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はづきどう日記

shinichi&satomi日記
葉月堂鍼療日記

対馬の旅

2025年03月31日 | 経絡治療学会

学術大会が終わって鍼灸師の先生方といつも旅行にいくのですが、

今年は対馬に・・・計画を立てました~

対馬は自然がいっぱいで美しい島

私たちはいつもは対州馬に乗りに行っています

対州馬(たいしゅうば)は、長崎県対馬市を中心に飼育されてきた

日本在来種馬、古墳時代に朝鮮半島より移送し、日本へもたらされたと考えられています。

今回は対州馬ではなくて歴史とか自然とかを観てもらう旅にしました~

時間が限られているので上対馬方面は無理でした~

本日

対馬の朝☀️

晴れました〜

朝まで飲んでる人もいる

最終3:30らしい・・・

朝食7:30

全員朝ごはん食べていた・・・すごい

万松院は対馬藩主宗家の菩提寺で、

1615年初代藩主・宗義智(よしとも)

宗家19代を弔うために宗家20代目の義成が建立

その後、何度かの火災で焼失し、

現在の本堂は1879年(明治12)に建造された物、

当初は松音寺と称し、臨済宗の寺院でしたが、

1622年に義智の法号から万松院と改称。

「諫鼓(かんこ)」です。鼓の後ろが空洞になっています。

領主に対し諫言しようとする人がこの鼓を打ち鳴らします。

「諫鼓苔生す」「諫鼓鳥」という言葉は

何れも諫鼓の必要がないという意味から領主の善政を意味する

「萬松(枩)精舎」の掲額は後水尾天皇の第三皇女鏡宮の書を

皇室から贈られたものです。

松が枩になっているのは長期繁栄を意味します。

本堂内正面の扁額「萬松積舎」は皇室からの賜りもの

後水尾天皇は1611~1629年の在位であり、

その頃の宗家との繋がりを示すものだそうです。

1635年に天台宗の寺院に改宗されています本堂には朝鮮国王から贈られたとされる

三具足や徳川歴代将軍の位牌が置かれています。

本堂です。1879年(明治12)の建造です。

徳川歴代将軍の位牌が安置されていました。

対馬は朝鮮との外交窓口として朝鮮からの使者は対馬経由で江戸に向かいましたが、

その際外交的権威を示すために歴代将軍の位牌が安置されたそうです。

本堂です。1879年(明治12)の建造です。

132段の百雁木(ひゃくがんぎ)

本堂横の石段(百雁木と呼ばれています)を上がると、

樹齢1200年の大杉が3本、歴代藩主の墓所(御霊屋)があります。

日本三大墓所の一つと言われ、国指定の史跡になっています。

各御霊屋の中で最も高い位置にあり、宗家19代から32代までの藩主とその夫人や子の墓が建てられています。

その中で万松院の由来となった宗家19代義智の墓

鎌倉時代から対馬を統治し、朝鮮出兵から国交回復の和平交渉など苦難に満ちた生涯を送った方です。

隣の息子の墓の方が大きくて立派なお墓なんです。

今回、萬松院の案内ガイドをしていただきました。

わかりやすくて面白かったです。

歴史を知りました。

ここのお店でお土産を買いました〜

その後・・・

中根先生を空港へ

対馬やまねこ空港で写真📷

小茂田浜神社

文永11年(1274)10月5日、900艘の艦船に分乗した3万人の元・高麗連合軍が佐須浦に襲来~

守護代宗資国以下主従80騎で防戦に努めましたが、遂に全員が討ち死にしました

小茂田浜神社には、資国以下、戦死した将士の霊を祀っています

「軍大明神」と号し、初めは資国公戦死の地に村人が小祀を建てていましたが

南北朝の頃、宗経茂が現在地に遷し、神領を寄進して宗家の祭祀としました⛩

お昼は対州そば匠

和多都美神社へ

今回は・・・

当神社では、3月22日(土)16時頃、極めて重大かつ許されない不敬行為が外国人によって行われたみたいで

こんな神聖な場所なのに迷惑行為はやめていただきたい

今回は警察の方が神社の前にいて、たずねられました。

私達は日本人で参拝目的ですと言いました・・・

https://watadzumi.com/

長崎県対馬市にある和多都美神社(わたづみじんじゃ)は、

彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)を祭る海宮で、

古くから龍宮伝説が残されています

あの西漕手(にしのこいで)です

「万葉の時代の港」とも言われる、対馬市美津島町小船越(こふなこし)地区にある、

「西漕手(にしのこいで)」です。古くはこの丘を船を引いて、東西の浦を行き来していたとされます。

また、かつて遣隋使や遣唐使などは、九州本土から三浦湾に来て、

西漕手に用意されていた別の船に乗り換えて大陸に向かったと言われています。

その距離は、一番下の画像の解説文によれば200m足らずであったと

 

最後は・・・

万関橋と展望台です

浅茅湾と三浦湾の間に開削された万関瀬戸と呼ばれる運河に架かる橋が万関橋です。

この橋は平成8年に架け替えられ、3代目にあたります。

明治後期、南下政策をとるロシアとの戦争の機運が高まり、

万関橋

日本海軍は水雷艇を対馬海峡東水道に出撃させるため、

明治34年(1901年)、久須保水道(万関瀬戸)を開削しました。

この万関橋は、その開削された瀬戸に架かり、対馬の上下島を結んでいます。

ここで最後の旅

空港へ向かいます

皆さん東京へ~
さようなら~👋

最後にレンタカー2台を返しに行く~

対馬の旅~♪楽しんでいただけたでしょうか~

真一と里美は明日帰ります~🚢


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