初めての対戦は、4年10ヶ月前。
バスケットボールの世界では無名の公立校から青山学院大に進学したばかりの正中にとって、佐古賢一は雲の上の存在だったろう。
でも、一歩も引かなかった。
5年近くの時を経て、JBLファイナルの舞台で対戦することになったふたり。
佐古は、今なお現役でいるとは思っていただろうか。
正中は、いつから自分がこの舞台に立つことを考え始めたのだろう。
決して楽ではなかった、それぞれの5年間。
戻ってきた佐古。
辿りついた正中。
このふたりを対比させる人はそういないだろうけど。
私が正中に出逢ったのはあの試合だったから、つい、ね・・・。
アイシン‐トヨタ、何気に選手のつながりが多い。
ま、この世界で何の縁もないことはありえないんだけど。
アイシンの網野・納谷は、もともとトヨタだったね。
詳細は覚えていないけど、なんともよくわからない経緯の移籍だった印象がある。
それから、トヨタの石田とアイシンの公輔は、慶応義塾大の先輩後輩。今日は公輔がしっかり石田にブロックショットをお見舞いしてた。
でも、私がもっとも気になったのは、アイシンの高島とトヨタの岡田。
ひとつ違いの、土浦日大高の先輩後輩。
早稲田大に進学した高島と、青学を選んだ岡田。
ふたりが在籍した時期の両校は、因縁めいていたように思う。
高島が1年のとき、早稲田は1部昇格を決めた。
入れ代わりに2部に降格したひとつが青学。
これより前に、岡田はすでに青学大への進学を決めていたそうだ。
決め手は、1部校であるということ。早稲田を選ばなかったのは、2部だったから。
なんとも皮肉な話だ。
しかし2年後、岡田が大学2年の年に青学は1部復帰を決める。
入替戦の相手は早稲田。
上に行くために、どうしてもこの年に1部に上がっておきたかった岡田。
最後の年はどうしても1部でプレイしたかった高島。
明暗がはっきりと分かれた。
翌年、関東を制した青学。
1年で1部復帰を決めた早稲田。
そして迎えた、高島最後のインカレ。
準々決勝で青学に敗れ、日本一の夢は消えた。
しかし、岡田も大学では日本一に届かなかった。
高校時代、同じチームで頂点を目指した。
大学時代。偶然、にしては交錯を重ねてきたふたり。
果たして、先に日本一になるのはどちらか。
それぞれが抱える思い。辿ってきた道。
そのすべてを力に変えて、目の前の試合に集中する選手たち。
結局、こんな縁だの因縁だの持ち出すのは、観る側が盛り上がりたいからなのかもしれない。
JBL2007-2008。
泣いても笑っても明日が最後。
どんな結末になるのか、注目です。