと日本も世界も変わるはず…… 

平和な世界を目指すために、原発問題は避けては通れない課題です。

13年ほど前、 一つのメッセージを受け取りました。 過去からのメッセージでした

送ってきたのは、ヒロシマで被爆して死んでしまった女の子でした。そのメッセージを物語りに書き、

今、ブログ小説「戦禍の子」として連載しています。 

そのメッセージをここに記します 
  
2011年を生きている未来の私たちへ

あたしは、1945年8月6日、ヒロシマに落とされた原子爆弾で死んでしまった。いいえ、あたしだけじゃあない、何十万もの人たちと一緒に。

「ノーモアヒロシマ」

平和の礎となった魂は、命がけで平和な世界を願った。 

『核』 のない世界を… 二度とあたしたちの悲劇を繰り返さないで!でも… その叫びは、祈りは届かなかった。

「なぜ?核の悲劇は繰り返されるの?」

あたしの問いかけは、原爆で死んでいった数多の魂の問いかけ。 原発震災で亡くなった尊い命の無言の声……

「フクシマは第二のヒロシマ…… なぜだかわかる?」

世界中がフクシマに注目しているのは、この問題が人類全てに課せられた課題だから。 原発は、人類の問題、世界の問題。

原爆戦没者の慰霊碑に刻まれた誓い

安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませぬから

ついに約束は果たされず、65年の歳月が過ぎた…

まだ何も解決していない…… 人の命の尊さを何も理解できない……

人の肉体がこのセカイから消えても、魂は永遠にセカイを取り巻いている。魂の記憶は『核』を忘れない。

だからあたしはここにいる。人種も国境も無いブログの世界で、平和のメッセージに翼を与え羽ばたかせます。   
    
                                愛を込めて  瑠璃  (2011年の原文のまま掲載)